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シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op.7
バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1957年12月30〜31日録音をダウンロード
- シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op.7 「第1楽章」
- シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op.7 「第2楽章」
- シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op.7 「第3楽章」
- シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op.7 「第4楽章」
チャイコフスキーにはないシベリウスの独自の世界
ついにシベリウスがパブリックドメインの仲間入りをしました。
20世紀を代表する交響曲作家としてその立ち位置は絶対的なものと思われましたが、正直言ってその評価は少しずつ低下してきていると言わざるを得ません。北欧=シベリウスだったものが、お膝元のフィンランドあたりでも「いつまでもシベリウスでもないだろう!」という雰囲気になってきているようです。ですから、北欧のオケが来日すると何はともあれ「フィンランディアと第2シンフォニー」という依頼があるのを、やんわりとお断るすることも増えてきているようです。
それでも聞くところによると、彼の作品に支払われる著作権料は1年間で4億円に達していたそうです。クラシック音楽の作曲家なんて儲からない仕事の典型みたいに思われているのですが、なかなかどうしてたいしたものです。
そして、権利を引き継いだ人々が著作権の保護期間をひたすら引き延ばすことを主張する理由も何となく理解できます。何しろ、自分たちのおじいちゃんの死後50年が経過したある日をもって突然に4億円が消えて無くなるのですから、その無念さたるや筆舌に尽くしがたいものがあるでしょう。(ただし、彼の子孫はこの現実は以前から分かっていたこととして恬淡としているということです。さらに、シベリウスの権利はあちこちに分散しているようで、彼の子孫にそっくり4億円が支払われるようでもないようです。)
さて、シベリウスと言えば交響曲作家というの評価として定着しています。しかし、彼の経歴を見てみると、交響曲に着手したのはずいぶん遅い時期であることに気づかされます。
確かに、この第1番のシンフォニーの前に「クレルヴォ交響曲」を発表していますが、あの作品は声楽をともなったカンタータのような作品です。クラシック音楽の王道としての交響曲のスタイルをもった作品としてはこの第1番が番号通りに彼のファーストシンフォニーとなります。
彼はここに至るまでに、すでにクレルヴォ交響曲を完成させ、さらに「4つの伝説曲」を完成させて、すでに世界的な作曲家としての評価を勝ち取っていました。
ですから、よくこの作品にはチャイコフスキーからの影響が指摘されるのですが、この冒頭部分を聞くだけでも、チャイコフスキーにはないシベリウスの独自の世界が築かれていることが分かります。
以前、この事に関して次のように書いたことがあります。
「初期の作品はどれをとっても旋律線が気持ちよく横にのびていく。しかも、その響きは今までの誰からも聞かれなかったシベリウス独特の硬質感のあるものだ。そのひんやりとした手触りはまがうことなく北欧の空気を感じさせてくれる。
初期の作品にチャイコフスキーの影響を指摘する人が多いが、それは誤りだ。これは断言できる。チャイコフスキーの響きはもっと軟質で、その違いはシベリウス自身はっきりと認識していたはずだ。
シベリウスは最初からチャイコフスキーの亜流としてではなく、シベリウスそのものとして登場している。彼独特の響きを駆使して、伸びやかに、思う存分に音楽を歌い上げている。聞いていて本当に気持ちが良いではないか。」
この考えは今も基本的には変わりませんね。
そして、こういうシベリウスの素晴らしさがもっともよく表れているのが最終楽章でしょう。
特に、漆黒のツンドラの大地を思わせる第1主題の彼方から朝日が上ってくるような第2主題はとても魅力的だと思ったものです。そして、この辺の作り方は何故か渡辺暁雄さんがとても私の感性にピッタリ合っていて、一時彼の録音ばかり聞いているときがありました。
なお、余談ながら、冒頭のティンパニとクラリネットのみで奏でられる暗い序奏から、ヴァイオリンの刻みにのって輝かしい第1主題があらわれるところは、一時ユング君がオーディオのチェックによく使っていました。聞こえるか聞こえないかというピアニシモからオーケストラの輝かしい響きまで一気に駆け上っていくこの部分がきちんと再生できると、かなりの作品に対応できるのではないかと思います。
バルビ節全開の演奏
バルビローリのシベリウスと言えば定番中の定番です。特に、その最晩年(1966年〜70年)にEMIが録音した交響曲全集は今もってその存在価値を失っていません。と言うか、どこか北国のひんやりした空気感で彩られることの多いシベリスにとって、彼ほど熱気と情熱に満ちたシベリウスを描き出した人は他に思い当たらないという意味では、かけがえのない録音となっています。もちろん、シベリウスを十八番にしていたバルビローリですから、ディスコグラフィを調べてみると結構たくさんの録音を残しています。
第1番
・1942年4月11日録音 ニューヨークフィル
・1957年12月30〜31日録音 ハレ管弦楽団
・1966年12月28〜30日録音 ハレ管弦楽団
第2番
・1940年5月6日録音 ニューヨークフィル
・1952年12月18〜19日録音 ハレ管弦楽団
・1962年10月1日〜9日録音 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
・1966年7月25〜26日録音 ハレ管弦楽団
第3番
・1969年5月27〜28日録音 ハレ管弦楽団
第4番
・1969年5月29〜30日録音 ハレ管弦楽団
第5番
・1957年5月28日録音 ハレ管弦楽団
・1966年7月26〜27日録音 ハレ管弦楽団
・1968年8月9日録音(プロムスのライブ録音) ハレ管弦楽団
第6番
・1970年5月21〜22日録音 ハレ管弦楽団
第7番
・1949年3月3〜5日録音 ハレ管弦楽団
・1966年7月27〜28日録音 ハレ管弦楽団
この中で、1942年の第1番だけは聞いたことがありません。もしかしたら、最近はライブ録音の発掘も進んでいるので、これ以外にもリリースされているかもしれません。何しろ、彼は客演なんかでもよくシベリスを取り上げていましたから、眠っている音源は結構あると思います。
今回は、52年の第2番と57年の第1番を取り上げました。(40年の2番と49年の7番は録音が悪いのでパス、57年の5番はリリースが59年なのであと1年の辛抱)
世間では、バルビローリのシベリウスはハレ管が下手すぎるので聴く気にならないという人もいるようですが、ホントにお気の毒な話です。弦楽器群を中心とした入念な表情付けと、ここぞと言うところでの金管群の咆吼というバルビ節全開の演奏を、オケが下手だからと入り口でシャットアウトするとは、いったい何を目的で音楽を聞いているのでしょう?
ただ、よく聞いていると、細かい表情付けはしているのですが、全体のテンポ設定は意外なほどにインテンポで、構成はしっかりしています。ですから、歌は歌いまくっていても決して下品にならない秘密その辺にあるのではないでしょうか。
特に第1番はやりたい放題という感じで、同じ時期に録音されたチャイコやドヴォルザークの録音と並んで、バルビローリにとっては最良の時だったのではないでしょうか。それと比べると、第2番はややおとなしめです。
もちろん、最晩年の全集はもっと行儀がいいです。