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シューマン:交響曲第1番 変ロ長調  「春」 Op.38


セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1958年10月24日〜25日録音をダウンロード


湧き出でるがごとき霊感によって、一気呵成に仕上げられたファーストシンフォニー



1838年から39年にかけてシューマンはウィーンを訪れます。シューマンにとってウィーンとは「ベートーベンとシューベルトの楽都」でしたから、シューベルトの兄であるフェルディナントのもとを訪れるとともに、この二人の墓を詣でることは彼にとって大きな願いの一つでした。
そして、ベートーベンの墓を詣でたときに、彼はそこで一本のペンを発見したと伝えられています。そして、彼はそのペンを使ってシューベルトのハ長調シンフォニーついての紹介文を執筆し、さらにはこの第1番の交響曲を書いたと伝えられています。
もちろん、真偽のほどは定かではありませんが、おそらくは「作り話」でしょう。
しかし、作り話にしても、よくできた話です。そして、シューマンが自分を、ベートーベンからシューベルトへと受けつがれた古典派音楽の正当な継承者として自負していたことをよく表している話です。

シューマンは、同一ジャンルの作品を短期間に集中して取り組む傾向がありました。
クララとの結婚前までは、彼の作品はピアノに限られていました。ところが、結婚後は堰を切ったように膨大な歌曲が生み出されます。そして、このウィーン訪問のあとは管弦楽作品へと創作の幅を広げていきます。
この時期の管弦楽作品の中で最も意味のある創作物である第1番の交響曲は、わずか4日でスケッチが完成されたと伝えられいます。まさに、何かをきっかけとして、あふれる出るように音楽が湧きだしたシューマンらしいエピソードです。
彼の日記によると、1841年の1月23日から仕事にかかって、26日にはスケッチが完成したと書かれています。そして、翌27日からはオーケストレーションを始めて、それも2月20日に完成したと記録されています。
まさに、湧き出でるがごとき霊感によって、一気呵成に仕上げられたのがこのファーストシンフォニーでした。

しかし、この交響曲をじっくりと聞いてみると、明らかにベートーベンから真っ直ぐに引き継いだ作品と言うよりは、この後に続くロマン派の交響詩の嚆矢という方がふさわしい作品となっています。
おそらく、そんなことは私ごときが云々するまでもなく、シューマン自身も気づいていたことでしょう。それ故に、この後に続く管弦楽作品では苦吟することになります。
第2番の交響曲は完成はしたものの納得のいく出来とはならずにお蔵入りとなり、晩年になって改訂を加えて第4番の交響としてようやく復活します。ハ短調のシンフォニーはスケッチだけで破棄されています。その他、例を挙げるのも煩雑にすぎるのでやめますが、結局はこの第1番の交響曲以外は完成を見なかったのです。

私ごときが恐れ多い言葉で恐縮ですが(^^;、この事実は複雑な管弦楽作品をしっかりとした構成のもとで完成させるには、未だ己の技法が未熟なことを知らしめることになったようです。そして、その様な未熟さを克服すべく創作の中心を室内楽へと転換させていくことになります。

シューマンの交響曲はとかく問題が多いと言われます。
彼の資質は明らかに古典派のものではありませんでした。交響曲だけに限ってみれば、ベートーベンの系譜を真っ直ぐに引き継いだのは彼の弟子であるブラームスでした。
それ故に、そう言うラインで彼の交響曲を眺めてみれば問題が多いのは事実です。
しかし、彼こそは生粋のロマンティストであり、ベートーベンとは異なる道を歩き出した音楽としてみれば実に魅力的です。
楽器を重ねすぎて明晰さに欠けると批判される彼のオーケストレーションも、そのくぐもった響きなくしてシューマンならではの憂愁の世界を表現することは不可能だとも言えます。あのメランコリックは本当にココロに染みいります。たとえば、第2楽章のやさしくも深い情緒に満ちた音楽は、古典派の音楽が表現しなかったものです。
もちろん、演奏するオケも指揮者も大変でしょう。みんなが気持ちよく演奏できるブラームスの交響曲とは大違いです。
しかし、その大変さの向こうに、シューマンならではの世界が展開するのですから、原典尊重でみんなで汗をかく時代になって彼の交響曲が再評価されるようになったのは実に納得のいく話です。

なお、どうでもいい話ですが、シューマンはベッドガーという人の詩から霊感を得てこの交響曲を作曲したと述べています。ですから、各楽章のはじめに「春のはじめ」「たそがれ」「楽しい遊び」「春たけなわ」と記しています。
この交響曲には「春「と言うタイトルがつけられていますが、それは後世の人が勝手につけたものではなくて、シューマンのお墨付きだと言えます。

この響きの何と魅力的なことか

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セルという人は、シューマンに関しては「原典尊重」ではなかったようです。
オーケストレーションの不都合な部分は結構手を入れているようで、結果としてすっきりとして明晰な音楽に仕上げていました。もちろん、このコンセプトに対する認識が変わったわけではありません。
変わったのは、このコンビが作り出していたオケの響きです。

以前のシステムでは造形もすっきり、響きも結構クリアだと感じていました。
ところが、新しいシステムでは、同時期に録音されたシューベルトやドヴォルザークとは全く異なる響きであることが手に取るように分かります。
とくに、シューベルトが明暗のはっきりとしたコントラストの強い明晰な響きだったのに対して、このシューマンの響きは薄日のもとで光と影が無限のグラディエーションでぼかされたような世界です。よくシューマンの響きは「くぐもったような」と表現されますが、この響きの何と魅力的なこと!!

ああ、セルのことを機械的で冷たいと言ったのはどこのどいつだ!!
50年代の終わりの、まさにオケを極限まで絞り上げてドライブしていた時代でも、こんなにも微妙なニュアンスにとんだ音楽を展開していたのだ!!
でも、悲しいかな、その響きを大部分の人が享受できずにいたのです。(私も含めて)

16bit、44.1kHzのCDの規格はとかく問題視されてきました。しかし、最近になって、私たちは果たして「16bit、44.1kHz」の世界を汲みつくしてきたのだろうかと疑問に思うようになってきました。
確かに、どの様な貧弱な音質でも音楽的な感動は得られます。しかし、演奏家が心血をそそいで作り上げた響きの世界を誠心誠意くみ取ろうとする中で得られる感動もあります。私はその様な努力は決して怠りたくないと思っていますし、今回のことはその様な「頑張り」に対する「ご褒美」かなと思っています。

ああ、それにしても、この響きの何と魅力的なことか!! (でも、圧縮したMP3ファイルで、どこまで伝わるかは疑問ですが・・・、それがとっても残念)