クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~



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ショパン:バラード集(全4曲)


P:ルービンシュタイン1959年3月25&26日録音をダウンロード


ピアノによる物語



バラードというのは物語のことですから、これは基本的にピアノという「言語」を使った物語だと思います。
しかし、どういうわけか、音楽に物語性を持ち込むことは一段レベルが低くなると思う風潮がこの国にはあるようで、どの解説書を読んでも創作の動機となった物語の内容とこの作品の結びつきをできる限り過小に評価しようという記述が目立ちます。
とは言え、ショパンの研究家の間ではポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィッチのどの作品と結びつきがあるのかという研究は熱心されてきましたので、今日ではおおよそ以下のような対応関係が確定されているようです。

バラード第1番ト短調 作品23→→→「コンラード・ヴァーレンロッド」
バラード第2番ヘ長調 作品38→→→「魔の湖」
バラード第3番変イ長調 作品47→→→「水の精」
バラード第4番ヘ短調 作品42→→→どうもこれだけがミツキェヴィッチの詩とは関係ないらしい

もちろん、それぞれの作品がそっくりそのままミツキェヴィッチの詩と対応しているという事はありません。そういう意味では、R.シュトラウスの交響詩などのような「標題音楽」とは異なります。
しかし、優れたピアニストによる演奏でこの作品を聞くと、明らかに一つの物語を聞かされたような「納得感」みたいなものを感じ取ることができます。昨今の、指だけがよく回る若手ピアニストによる演奏を聴かされて何がつまらないからと言うと、この「納得感」みたいなものが希薄なことです。ピアノだけは派手に鳴り響くのですが、聞き終わった後に何とも言えない取り留めの無さしか残らないのは実に虚しいのです。

あまり専門的なことは分からないのですが、「スケルツォ」や「バラード」のような作品は、明らかに始まりの時点から終わりが意識されています。それは、「ノクターン」などにおいて、いろいろなフレーズが取り留めもなく流れくるような雰囲気とは大きく異なります。
たとえば、バラードの1番で冒頭のユニゾンを鳴り響かせたときに、それはコーダの「Presto con fuoco」に向けた明確な一本の線で結びついていなければいけません。
ある方は、こんな風に書かれていました。

「各動機、各音は前後のしがらみに囚われており、逸脱を許されない。沈鬱な主題が次々と現われ、それらは鬱積して怒濤をなし、ついには破滅的な終末を迎える。」

なんと上手いこと表現するのでしょう。
明らかに、この作品を生み出す原動力となったのはミツキェヴィッチの詩によって喚起されたショパンの内なるイメージです。しかし、作品というものはそれが生み出され発表されてしまえば、それは作曲家の手を離れて一人歩きします。
即物主義は、一人歩きを始めた作品の恣意的解釈を戒めて、作曲家の内なるイメージに迫ることを要求しました。しかし、このような作品ならば、演奏家はスコアから喚起された己のイメージに忠実に演奏することも許されるでしょう。少なくとも、お約束ごとの上に胡座をかいて、ひたすらスコアを正確に音に変換する作業を聞かされるよりは百倍は幸福なはずです。

バラード第1番ト短調 作品23
自分でピアノを演奏する人のなかでは非常に人気のある作品です。
そこそこ難しくて、そしてその苦労に見合うだけの華やかな演奏効果が期待できます。

シューマンはこの作品に対して「彼の作品のなかでは最も優れた作品とは言えないが、そこには彼の天才性が現れているように思われます。」などと、ほめているのか貶しているのか分からないような言葉を残しています。

バラード第2番ヘ長調 作品38
最初は牧歌的で伸びやかな音楽が奏され、それがやがて静かに幕が閉じられます。なんだこれは?とてもショパンの作品とは思えないような退屈で陳腐な作品じゃないか!!と思ったとたんに「Presto con fuoco」でピアノが爆発します。後は聞いてのお楽しみ・・・です。

シューマンは手紙の中で「その熱狂的なエピソードはあとから挿入されたものらしい。ショパンがこのバラードをここで演奏してくれたとき、曲がヘ長調で終わっていたのを思い出す。ところが今度はイ短調に変わっている。彼はそのとき、このバラードを書くためにミツキェヴィチのある詩(=「魔の湖」)から感銘を受けたと言っていた。しかし他面彼の音楽は詩人をしてそれに歌詞をつけさすような感銘を与えるだろう。」と書いています。

バラード第3番変イ長調 作品47

最も優雅な情緒に満ちていて、まさにパリの社交界の雰囲気を彷彿とさせる作品です。
シューマン曰く「フランスの首都の貴族的環境に順応した、洗練された知的なポーランド人が、そのなかに明らかに発見されるであろう。」
まさにおっしゃるとおりです。

バラード第4番ヘ短調 作品52

おそらく、ショパンの最高傑作の一つと言い切っていいでしょう。演奏する人にとってはさりげなく難しい箇所が多く、かといって華やかな演奏効果にも縁遠い作品なので、実に怖い作品でもあるようです。
ただし、気楽に聞くだけの人にとっては、これ一曲でその人が持っている表現力が分かってしまうので、実に面白い作品です。

奇妙な同居

ルービンシュタインというピアニストについてはかつてこんな風に書いたことがあります。
「ルービンシュタインはいわゆる天才肌のピアニストでした。
若くしてその能力を開花させ、おまけにあまり練習しなくてもそこそこは聴衆を満足させることの出来る能力を持っていました。その事をルービンシュタイン自身もよく知っており、若い頃の彼は練習嫌いの遊び人ピアニストでした。」

つまり、彼は20世紀前半の古き良き時代のピアニストの数少ない生き残りとも言うべき人でした。ただ、そう言う種族がほとんど死に絶えていく中で彼だけが生き残れたのは、ホロヴィッツへのコンプレックスと、そのコンプレックスを克服するために「修行僧のように」一からピアノのレッスンに取り組んだからでした。
ですから、彼のピアノを聞くと、強靱にピアノを鳴り響かせる確かなテクニックを感じ取ることができます。それは、彼が己に課した鍛錬の賜であり、その結果として彼の音楽は彼がかつて属していた古き良き時代の音楽とは似てもにつかないもののように聞こえます。
しかし、その反面、その強靱なテクニックによって構築される音楽は、同時代の若手ピアニストたちによる即物主義的な音楽ともどこか雰囲気が異なります。それは、どれほどテクニックが前面に出てきたとしても、その根底に、「音楽とは人を喜ばせるものだ」という信念が横たわっているからでしょう。

ピアニストの歴史をホロヴィッツで区分することには異論もあるでしょうが、あえてその区分を持ち込めば、ルービンシュタインというピアニストの中には、ホロヴィッツ以前と、ホロヴィッツ以後が奇妙な調和を保って同居していると言えるのかもしれません。
そして、その奇妙な同居ゆえに、彼のピアノは素晴らしいとは思うのだが、何を聞いてもどこか物足りないところが残るという感想が出るのもやむを得ないのかもしれません。
しかし、この奇妙な同居がギシギシと軋みを立てていた30年代の前半には、その緊張関係ゆえに素晴らしい音楽となって昇華していたように思います。ただ、このようなステレオ録音の時代になると、この奇妙な同居はすっかり安定してしまって、どこか平均点80点の音楽になってしまったように思います。
もちろん、常に80点をたたき出すというのは凄いことなのですが、聞き手は常に貪欲です。