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ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 op.67
クリュイタンス指揮 ベルリンフィル 1959年3月10〜13日録音録音をダウンロード
- 交響曲第5番 ハ短調 「運命」 op.67 「第1楽章」
- 交響曲第5番 ハ短調 「運命」 op.67 「第2楽章」
- 交響曲第5番 ハ短調 「運命」 op.67 「第3楽章」
- 交響曲第5番 ハ短調 「運命」 op.67 「第4楽章」
極限まで無駄をそぎ落とした音楽
今更何も言う必要がないほどの有名な作品です。
クラシック音楽に何の興味がない人でも、この作品の冒頭を知らない人はないでしょう。
交響曲と言えば「運命」、クラシック音楽と言えば「運命」です。
この作品は第3番の交響曲「エロイカ」が完成したすぐあとに着手されています。スケッチにまでさかのぼるとエロイカの創作時期とも重なると言われます。(1803年にこの作品のスケッチと思われる物があるそうです。ちなみにエロイカは1803〜4年にかけて創作されています。)
しかし、ベートーベンはこの作品の創作を一時的に中断をして第4番の交響曲を作曲しています。これには、とある伯爵未亡人との恋愛が関係していると言われています。
そして幸か不幸か、この恋愛が破局に向かう中でベートーベンはこの運命の創作活動に舞い戻ってきます。
そういう意味では、本格的に創作活動に着手されたのは1807年で、完成はその翌年ですが、全体を見渡してみると完成までにかなりの年月を要した作品だと言えます。そして、ベートーベンは決して筆の早い人ではなかったのですが、これほどまでに時間を要した作品は数えるほどです。
その理由は、この作品の特徴となっている緊密きわまる構成とその無駄のなさにあります。
エロイカと比べてみるとその違いは歴然としています。もっとも、その整理しきれない部分が渾然として存在しているところにエロイカの魅力があるのですが、運命の魅力は極限にまで整理され尽くしたところにあると言えます。
それだけに、創作には多大な苦労と時間を要したのでしょう。
それ以後の時代を眺めてみても、これほどまでに無駄の少ない作品は新ウィーン楽派と言われたベルクやウェーベルンが登場するまではちょっと思い当たりません。(多少方向性は異なるでしょうが、・・・だいぶ違うかな?)
それから、それまでの交響曲と比べると楽器が増やされている点も重要です。
その増やされた楽器は第4楽章で一気に登場して、音色においても音量においても今までにない幅の広がりをもたらして、絶大な効果をあげています。
これもまたこの作品が広く愛される一因ともなっています。
専門家筋には評価が高い指揮者
一般のユーザーにはそれほどではないが、なぜか専門家の中では評価が高い、と言う指揮者が存在します。私が大好きなセルなどはその典型でした。しかし、なぜかネットの時代に入ってから彼を評価する声が高まり、冷たくて機械的な演奏をする指揮者という、どこのだれが言い出したのかしれない評価を覆すに至りました。実は、このクリュイタンスという指揮者も、なぜか専門家筋では高く評価する人が多いのです。しかし、一般ユーザーの中では、クリュイタンスのベートーベンなんて面白おかしくもないというのが一般的な評価でした。なかには、ベルリンフィルがはじめてベートーベンの交響曲全集を完成させたときの指揮者・・・と言う一種の「トリビア(くだらないこと、瑣末なこと、雑学的な事柄や知識)」としての話題しか価値がないという酷評も存在しました。
もっと凄いのは、音符を並べただけ、と切り捨てた評論家もいましたね・・・。
ちょっと記憶が曖昧なのですが、プロオケのメンバーで何種類かの運命の録音を聞いてもらって、どの指揮者で演奏したいかをこたえてもらうような企画がありました。(あったような気がします。)選ばれたのはカラヤンやフルトヴェングラーなどの錚々たるメンバーだったのですが、その中になぜか(^^;クリュイタンスが紛れ込んでいました。
一つ一つ聞きながら、それぞれが好き勝手なことを言っていくので、こりゃぁ「かませ犬」かな?と思ったのですが、何と最後にほぼ全員一致で選ばれたのがクリュイタンスだったのです。
その理由は「何をしたいのかが明確に伝わってくる」というのです。
このあたりは、気楽に聞いていればすむサイドと、そう言う聞き手に対して一定のクオリティの音楽を提供する義務のあるサイドとの相違があるので、だからクリュイタンスって凄いんだ!と言う根拠にはなりません。
どこかのコンマスが、指揮者との間に一定の軋轢があり、なんだこの野郎!みたいな感じで格闘しているような時の方が観客席が沸くという話をしていました。彼が言うには、いったい何を振っているのか分かんないけどもそれでも必死でついていったら観客席からは「ブラボー!」が巻き起こることが多いというのです。逆に、明確な指示でオケのメンバー全員が実に気持ちよく演奏できたのに、なぜか観客席がシラッとしていることがよくあるというのです。
このあたりのオケと指揮者の関係というのは掘り下げれば面白いネタになりそうなのですが、ここはそう言う場ではありませんのでこの程度でやめておきます。
しかし、このコンマスの話を信じるならば、なぜにクリュイタンスのベートーベンが面白おかしくもないと言われるのかが、何となく分かってくるような気がします。
野球の試合にたとえれば、フルトヴェングラーの演奏というのは壮絶な乱打戦の末にもうダメかと思った9回の裏に一気に5,6点取って胸のすくような逆転サヨナラゲームという風情です。見ている方は拍手大喝采ですが、やっている選手のプレッシャーは並大抵ではありません。
これがカラヤンならば、点を取られたら取り返すというシーソーゲームの面白さを堪能はさせるが、それでも最後はだめ押し点をきっちりと追加して悠々と逃げ切り、「今日も勝ったぜ!!」というような試合でしょうか。劇的な幕切れというのはありませんが、1回から9回までタップリと試合を楽しませてくれます。
しかし、クリュイタンスの場合は、ランナーが出ればきっちりとバンドで2塁におくってワンヒットで1点獲得、時には四球で出塁したランナーが足をからませて外野犠飛でノーヒットで1点、みたいな野球です。大量点は入りませんが、コツコツと1点ずつ積み上げて「5対0」ぐらいで完勝という野球です。選手にとっては実に気持ちの良い試合展開でしょうが、見ている方はあまり面白くないのです。
しかし、専門家が高く評価するのはこういうそつのないプレーをするチームですし、長いペナントレースを制するのもこういうチームです。なるほど、だからベルリンフィルが初めての全集(ペナントレース)を作るときにクリュイタンスを選んだんだな。