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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18


(P)ルービンシュタイン ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1956年1月9日録音をダウンロード

  1. Rachmanino:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [1.Moderato]
  2. Rachmanino:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [2.Adagio sostenuto]
  3. Rachmanino:Piano Concerto No.2 in C minor, Op.18 [3.Allegro scherzando]

芸人ラフマニノフ



第3楽章で流れてくる不滅のメロディは映画「逢い引き」で使われたことによって万人に知られるようになり、そのために、現在のピアニストたちにとってなくてはならない飯の種となっています。
まあ、ラフマニノフ自身にとっても第1交響曲の歴史的大失敗によって陥ったどん底状態からすくい上げてくれたという意味で大きな意味を持っている作品です。(この第1交響曲の大失敗に関してはこちらでふれていますのでお暇なときにでもご覧下さい。)

さて、このあまりにも有名なコンチェルトに関してはすでに語り尽くされていますから、今さらそれにつけ加えるようなことは何もないのですが、一点だけつけ加えておきたいと思います。
それは、大失敗をこうむった第1交響曲と、その失敗から彼を立ち直らせたこのピアノコンチェルトとの比較です。

このピアノコンチェルトは重々しいピアノの和音で始められ、それに続いて弦楽器がユニゾンで主題を奏し始めます。おそらくつかみとしては最高なのではないでしょうか。ラフマニノフ自身はこの第1主題は第1主題としての性格に欠けていてただの導入部になっていると自戒していたそうですが、なかなかどうして、彼の数ある作品の中ではまとまりの良さではトップクラスであるように思います。

また、ラフマニノフはシンコペーションが大好きで、和声的にもずいぶん凝った進行を多用する音楽家でした。
第1交響曲ではその様な「本能」をなんの躊躇いもなくさらけ出していたのですが、ここでは随分と控えめに、常に聞き手を意識しての使用に留めているように聞こえます。
第2楽章の冒頭でもハ短調で始められた音楽が突然にホ長調に転調されるのですが、不思議な浮遊感を生み出す範囲で留められています。その後に続くピアノの導入部でもシンコペで三連音の分散和音が使われているのですが、えぐみはほとんど感じられません。
つまり、ここでは常に聞き手が意識されて作曲がなされているのです。
聞き手などは眼中になく自分のやりたいことをやりたいようにするのが「芸術家」だとすれば、常に聞き手を意識してうけないと話は始まらないと言うスタンスをとるのが「芸人」だと言っていいでしょう。そして、疑いもなく彼はここで「芸術家」から「芸人」に転向したのです。ただし、誤解のないように申し添えておきますが、芸人は決して芸術家に劣るものではありません。むしろ、自称「芸術家」ほど始末に悪い存在であることは戦後のクラシック音楽界を席巻した「前衛音楽」という愚かな営みを瞥見すれば誰でも理解できることです。
本当の芸術家というのはまずもってすぐれた「芸人」でなければなりません。
その意味では、ラフマニノフ自身はここで大きな転換点を迎えたと言えるのではないでしょうか。

ラフマニノフは音楽院でピアノの試験を抜群の成績で通過したそうですが、それでも周囲の人は彼がピアニストではなくて作曲家として大成するであろうと見ていたそうです。つまりは、彼は芸人ではなくて芸術家を目指していたからでしょう。ですから、この転換は大きな意味を持っていたと言えるでしょうし、20世紀を代表する偉大なコンサートピアニストとしてのラフマニノフの原点もここにこそあったのではないでしょうか。

そして、歴史は偉大な芸人の中からごく限られた人々を真の芸術家として選び出していきます。
問題は、この偉大な芸人ラフマニノフが、その後芸術家として選び出されていくのか?ということです。
これに関しては私は確たる回答を持ち得ていませんし、おそらく歴史も未だ審判の最中なのです。あなたは、いかが思われるでしょうか?

