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メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64


Vn.ハイフェッツ ミンシュ指揮 ボストン交響楽団 1959年2月23日&25日録音をダウンロード


ロマン派協奏曲の代表選手



メンデルスゾーンが常任指揮者として活躍していたゲバントハウス管弦楽団のコンサートマスターであったフェルディナント・ダヴィットのために作曲された作品です。ダヴィッドはメンデルスゾーンの親しい友人でもあったので、演奏者としての立場から積極的に助言を行い、何と6年という歳月をかけて完成させた作品です。

この二人の共同作業が、今までに例を見ないような、まさにロマン派協奏曲の代表選手とも呼ぶべき名作を生み出す原動力となりました。
この作品は、聞けばすぐに分かるように独奏ヴァイオリンがもてる限りの技巧を披露するにはピッタリの作品となっています。かつてサラサーテがブラームスのコンチェルトの素晴らしさを認めながらも「アダージョでオーボエが全曲で唯一の旋律を聴衆に聴かしているときにヴァイオリンを手にしてぼんやりと立っているほど、私が無趣味だと思うかね?」と語ったのとは対照的です。
通常であれば、オケによる露払いの後に登場する独奏楽器が、ここでは冒頭から登場します。おまけにその登場の仕方が、クラシック音楽ファンでなくとも知っているというあの有名なメロディをひっさげて登場し、その後もほとんど休みなしと言うぐらいに出ずっぱりで独奏ヴァイオリンの魅力をふりまき続けるのですから、ソリストとしては十分に満足できる作品となっています。。

しかし、これだけでは、当時たくさん作られた凡百のヴィルツォーゾ協奏曲と変わるところがありません。
この作品の素晴らしいのは、その様な技巧を十分に誇示しながら、決して内容が空疎な音楽になっていないことです。これぞロマン派と喝采をおくりたくなるような「匂い立つような香り」はその様なヴィルツォーゾ協奏曲からはついぞ聞くことのできないものでした。また、全体の構成も、技巧の限りを尽くす第1楽章、叙情的で甘いメロディが支配する第2楽章、そしてファンファーレによって目覚めたように活発な音楽が展開される第3楽章というように非常に分かりやすくできています。

確かに、ベートーベンやブラームスの作品と比べればいささか見劣りはするかもしれませんが、内容と技巧のバランスを勘案すればもっと高く評価されていい作品だと思います。

日本刀のごとき切れ味

今さら私ごときがあれこれと付け加えることなど何もないような、名演中の名演です。
しかし、その名演の質が、いわゆるロマンティックな「メンコン」のイメージからはかなり離れたところにある演奏ですから、もしかしたら一部には拒絶反応を起こす方がいるかも知れませんので、蛇足と知りながら一言。

このコンチェルトの一つのイメージを言葉にするなら「ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ」でしょうか。それとも、「二人してさす一張の 傘に姿をつゝむとも 情の雨のふりしきり かわく間もなきたもとかな」でしょうか。
まあどっちにしても、甘くロマンティックなたたずまいの中にひとしずくの涙がスパイスとして効いてる、みたいな雰囲気です。

しかし、このハイフェッツの演奏には、そんな「甘さ」や「ひとしずくの涙」などはひとかけらも存在しません。それどころか、ここに存在するのは、そんな甘っちょろさとは正反対の日本刀の切れ味であり、青白い炎が立ちあがるような切っ先の鋭さです。つまり、ロマンティックな雰囲気に浸って「癒されたいわ」などと言うフニャケタ気持ちでこの録音を聞くと、間違いなく脳天をたたっ切られます。
ついでながら、このハイフェッツの伴奏を務めているボストン響も素晴らしい。ハイフェッツの切っ先にたたき切られるどころか、それを時にははね返して逆に一歩踏み込んでいくような姿勢すら示します。
こういう演奏でメンコンを聞かされると、メンデルスゾーンも「立派なコンチェルト」を書いたものだと感心させられます。

疑いもなく、50年代のアメリカにおける最良の業績であると同時に、20世紀の録音史に残る偉大な演奏です。