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ムソソルグスキー:展覧会の絵(ラヴェル編曲)
ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1957年12月7日録音をダウンロード
今までの西洋音楽にはない構成
組曲「展覧会の絵」は作曲者が35歳の作品。親友の画家で建築家のヴィクトール・ガルトマン(1834〜1873)の遺作展が開かれた際に、そのあまりにも早すぎる死を悼んで作曲されたと言われています。
彼は西洋的な音楽語法を模倣するのではなく、むしろそれを拒絶し、ロシア的な精神を音楽の中に取り入れようとしました。
この「展覧会の絵」もガルトマンの絵にインスピレーションを得た10曲の作品の間にプロムナードと呼ばれる間奏曲風の短い曲を挟んで進行するといった、今までの西洋音楽にはない構成となっています。
よく言われることですが、聞き手はまるで展覧会の会場をゆっくりと歩みながら一枚一枚の絵を鑑賞しているような雰囲気が味わえます。
作品の構成は以下のようになっています。
「プロムナード」
1:「グノームス」
2:「古い城」
「プロムナード」
3:「チュイルリー公園」
4:「ヴィドロ」
「プロムナード」
5:「殻をつけたままのヒヨコのバレエ」
6:「ザムエル・ゴールデンベルクとシュミイレ」
「プロムナード」
7:「リモージュの市場」
8:「カタコムベ(ローマ人の墓地)」
9:「ニワトリの足に立つ小屋(ババヤーガ)」
10:「雄大な門(首都キエフにある)
50年代における一つの頂
シカゴ交響楽団の黄金時代と言えばライナーが君臨した50年代と、ショルティが率いた70年代から80年代というのが相場になっています。この二人に挟まれたマルティノンなどは実に影が薄くてライナー→ショルティと政権が移行したように思われているほどです。そして、ショルティの跡を継いだバレンボイムもあまり大きな成果を上げられなかったようなので、どうしても「シカゴ交響楽団=体育会系」というイメージが固定されています。
しかし、ライナーの録音が次々とパブリックドメインとなり、その演奏をまとめて聞いていると、同じ体育会系でもそのテイストはショルティととではずいぶん異なることに気づかされます。
シカゴ交響楽団と言えば、なんと言っても金管楽器群のパワーが特筆されます。これは、彼らの本拠地であるオーケストラホールの残響が極めて短く、その短所を補うためにやむなく「強力」になったという言い伝えもあるのですが、トランペットの「アドルフ・ハーセス」に代表されるような名手がずらりと並んでいます。
このブラスセクションの威力は「展覧会の絵」のような作品だと、たっぷりと堪能することができます。
50年代にこれだけのオケを築き上げたライナーの「オーケストラビルダー」としての能力には感嘆させられます。
そして、ライナーに次いでシカゴの第2の黄金期を築き上げたショルティなのですが、彼もまた80年に満を持して「展覧会の絵」を録音しています。トランペットを吹いているのは、これまた「アドルフ・ハーセス」です。
同じ黄金期を築いたと言っても、世間的には明らかにライナー>ショルティです。そして、このショルティという人は日本においてはそれこそ徹底的に評価が低いのです。どうも日本のクラシック音楽受容層というのは体育会系とは一番対極に位置する層らしくて、ショルティ=脳みそ筋肉という定式が成り立っているようで、どうにもこうにも不思議なほどに評価が低いのです。
しかし、今回この拙文を綴るために、久しぶりにショルティの「展覧会の絵」を引っ張り出してきて(LPだよ!!)聞いてみたのです。その感想は、まさに呆然、愕然・・・です。
ライナーからショルティへの四半世紀で、いかにオーケストラの能力が向上したのかを思い知らされます。
誤解を恐れずに言えば、ショルティ&シカゴがプロのアスリートだとすれば、ライナー&シカゴは明らかにアマチュアのアスリートです。それは、録音のクオリティだけに還元できるような性質のものではありません。
やはり、不用意に「昔はよかった!」などと言ってはいけないのです。
ただ、音楽の表現としてみれば、ライナーの方がしなやかで、一見すると素っ気なく見える表面の背後から細やかなニュアンスが漂ってきます。言葉をかえれば、表現が恣意的でなく自然と感興が盛り上がっていく演奏です。
それに対して、ショルティの方は明らかに100マイル越えの剛速球を真っ向から投げ込んできます。そして、そのスタンスはこのような作品だと決してマイナスにはなっていません。どちらを選ぶかと聞かれれば、躊躇わずにショルティ盤を選ぶでしょう。
それなら、ライナー盤には何の存在価値もないのかと言われれば、そんなことはありません。
歴史は決して「阿保の画廊」ではありません。
50年代から60年代にかけて、ライナーやセルが目指した理想があってこそ80年代のショルティ&シカゴがあるのであって、さらに言えば、アマオケでも平気で春の祭典を取り上げるような時代が築かれたわけです。
20世紀の初めの頃は、ちょっと演奏の難しいところがあれば平気でスコアを改ざんして「演奏しやすくする」などという事を平気でやっていたものです。そこに最初の一撃を加えたのがトスカニーニでした。そのトスカニーニの理想を正しく受け継いだのがライナーでありセルであったわけです。
そう言う稜線を頭に描けば、これは50年代における一つの頂であることは事実なのです。
過ぎ去った稜線といえども、頂というものは値打ちのあるものなのです。