けんか別れした二人

ライナーとルービンシュタインと言えば、さぞやたくさんの競演盤があるだろうと思って調べてみると、なんとこのラフマニノフの2番と、ブラームスの1番だけです。(あっ、それから「パガニーニの主題によるラプソディ」があった。)
どうして?・・・と思ってGoogle先生に聞いてみるとこんな経緯があったそうです。

まず、きっかけとなったのはこのラフマニノフの2番が大変好評だったことです。それに味を占めたRCAは二匹目の土壌をねらって「第3番」の録音を計画します。
すべての不幸はここから始まります。

今さら言うまでもないことですが、ラフマニノフの3番は難曲中の難曲で、バリバリのテクニックを持ったピアニスト御用達の作品です。そんな作品をルービンシュタインで録音しようというのがそもそも大きなミステイクなのです。
実際、ルービンシュタインのレパートリーにラフマニノフの3番は存在しません。彼はこの作品をコンサートで取り上げたことはありませんでしたし、おそらくは今後もそんな予定はなかったはずです。
にもかかわらず、RCAは強引にこの企画を持ち込んで、さらにはルービンシュタインのために特別にリハーサルまで行うことにしたのです。

悲劇は、このリハーサルで起こりました。

リハーサルはごく普通に第1楽章からスタートしました。しかし、と言うべきか、やはり、と言うべきか、ルービンシュタインは難場にさしかかると大きなミスをしてしまいました。
ライナーはオーケストラを止め、いくつかの指示を与えてからもう一度演奏させました。しかし、ルービンシュタインは同じところに来るとまた同じミスをしてしまいます。
ライナーは、今度は何も言わずもう一度繰り返させたのですが、ルービンシュタインはやはり同じ所でもっと派手にミスをしてしまいました。
ライナーは指揮棒を置いてオーケストラに向かって「ピアニストが練習をするので20分間休憩します。」と言ってしまいました。

それを聞いてルービンシュタインは「あなたのオーケストラはミスをしないのですか?」と言い返しました。
それに対して、ライナーは一言だけ返したそうです。

「しません。」

ルービンシュタインは無言のままステージを去り、リハーサル会場には二度と戻って来なかったそうです。

お互いに大人げないと言えば大人げない話ですが、こういう話はこの業界には掃いて捨てるほどあることも事実です。
しかし、頭の中に入れておかなければならないことは、ライナーは1951年にホロヴィッツとこの作品を録音しているという事実です。
ラフマニノフ自身も1939年にオーマンディと組んでこの作品を録音していますが、その時でさえ、ラフマニノフはオーマンディに対して「ホロヴィッツはどんな風に演奏したのか?」と、しつこいほど確認したと伝えられています。
作曲者自身でさえ、この作品に関してはホロヴィッツの解釈と演奏を「絶対的」なものとして認めていて、この作品を「ホロヴィッツのもの」と言っていたのです。そのホロヴィッツと金字塔とも言うべき録音を既にライナーは残していたのです。
そこにライナーの芸風も考慮すれば彼の中に「ホロヴィッツ>ルービンシュタイン」と言う式が成立していたとしても仕方がないことだったのでしょう。

ただ、誤解のないように言い添えておくと、この事実だけを持ってルービンシュタインはホロヴィッツに劣るなどと思ってはいけません。確かにホロヴィッツのテクニックは素晴らしいもので、「ホロヴィッツの指は一種のユートピアである」と言う言葉も存在したほどです。
しかし、音楽は指が回ることだけが全てではありません。
たとえば、この第2番の第2楽章を聞いてください。
おそらく、ホロヴィッツはこのルービンシュタインほど切々と叙情的にピアノを歌わせることはできなかったはずです。たとえば、ショパンの第2番の第2楽章、あんな風にピアノを歌わせることができたのは彼以外ではコルトーくらいしか思い浮かびません。
そして、ルービンシュタインはコルトーほど下手くそではありませんでしたし、その歌い回しから気品がなくなることはありませんでした。
さらに言えば、そんな気品なんか振り捨ててしなだれかかるように嫋々と歌わせるコルトーのピアノは、スケベ親父と言われようが下手くそと言われようが、他には代え難い魅力がありました。

ただ、そう言う魅力を認めても、やはり取り上げてはいけない作品というものが存在します。
おそらく、コルトーを起用してラフマニノフの3番を録音しようというプロデューサーはいないでしょう。しかし、ルービンシュタインはその手のピアニストとしてはテクニックがありすぎました。
それがルービンシュタインにとっては不幸だったのかもしれません。
ルービンシュタインの境界線は明らかにこの2番です。最近ではさすがに忘れ去られている録音なのですが、大甘のこの作品の演奏としては意外に甘さ控えめにしていて上品な仕上がりです。

そして、場所によってはピアノよりも表情たっぷりにオケが歌っていて、それがこの録音のもう一つの魅力にもなっています。ライナーというのは職務に忠実な男だったのだと感心してしまいます。