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チャイコフスキー:眠れる森の美女 Op.66


アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1959年4月録音をダウンロード


バレエ・クラシックの頂点を築いた作品



「白鳥の湖」の大失敗で、二度とバレエ音楽は書かないと心に決めていたチャイコフスキーにもう一度バレエ音楽を書かせたのは、マリンスキー劇場の監督官だったウセヴォロジェスキーなる人物でした。
この見識あふれる監督官は、口当たりのいい伴奏音楽しか書かない座付きの作曲家がロシアバレエを堕落させている原因だと断定し、チャイコフスキーに作曲の依頼をすることにしたのです。彼は、この「眠れる森の美女」の台本でチャイコフスキーの興味と意欲をかきたて、さらには「くるみ割り人形」も依頼し、さらには「白鳥の湖」の復活にも尽力したのですから、私たちは彼に多大なる感謝の念を捧げるべきでしょう。

チャイコフスキーはこの監督官の情熱に押し切られるような形で「眠れる森の美女」の作曲を承諾し、大変な多忙の中でスケッチをはじめます。そして、草稿が完成したときに彼は手紙の中で「この作品は私の生涯でもっともすぐれた作品の一つになると思います。」と述べています。
その後オーケストレーションも完成して、総譜は振り付け師のプティパの手に渡り、入念な稽古の末に皇帝臨席のもとに初演が行われました。しかし、結果は予想外に芳しくなく、皇帝は「結構でした。」と一言述べただけだったと伝えられています。
原因としては、未だにバレエというものは踊り手の妙技を楽しむものであって、音楽はあくまでも添え物としての伴奏にすぎないという従来からのスタイルに慣れきった宮廷に人々には「難しすぎた」と言うこともあるでしょう。当時の新聞には「チャイコフスキーの音楽は演奏会用作品でまじめすぎ、重厚すぎた」と書かれています。
さらに言えば、振り付け師のプティパ自身も、音楽が持っている全体的な統一感よりは、個々の小さなシーンを一つずつ完結するようにする従来からのやり方を踏襲したために、両者の間に不調和が生じたためだとも言われています。
しかし、後に「ロシア芸術の祭典」とも讃えられることになる魅力的な旋律ときらびやかな響きは少なくない人々の心をとらえたことは間違いなかったようです。

やがて、音楽と演出の不整合な部分も次第に修正が加えられて、ついにはバレエ・クラシックの頂点を築いた作品としての評価を築き上げていくことになります。

最後に全くの余談となりますが、今から20年ほど前、とあるコンサートに行ったときに入り口でもらったチラシの中に「眠れぬ森の美女」というのが入っていました。今から思えば、記念として保存しておくべきでした。

<お話のあらすじ>
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プロローグ
フロレスタン14世の娘、オーロラ姫の誕生により、盛大な洗礼の式典が行われている。6人の妖精たちの一行が招待を受けて、彼女の名付け親となるべくやってくる。夾竹桃の精、三色ヒルガオの精、パンくずの精、歌うカナリアの精、激しさの精、そして一番偉い善の精、リラの精である。まず国王が妖精たちに贈り物をし、妖精たちがそれぞれオーロラ姫に授け物をする(正直さ、優雅さ、繁栄、美声、および寛大さなどを授けた、とする改訂版もある)。

その時、邪悪な妖精カラボスがやってくる。カラボスは自分が洗礼に招待されなかったことに怒り狂い、オーロラ姫に次のような呪いをかける。

「オーロラ姫は、20回目(改訂版では16回目)の誕生日に彼女の指を刺して、死ぬでしょう。」

しかし幸運にも、リラの精だけはまだ姫に何も授けていなかったため、次のように宣言する。

「カラボスの呪いの力は強すぎて、完全に取り払うことはできません。したがって姫は指を刺すでしょうが、死ぬことはありません。100年間の眠りについたあと、いつか王子様がやってきて、彼の口づけによって目を覚ますでしょう。」

第1幕
オーロラ姫はすくすくと成長し、20歳(16歳)の誕生日を迎えた。その誕生日に編み物をしている娘たちを見て国王は激怒する。オーロラ姫を守るために編み物・縫い物は禁止していたためだ。めでたい祝いの日なので国王は怒りを鎮めて祝宴をはじめる。

オーロラ姫には4人の求婚者がおり、彼らがバラを姫に手渡したそのすぐ後、姫は何者かからつむを贈られる。彼女は尖ったものに気をつけるようにという両親の忠告にも関わらず、それを持ったまま楽しそうに踊る。そして誤って指を刺してしまう。

カラボスは、すぐに邪悪な本性を明かしながら、勝ち誇り、驚く賓客の前で姿を消す。同時にリラの精が約束通りやってきて、王と王妃、そして賓客たちに、オーロラ姫は死ぬのではなく眠りにつくのだということを思い出させる。リラの精は城にいた全員に眠りの魔法をかける。オーロラ姫が目覚めるその時に、目を覚ますように、と。

