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チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
P:カーゾン ショルティ指揮 ウィーンフィル 1958年録音をダウンロード
- Tchaikovsky:Concerto for Piano and Orchestra No.1 in B-flat minor Op.23 [1.Andante non troppo e molto maestoso- Allegro con spirito]
- Tchaikovsky:Concerto for Piano and Orchestra No.1 in B-flat minor Op.23 [2.Andantino semplice?Allegro vivace assai ]
- Tchaikovsky:Concerto for Piano and Orchestra No.1 in B-flat minor Op.23 [3.Allegro con fuoco]
ピアノ協奏曲の代名詞
ピアノ協奏曲の代名詞とも言える作品です。
おそらく、クラシック音楽などには全く興味のない人でもこの冒頭のメロディは知っているでしょう。普通の人が「ピアノ協奏曲」と聞いてイメージするのは、おそらくはこのチャイコフスキーかグリーグ、そしてベートーベンの皇帝あたりでしょうか。
それほどの有名曲でありながら、その生い立ちはよく知られているように不幸なものでした。
1874年、チャイコフスキーが自信を持って書き上げたこの作品をモスクワ音楽院初代校長であり、偉大なピアニストでもあったニコライ・ルービンシュタインに捧げようとしました。
ところがルービンシュタインは、「まったく無価値で、訂正不可能なほど拙劣な作品」と評価されてしまいます。深く尊敬していた先輩からの言葉だっただけに、この出来事はチャイコフスキーの心を深く傷つけました。
ヴァイオリン協奏曲と言い、このピアノ協奏曲と言い、実に不幸な作品です。
しかし、彼はこの作品をドイツの名指揮者ハンス・フォン・ビューローに捧げることを決心します。ビューローもこの曲を高く評価し、1875年10月にボストンで初演を行い大成功をおさめます。
この大成功の模様は電報ですぐさまチャイコフキーに伝えられ、それをきっかけとしてロシアでも急速に普及していきました。
第1楽章冒頭の長大な序奏部分が有名ですが、ロシア的叙情に溢れた第2楽章、激しい力感に溢れたロンド形式の第3楽章と聴き所満載の作品です。
背筋がぴしっと伸びたような思いにさせられる演奏
この上もなく鮮烈なチャイコフスキーです。そして、録音の方もとても半世紀前のものとは思えないほどの鮮烈なクオリティです。ところが、不思議なことに、ネット上を探してもこの録音に言及している方をほとんど見いだすことが出来ませんでした。
確かに、カーゾンとチャイコフスキーというのは少しばかりミスマッチな感じもあります。しかし、それ以上にミスマッチなのはショルティとチャイコフスキー、そしてショルティと当時のウィーンフィルという組み合わせなのでしょう。
これはよく知られている話ですが、リングの録音をすすめているときにカルショーを悩ませていたのはショルティがベートーベンの交響曲全集を録音させろと迫っていたことです。カルショーはあれこれと問題点を挙げて説得に努めたのですが、ショルティがどうしても折れないので、最後は「お試しの録音」をしてみて不評なら中止、好評なら「全集完成」と言うことになり、3、5、7番が録音されることになりました。
結果は、これまたご存知の通りの「惨敗」で、この後ショルティはリングの録音に専念することになるのですが、何とこのチャイコフスキーはその「お試し録音」の時に「次いで」のような感じで録音されたのです。
率直に申し上げれば、この時の「お試し録音」が好意的に受け取られなかったことは返す返すも残念なことだったと思います。しかし、同時に、やはりこのような演奏が50年代の後半に受け入れられなかったことも仕方がないだろうなとも思います。
それは、このチャイコフスキーにも一連のベートーベンにも共通することですが、あまりにも鮮烈な日の光に照らし出されたような音楽の作り方は、今の耳ならば何の違和感もなく聞けるものですが、フルトヴェングラーやクナのような曲線的な音楽作りが王道とされた時代にあっては「異形」以外の何者でもなかったでしょう。
ここには、ロシアの憂愁なんぞは、薬にしたくても見いだすことは不可能です。ひたすら直線的でオケを強引にあおり立ててフルパワーで音響を炸裂させています。おかげで、カーゾンの繊細なピアノのタッチなどはオケのこの響きに蹴散らされてしまっていますから、これでカーゾンが文句を言わなかったのかと心配になってしまうほどです。
まあ言ってみれば、ショルティが「己の理想」とするやり方でオケを鳴らしてみました、という感じなので、ウィーンフィルもよくぞ素直に従ったものだと感心させられます。
でも、それから半世紀、この時にショルティが録音したこの協奏曲もベートーベンも、悪くはありません。何を言いたいのか分からない、表面だけをなぞったような「へたれた演奏」がちまたにあふれる今、かくもガッツあふれるような音楽を聴かされると背筋がぴしっと伸びたような思いにさせられます。
ショルティに対する評価は日本では低いです。それはそれは、驚くほどに低いです。
しかし、こういう録音を聞かされると、もう一度一切の先入観を払拭して、この男と向きあう価値はあるのではないかと思います。
最後に、録音についても一言言及しておくと、これはもう、昨今のデジタル録音の平均値を凌駕しています。この時代のデッカ&カルショーがいかに凄かったかを改めて認識させてくれる優秀録音です。