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ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」
ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1958年12月21日&22日録音をダウンロード
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何かと問題の多い作品です。
ベートーベンの第9と言えば、世間的にはベートーベンの最高傑作とされ、同時にクラシック音楽の最高峰と目されています。そのために、日頃はあまりクラシック音楽には興味のないような方でも、年の暮れになると合唱団に参加している友人から誘われたりして、コンサートなどに出かけたりします。
しかし、その実態はベートーベンの最高傑作からはほど遠い作品であるどころか、9曲ある交響曲の中でも一番問題の多い作品なのです。さらに悪いことに、その問題点はこの作品の「命」とも言うべき第4楽章に集中しています。
そして、その様な問題を生み出して原因は、この作品の創作過程にあります。
この第9番の交響曲はイギリスのフィルハーモニア協会からの依頼を受けて創作されました。しかし、作品の構想はそれよりも前から暖められていたことが残されたスケッチ帳などから明らかになっています。
当初、ベートーベンは二つの交響曲を予定していました。
一つは、純器楽による今までの延長線上に位置する作品であり、もう一つは合唱を加えるというまったく斬新なアイデアに基づく作品でした。後者はベート?ベンの中では「ドイツ交響曲」と命名されており、シラーの「歓喜によせる」に基づいたドイツの民族意識を高揚させるような作品として計画されていました。
ところが、何があったのかは不明ですが、ベートーベンはまったく異なる構想のもとにスケッチをすすめていた二つの作品を、何故か突然に、一つの作品としてドッキングさせてフィルハーモニア協会に提出したのです。
そして出来上がった作品が「第九」です
交響曲のような作品形式においては、論理的な一貫性は必要不可欠の要素であり、異質なものを接ぎ木のようにくっつけたのでは座り心地の悪さが生まれるのは当然です。もちろん、そんなことはベートーベン自身が百も承知のことなのですが、何故かその様な座り心地の悪さを無視してでも、強引に一つの作品にしてしまったのです。
年末の第九のコンサートに行くと、友人に誘われてきたような人たちは音楽は始めると眠り込んでしまう光景をよく目にします。そして、いよいよ本番の(?)第4楽章が始まるとムクリと起きあがってきます。
でも、それは決して不自然なことではないのかもしれません。
ある意味で接ぎ木のようなこの作品においては、前半の三楽章を眠り込んでいたとしても、最終楽章を鑑賞するにはそれほどの不自由さも不自然さもないからです。
極端な話前半の三楽章はカットして、一種のカンタータのように独立した作品として第四楽章だけ演奏してもそれほどの不自然さは感じません。そして、「逆もまた真」であって、第3楽章まで演奏してコンサートを終了したとしても、?聴衆からは大ブーイングでしょうが・・・?これもまた、音楽的にはそれほど不自然さを感じません。
ですから、一時ユング君はこのようなコンサートを想像したことがあります。
それは、第3楽章と第4楽章の間に休憩を入れるのです。
前半に興味のない人は、それまではロビーでゆっくりとくつろいでから休憩時間に入場すればいいし、合唱を聴きたくない人は家路を急げばいいし、とにかくベートーベンに敬意を表して全曲を聴こうという人は通して聞けばいいと言うわけです。
これが決して暴論とは言いきれないところに(言い切れるという人もいるでしょうが・・・^^;)、この作品の持つ問題点が浮き彫りになっています。
いじけて屈折したココロに「喝!!」
今回この録音をアップするために、久しぶりに聴きなおしました。以前に「ミュンシュのベートーベンといえば9番に関しては昔から評価が高かったのですが、それ以外の作品もなかなかに立派なものです。」などと書いたのですが、やはりこの「第九」だけは他の交響曲とは一線を画すほどの素晴らしさであることを改めて確認しました。
実際にこの演奏を耳にすれば、何も言葉はいらないでしょう。
まさに、圧倒的な熱気に満ちあふれた演奏であり、数ある「第九」の名演の中でも間違いなくトップクラスに入る演奏です。そして、ミュンシュ以外のいかなる指揮者を持ってしても実現することが不可能だと思えるような強い個性が刻印された演奏であることも、その素晴らしさに華を添えています。
ミュンシュと言えば、真っ先に思い浮かぶのは最晩年にパリ管を相手に録音した幻想交響曲とブラ一でしょう。あの、ただならぬ熱気に満ちた演奏は、それを一度聴いてしまうと他の演奏は生ぬるくて聞いていられなくなるような魅力に満ちていました。
しかし、ボストン時代のミュンシュはそれとは対照的な明晰でクリアな演奏を基本的なスタイルとしていました。
しかし、なぜかこの「第九」だけが、その後のパリ管時代のミュンシュを思わせるような熱気に満ちた演奏になっているのです。さらに、一節一節、たたきつけるように強いアクセントをつけて音を刻み込んでいくようなスタイルはかなり「異形」です。しかし、その「異形」のスタイルを徹底することで尋常ならざる迫力が生み出されていくことにも気づかされます。
つまり、この「第九」は熱いだけでなく剛毅なのです。
もちろん、もう少し気持ちよく横に流れていくように演奏してくれた方が聞きやすいのにと言う意見もあるでしょう。しかし、ソリストから合唱陣に至るまでこの様式が徹底されていることから見ても、これは明らかにミュンシュの意志が貫徹したものだと言うことが分かります。
つまり、ミュンシュは、この「第九」という音楽を気分よく聴けるような「ふやけた音楽」にしようなどと言う気持ちは全く持っていなかったのです。
この剛毅にして熱い「第九」の演奏からは、アメリカの黄金時代だった五〇年代の時代精神が匂い立っているように思います。
ここには、弱さや迷い等というものは全く存在せず、ある種の肯定的気分に裏打ちされた直線的な熱さが横溢しています。ですから、じっくりと聞いていれば、その直線性に疑問が生じる場面がないでもないのですが、それでもこの開け放しの肯定感は、今のような屈折した時代にあってはまぶしいほどの輝きを持って迫ってきます。
こんな時代だからこそ、カラ元気であっても己に喝を入れなければいけません。ですから、閉塞状況もきわまった感のある二〇一〇年の暮れに、これほど相応しい「第九」はないでしょう。
いじけて屈折したココロに「喝!!」なのです。