第2幕
それから100年が経った頃、デジレ王子が一行を率いて狩りを行っていた。王子は狩りが楽しくなかったため、一人になりたいと申し出て、一行から離れる。そこに突然リラの精が現れて、オーロラ姫の幻を見せられた王子はその美しさの虜となる。王子はリラの精にオーロラ姫の元へ連れて行くよう頼み込み、今や太いツルが伸び放題でからみついている城にたどり着く。リラの精はオーロラ姫の名づけ親だが、デジレ王子の名づけ親でもあった。

王子は城の中に入り、中で眠っているオーロラ姫を発見し、王子のキスによってオーロラ姫は目を覚ます(原作は非暴力的で愛すること・考えることを重視するが、改訂版では邪悪なカラボスを打ち負かす、といった展開もある)。彼女が目を覚ましたため、城にいた全員が目を覚ます。王子は姫への愛を告白し、結婚を申し込む。

第3幕
婚礼の仕度は整った。祝祭の日にさまざまな妖精たちが招かれている。結婚を祝福するのは、金の精、銀の精、サファイアの精、ダイヤモンドの精である。リラの精もカラボスも出席している。「長靴をはいた猫」や「白猫」などのおとぎ話の主人公たちも来賓として居合わせている。

華麗なダンスが次々に踊られる。4人の(宝石・貴金属の)妖精のパ・ド・カトル、2匹の猫のダンス、青い鳥とフロリナ王女のパ・ド・ドゥ、赤ずきんちゃんとおおかみの踊り、シンデレラ姫とチャーミング王子のダンスが披露され、(一般的には省略されるサラバンドの後を受けて、)オーロラ姫とデジレ王子のパ・ド・ドゥが続き、最後にマズルカで締め括られる。オーロラ姫と王子は結婚し、(リラの精が2人を祝福する、という改訂版もあるが、原作では)妖精たちを讃えるアポテオーズの中で人々は妖精たちに感謝を表し、リラの精やカラボスなどの妖精たちが人々を見守るうちにバレエは終わる。


名人上手の手になる演奏

59年というのはとても豊作の年だったらしい。
それは、リヒターの「マタイ受難曲」やショルティの「ラインの黄金」という超弩級だけでなく、長くスタンダードしての位置を占めた録音が数多くリリースされていることに気づかされたからです。
このアンセルメによるチャイコフスキーのバレエ音楽もその様な録音の一つです。

今となってはこれらよりもはるかにゴ−ジャスな響きを堪能させてくれる録音は数多く存在します。たとえば、アンセルメの弟子筋にあたるデュトワがモントリオールのオケと録音した演奏などは華麗・豪華の極みです。フェドセーエフのようなロシア的な濃厚さに満ちた演奏も存在します。(ゲルギエフは聞いたことがない。)さらには、もう一人のバレエ音楽の達人、プレヴィンによるシンフォニックな演奏も捨てがたい魅力があるでしょう。
しかし、そう言う数多くの魅力あふれる録音が輩出してきても、このアンセルメによる録音の価値が失われることは決してないだろうと思います。

おそらく、今の耳からすれば響きは地味にすぎるでしょう。もっとバリバリ鳴ってほしいという思いも出てくるでしょう。
しかし、聞き進むうちにいつの間にかお話の世界に引き込んでくれる語り口のうまさに、そんなことは次第に気にならなくなります。

そう言えば、落語の名人というのは決して大袈裟な表現はしないものです。淡々と語っているように見えながら、気がつくとお話の世界に連れて行ってくれています。そんな時に、大袈裟な身振りなどを交えられたら、逆に恥ずかしくなって素の世界に戻ってしまいます。
もちろん、今は亡き桂枝雀のように、徹頭徹尾デフォルメの限りを尽くして聞き手を異次元ワールドに連れて行くような人も存在します。私は枝雀師匠は大好きだったので、そう言う芸があることは否定しませんが、あれは名人上手とは全く異なる異能の人でした。
おそらくは枝雀にしかできない芸でした。

そう言う意味では、このアンセルメによる三大バレエの演奏はまさに名人上手の手になるものでした。
作品の構造を完璧に理解しているアンセルメにとって、作品の面白さを伝えるのに過剰な演出は一切必要がないと言うことなのでしょう。緻密、かつ克明に作品の構造を描き出しています。
でも、こういう棒についていくオケも結構凄いなと感心させられました。何しろ、外してはいけないところは絶対に外さないという意味で手兵のスイス・ロマンド管弦楽団は素晴らしいオケだと言えます。
オケの巧さというのは、楽器をバリバリ鳴らすことやアンサンブルの緻密さだけではないことを教えてくれる録音です。