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ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 Op.58
(P)フライシャー セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1959年1月10日録音をダウンロード
新しい世界への開拓
1805年に第3番の協奏曲を完成させたベートーベンは、このパセティックな作品とは全く異なる明るくて幸福感に満ちた新しい第4番の協奏曲を書き始めます。そして、翌年の7月に一応の完成を見たものの多少の手なしが必要だったようで、最終的にはその年の暮れ頃に完成しただろうと言われています。
この作品はピアノソナタの作曲家と交響曲の作曲家が融合した作品だと言われ、特にこの時期のベートーベンのを特徴づける新しい世界への開拓精神があふれた作品だと言われてきました。
それは、第1楽章の冒頭においてピアノが第1主題を奏して音楽が始まるとか、第2楽章がフェルマータで終了してそのまま第3楽章に切れ目なく流れていくとか、そう言う形式的な面だけではなりません。もちろんそれも重要な要因ですが、それよりも重要なことは作品全体に漂う即興性と幻想的な性格にこそベートーベンの新しいチャレンジがあります。
その意味で、この作品に呼応するのが交響曲の第4番でしょう。
壮大で構築的な「エロイカ」を書いたベートーベンが次にチャレンジした第4番はガラリとその性格を変えて、何よりもファンタジックなものを交響曲という形式に持ち込もうとしました。それと同じ方向性がこの協奏曲の中にも流れています。
パセティックでアパショナータなベートーベンは姿を潜め、ロマンティックでファンタジックなベートーベンが姿をあらわしているのです。
とりわけ、第2楽章で聞くことの出来る「歌」の素晴らしさは、その様なベートーベンの新生面をはっきりと示しています。
「復讐の女神たちをやわらげるオルフェウス」とリストは語りましたし、ショパンのプレリュードにまでこの楽章の影響が及んでいることを指摘する人もいます。
そして、これを持ってベートーベンのピアノ協奏曲の最高傑作とする人もいます。ユング君も個人的には第5番の協奏曲よりもこちらの方を高く評価しています。(そんなことはどうでもいい!と言われそうですが・・・)
ピアノがオケのパートであるかのように響きの中に溶けこんでいます
レオン・フライシャーと言えば、50年代の後半から60年代の初頭にかけてセル&クリーブランド管とのコンビでたくさんの録音を残したピアニストとして記憶に残っています。ところが、その後突然に表舞台から姿を消してしまいます。
セルという人は自分自身が優れたピアニストであったために、競演するピアニストに対する選り好みは非常にシビアでした。人気だけが先行して実力の伴わないピアニストを受け入れるようなことは絶対にない人です。
ですから、クライバーンのように才能をすり減らされて使い捨てにされると言うことは考えにくいので、不思議だなと思っていました。
ところが、最近になって40年の闘病を経て復帰したというニュースに接して、遅まきながら事の真相が理解できました。おそらく、ピアノ業界では有名な話でほとんどの人が既知だったのでしょうが、私は不勉強のゆえに始めて知るところとなりました。
フライシャーをおそった病気は「フォーカル・ジストニア」で、ピアニストの命とも言うべき右手の2本の指が動かなくなったのです。
まさに、キャリアの絶頂で地獄のどん底に叩き落とされたようなもので、その絶望感はたとえきれないものだったようです。しかし、その後、後進の指導や指揮活動に活路を見いだし、さらには「左手のピアニスト」としても舞台に復帰したようです。
そして、ついに、新しい治療法と巡り会うことで右手の動きが回復し「両手のピアニスト」として舞台に復帰したというわけです。
「フォーカル・ジストニア」という病気はピアノ演奏にみられるような過剰な手指の巧緻動作が原因と考えられているようで、よほどの反復動作を行わない限り発生しないものだそうです。
しかし、彼がセル&クリーブランド管と録音した一連の演奏を聞いてみて、なるほどこれでは病気になったのも故なきことではないと思いました。こんな風に書くと、まるでセルがフライシャーをいじめ抜いたのが原因のように読めるのですが、決してそんなことを言っているのではありません。
フライシャーのピアノはどの録音を聞いても実にきまじめです。本当に一音一音手を抜くことなく、一切の曖昧さを排除してかっちりと弾ききっています。当時の写真を見てもまるで大学の教授のようで、その風貌からは酒と薔薇の日々しか想像できないようなホロヴィッツやルービンシュタインとは生まれた星が違うほどに対極にある存在です。
そして、その演奏を聴いて、なぜにセルが彼を重用したのかも簡単に納得がいきました。
フライシャーのピアノは驚くほどに自己主張が少ないのです。
ソリストというのは目立ってなんぼですから、ホロヴィッツみたいにオケがついてこれなくても己のテクニックを誇示するために超絶的なスピードで弾ききって涼しい顔をしているのが普通です。
しかし、フライシャーのピアノからはその様な「山っ気」は微塵も感じられません。本当に、まじめに作曲家に仕えるという姿勢がにじみ出ています。
ですから、協奏曲と言ってもオケと張り合うのではなく、まさにオケの一つのパートであるかのようにピアノが全体の響きに溶けこんでいます。
これで、セルが喜ばないはずがありません。
彼は作曲家に仕え、そしておそらくはセルにも仕えて、おそらくはセルが理想としたであろう音楽を作り出すために献身しています。
おそらく、彼は頑張ったのでしょう。きっと、頑張りすぎるほど頑張ったのだと思います。
だから、彼が「フォーカル・ジストニア」という病に取り憑かれたのは故なきことだと思ったのです。
それだけに、まるでオケのパートであるかのごとく全体の響きに溶けこんだピアノを聞くと、何だか痛ましさみたいなものを感じてしまうのです。そして、こんな事を書くのはさらに心苦しいのですが、当時のフライシャーを「100年に一人の逸材」と天まで持ち上げたのは明らかに誇大広告だったことも指摘しておかなければなりません。
彼の誠実さは認めますが、ソリストがオケの一部と同化しているように聞こえては、100年に一人の「逸材」とは言い難いでしょう。
もちろん、だからといって、この演奏の素晴らしさを損なうものではありませんが・・・。