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ショパン:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調  作品11

P:ポリーニ クレツキ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960年4月20日&21日録音


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告別のコンチェルト

よく知られているように、ショパンにとっての協奏曲の第1作は第2番の方で、この第1番の協奏曲が第2作目の協奏曲です。

1930年4月に創作に着手され、8月には完成をしています。初演は、同年の10月11日にワルシャワ国立歌劇場でショパン自身のピアノ演奏で行われました。この演奏会には当時のショパンが心からあこがれていたグワドコフスカも特別に出演をしています。

この作品の全編にわたって流れている「憧れへの追憶」のようなイメージは疑いもなく彼女への追憶がだぶっています。
ショパン自身は、この演奏会に憧れの彼女も出演したことで、大変な緊張感を感じたことを友人に語っています。しかし、演奏会そのものは大成功で、それに自信を得たショパンはよく11月の2日にウィーンに旅立ちます。

その後のショパンの人生はよく知られたように、この旅立ちが祖国ポーランドとの永遠の別れとなってしまいました。

そう意味で、この協奏曲は祖国ポーランドとの、そして憧れのグワドコフスカとの決別のコンチェルトとなったのです。

それから、この作品はピアノの独奏部分に対して、オーケストラパートがあまりにも貧弱であるとの指摘がされてきました。そのため、一時は多くの人がオーケストラパートに手を入れてきました。しかし最近はなんと言っても原典尊重ですから、素朴で質素なオリジナル版の方がピアノのパートがきれいに浮かび上がってくる、などの理由でそのような改変版はあまり使われなくなったようです。

それから、これまたどうでもいいことですが、ユング君はこの作品を聞くと必ず思い出すイメージがあります。国境にかかる長い鉄橋を列車が通り過ぎていくイメージです。ここに、あの有名な第1楽章のピアノソロが被さってきます。
なぜかいつも浮かび上がってくる心象風景です。

感心はしても感動はしない・・・と言えば言い過ぎでしょうか


ポリーニと言えば1960年のショパンコンクールで審査員全員一致で優勝しただけでなく、ルービンシュタインから「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と賛辞を送られた事でも名を馳せました。しかし、このような賛辞を受けながらも、彼自身は己の「若さ」を自覚していて、その後10年近くにわたって表だった演奏活動から身を引いたことも有名な話です。
今回紹介した録音は、ショパンコンクールで優勝し、演奏活動から身を引いてしまう前に行われた数少ない録音の一つです。(唯一の録音と言いたかったのですが、最近になってお蔵入りになっていた練習曲集の録音が日の目を見ました)
この後、彼は第一線の演奏活動からは身を引いてしまいますから、若きポリーニにを知る上ではきわめて貴重な録音だと言えます。

ポリーニと言えば「ギリシャ彫刻のような」と讃えられたクリアで粒のそろった音色が特徴なのです。この録音は、そのような優れたピアニズムが既に18歳にして完成していたことをはっきりと私たちに教えてくれます。。
とにかく、ここには「曖昧」という言葉は一切存在しません。普通のピアニストであれば、何となく雰囲気で弾きとばしてしまうような部分であっても、ポリーニの場合はその中に含まれるどんな小さな音をも曖昧にしないで弾ききっています。
これを聞けば、なぜにあのルービンシュタインが絶賛したのかがよく分かります。誰かが書いていましたが、このようなピアニズムこそが、ルービンシュタインが生涯をかけて求め続けながらも結局は手に入れることのできなかったものだからです。

しかし、そのような凄さは認めながらも、そして、心の底から感心はさせられはするものの、感動していない自分を否定できません。そして、これと同じような思いを、あのレビンのヴァイオリンにも感じたことを思い出しました。

楽器を演奏するスキルと音楽的感動は必ずしも等価ではないようです。言葉をかえれば、それは必要条件であっても十分条件ではありません。そして、この演奏を聴くときに、なぜにポリーニはこの後10年にもわたって表立った演奏活動から身を引いたのかがよく分かります。

彼はこの沈黙の後に、67年にいくつかのショパンの小品を録音しています。リリースされたのは、彼が本格的に演奏活動を再開した70年ですから、おそらくはポリーニとっては十分に納得のいくものでなかったのかもしれません。
しかし、その演奏はこの60年の協奏曲を演奏した人物と同一人物かと思うほどに雰囲気が変わっています。
60年にはひたすら淡々と演奏していたポリーニに、何とも言えない「艶」みたいなものが加わっていて、音色にも微妙な陰影が刻み込まれています。確かに、60年の演奏と比べるとクリアさみたいなものは後退していますが、それはテクニックに起因する問題ではなくて、音楽を音楽たらしめんとした結果です。
「音楽を音楽たらしめん」等というのは、実に持って回った抽象的な言い回しで申し訳ないのですが、言いたいことは、音楽に込められた作曲家の思いをしっかりと自分の中に取り込んで、その思いを演奏家が自分なりに解釈したものを自信を持って表出しているというような意味です。
こう言ったところで、あまり上手く表現できていませんね。(^^;

朗読にたとえれば、60年の協奏曲は一語一句違えることなく、そしてきわめて発音明瞭に淡々と読み上げたような演奏でした。しかし、67年の録音を聞くとき、ポリーニは物語に込められたメッセージを読み取り、そのメッセージを自分なりのイメージに託して「表現」しています。
そして、手にした楽器は違え、同じ時代に、ともに「天才」「神童」と讃えられながらもドロップアウトしてしまったレビンに、何が足りなかったのかを、このポリーニの軌跡は鮮やかに浮かびだしてくれます。
誰の言葉だったでしょうか、「まずは人であれ、そして次に芸術家であれ、さらに音楽家であり、最後にピアニストであれ」と言うことなのでしょう。

ただ、とんでもない「人でなし」だったのに、素晴らしい芸術家であり音楽家であった人が多いのがクラシック音楽の世界です。
ですから、最初の「まずは人であれ」は削除して、「まずは芸術家であれ、さらに音楽家であり、ピアニストであれ、可能ならばいい人であれば幸いかな」とでもした方がいいのかもしれません。
もっとも、それはもうポリーニとは関係のない話です。