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マーラー:交響曲第1番 「巨人」


バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1957年6月11〜12日録音をダウンロード


マーラーの青春の歌



 偉大な作家というものはその処女作においてすべての要素が盛り込まれていると言います。作曲家に当てはめた場合、マーラーほどこの言葉がぴったり来る人はいないでしょう。

 この第1番の交響曲には、いわゆるマーラー的な「要素」がすべて盛り込まれているといえます。ベートーベン以降の交響曲の系譜にこの作品を並べてみると、誰の作品とも似通っていません。

 一時、ブルックナーとマーラーを並べて論じる傾向もありましたが、最近はそんな無謀なことをする人もいません。似通っているのは演奏時間の長さと編成の大きさぐらいで、後はすべて違っているというか、正反対と思えるほどに違っています。
 基本的に淡彩の世界であるブルックナーに対してマーラーはどこまで行っても極彩色です。基本的なベクトルがシンプルさに向かっているブルックナーに対して、マーラーは複雑系そのものです。

 その証拠に、ヴァントのように徹底的に作品を分析して一転の曖昧さも残さないような演奏スタイルはブルックナーには向いても、マーラー演奏には全く不向きです。ヴァントのマーラーというのは聞いたことがないですが(探せばあるのかもしれない?)、おそらく彼の生理には全く不向きな作品です。

 逆に、いわゆるマーラー指揮者という人はブルックナーをあまり取り上げないようです。
 たとえば、バーンスタインのブルックナーというのはあるのでしょうか?あったとしても、あまり聞きたいという気にはならないですね。(そういえば、彼のチャイコフスキー6番「悲愴」は、まるでマーラーのように響いていました。)
 それから、テンシュテット、彼も骨の髄までのマーラー指揮者ですが、他のマーラー指揮者と違って、めずらしくたくさんのブルックナーの録音を残しています。しかし、スタジオ録音ではあまり感じないのですが、最近あちこちからリリースされるライブ録音を聞くと、ブルックナーなのにまるでマーラーみたいに響くので、やっぱりなぁ!と苦笑してしまいます。

バルビ節全開の演奏です。

恥ずかしながら、つい最近になってこの録音を知り、そして、おったまげました。(世界初のステレオ録音による「巨人」と言うことで、その筋では結構有名な録音らしいです。)
こういう録音を聞かされると、パイというマイナーなレーベルに録音したこの50年代後半の演奏こそが、バルビローリがもっともバルビローリらしかった時代だな・・・と感じさせられます。もちろん、この後の60年代のEMIというメジャーなレーベルでの録音活動も悪くはありませんが、このパイ時代のバルビローリと比べれいささかお行儀が良すぎます。
それにしても、このやりたい放題は、実に愉快です。そして、これほどポルタメントをかけまくって、これ以上はないと言うほどに歌いまくっていながら、決して下品にならない語り口のうまさには感心させられます。これは実に不思議なことですが、この時代のイギリスの指揮者は、このバルビローリと言い、ビーチャムと言い、実に語り上手です。
マーラー演奏にはいろいろなアプローチはあります。一般的なのは、煩悩の世界をのたうちまわる阿鼻叫喚のバーンスタイン流や、逆に解剖学者さながらに精緻に腑分けをしてみせるギーレン流でしょう。しかし、この語り口のうまさによってバーンスタイン流でもなければ、ギーレン流でもない第3の職人の道があることをバルビローリは実証しました。そして、この「職人」の技が最高に発揮されているのは終楽章でしょう。特に、最後のフィナーレはまさに脳天かち割りの大技で、こんなのをライブで聞かされたら、ノックアウトの夢遊病状態で家路につくことになるでしょう。
録音状態も極めて良好です。