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マーラー:交響曲第4番
バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル (S)レリ・グリスト 1960年2月録音をダウンロード
マーラーの間奏曲・・・?
この作品をそのようにいった人がいました。
2番・3番と巨大化の方向をたどったマーラーの作品が、ここでその方向性を変えます。ご存じのように、この後に続く5〜7番は声楽を伴わない器楽の3部作と言われるものです。
この第4番はそれらとは違って第4楽章にソプラノの独唱を伴いますが、それは前2作のように、声楽の追加によってよりいっそうの表現の巨大化を求めたものとは明らかに異なります。
牧歌的小景とか天国的な夢想と称されるこの作品の雰囲気をより高めるために、実に細やかな歌となっています。まさに、前期の2,3番と中期の4〜7番をつなぐ「間奏曲」というのはまさにこの作品を言い表すのにはぴったりの表現かもしれません。
しかし、そこはマーラーの事ですから、間奏曲と言っても普通に演奏すれば1時間近い作品ですから、一般的な交響曲のサイズから言えばかなりの大作であることは事実です。
とりわけ、第3楽章の美しいメロディは、ユング君の見るところでは、第3番の最終楽章と並んでマーラーが書いたもっとも美しい音楽の一つだと思います。
「マーラールネッサンス」の幕開け
日本がバブルの景気に沸き返っていた頃と軌を一にして「マーラーブーム」というものが沸き起こりました。どうせ一時のブームで終わるだろうと通のクラシックマニアたちは冷笑していたのですが、驚くべき事に、クラシック音楽における重要なレパートリーとして定着してしまいました。ただ、やってくる外来オケというオケが全てマーラーを演奏するというような事はなくなってしまいましたが、それは、逆に言えばスタンダードなレパートリーとして定着したと言うことです。
私はこんなサイトを運営しているために、古本屋さんのサイトを探し回って1959年から1969年までの「洋楽レコード総目録」なる雑誌を手元に置いています。有り難かったのは、こんな雑誌をほしがる人は皆無に近いようで、どの年度の雑誌も数百円で入手できたことです。
何故にこんな雑誌が必要かと言えば、日本における初出年を調べて、それぞれの録音がパブリックドメインになっているかどうかを確定するためです。著作権法では、隣接権は「はじめて発売された年から50年」となっていますので、「日本での初出」である必要はないのですが、さすがに「世界初出」は調べようがないので、取りあえずは「Pマーク」で初出が確認できない録音に関してはこの雑誌を頼りにしています。
それ以外にも、こういう雑誌を眺めていると面白い発見がたくさんあります。
それは、それぞれの時代に、どのような作品が好まれていたかが一目で分かることです。
例えば、このマーラーなどは、60年代の初頭にはほとんど忘れ去られた作曲家であったことが伺えます。62年の目録を見ると、交響曲はワルターの1番(ニューヨークフィルとのモノラル録音)と2番、ライナーとバーンスタインの4番だけしか載っていません。
ただし、大地の歌や歌曲はそれぞれ数種類が載っていますから、これを見る限りではオーケストラ伴奏による歌曲を作曲した人という位置づけだったようですね。
ところが、65年のカタログには1番、2番、4番、5番、8番、9番に数種類の録音が掲載されていますし、69年になると7番をのぞけば全ての作品を聞くことができるようになっています。ただし、例えば、62年に発売されたバーンスタインの3番は64年には姿が消えて、60年代には再発されることはなったというように、その人気の程度には限界があったようです。
こういう文脈に置いてみると、バーンスタインが手兵のニューヨークフィルを使って全曲録音を始めたと言うことは画期的なことだったと言えます。
そして、その第一弾として、この4番が選ばれたことは納得のいく話です。
編成が巨大であり演奏時間も長いマーラーの交響曲の中にあって、最もコンパクトで親しみやすい作品だからです。
クラシック音楽の録音史の中では、このバーンスタインの録音が「マーラールネッサンス」の幕開けだと言われます。
それは、マーラーの弟子であったワルターやクレンペラーとは異なった切り口でマーラーを解釈し紹介したという意味で画期的な演奏だったからです。
ワルターやクレンペラーの演奏というのは、師であるマーラーがしつこいほどに書き込んだ指示に必ずしも忠実ではありませんでした。それは、理解されがたい師の作品を少しでも理解してもらうための方便であったかもしれないのですが、「自分が気に入るよう」にねじ曲げた部分があったことは否定できません。
それと比べると、バーンスタインは、そう言うマーラーのスコアをしっかりと読み込んで、そう言う「しつこさ」にも深い共感を持って演奏しました。
おそらく、ニューヨークフィルとのマーラー演奏のキーワードは「共感」です。確かに、時にはその「共感」が深すぎて方向性を失うような場面も見受けられるですが、そう言う「熱さ」も含めて、我々が知らなかったマーラーの姿を提示したという意味では画期的な演奏だったといえます。
つまりは、私たちはバーンスタインの録音によって、はじめて(あまりこういう言葉は好きではないのですが)「本当のマーラー」と出会うことができたのです。
確かに、昨今の精緻極まるマーラー演奏を聞き慣れた耳には、あまりにもザックリしすぎた演奏に聞こえるかもしれません。しかし、そう言う精緻さを追いかけるがあまり、マーラー作品に本来内包されている「熱さ」が姿を消して、逆にひんやりした冷たさのようなものさえ感じられる演奏が増えている中に置いてみると、やはり未だに聞くに値する録音だと言えます。
また、この4番に関して言えば、第4楽章のレリ・クリストの歌唱は、未だに一つの到達点を示しているように思います。
レリ・クリストと言えば、モーツァルトやR. シュトラウスの作品でスーブレット役を演じることが多かったソプラノですが、その高音域に特徴のある声は、この「天国的な」第4楽章にはピッタリです。
なお、一部には、レリ・クリストのことを、このマーラーの録音以外では「さっぱり名前を聞かない」という人がいるようですが、それは間違いです。フィガロのスザンナやドン・ジョヴァンニのツェルリーナ等をうたって大活躍した素晴らしい歌手ですので、それだけは申し添えておきたいと思います。