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ハイドン:交響曲第101番 ニ長調 「時計」
クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960年1月録音をダウンロード
ハイドンの人気曲
「交響曲第○○番」とか、「作品番号○○番 嬰ハ短調」などと言うよりも、何かタイトルが付いている方が親しみやすさを感じるようです。この作品も、「交響曲第101番 ニ長調」と言うよりは「時計」と言うニックネームの方が親しみやすさを感じます。
ハイドンはその生涯に100をこえる交響曲を残しましたが、タイトルが付けられているものが少なくありません。「告別」「驚愕」「軍隊」「奇跡」などなどですが、それらのタイトルはハイドン自身によってネーミングされたものもありますが、後世の人が勝手に付けたタイトルもあります。この101番の交響曲につけられた「時計」というタイトルはハイドン自身によるものではなく、第2楽章の伴奏がスタッカートによって規則正しく刻まれる雰囲気が時計を連想させたようで、おそらくは19世紀に入ってからつけられたものだろうと言われています。
しかし、その様な特徴がある作品は他にもいくらでもあるわけで、とくにこの作品にその様なタイトルが冠せられたと言うことは、いかに当時のイギリスでこの作品の人気が高かったかという証明でもあります。
ハイドンの晩年を飾るザロモン交響曲はどれも素晴らしい作品ですが、とりわけ第2期ザロモンセットと呼ばれる99番から104番に至る作品群はハイドンの頂点を示すものであると同時に、初期古典派の頂点を示す作品です。とくにこの「時計」は、第3楽章に堂々たるメヌエットを配していて、さらに最終楽章はハイドンが書いた最もすぐれたフィナーレの一つだといえます。ユング君の個人的な感想としては、この「時計」と最後の104番の交響曲が最もすぐれたもののように思えます。
100を超えるハイドンの交響曲を概観してみると、その初期作品からここに至る道筋のはるかな道程には呆然とさせられるものがあります。そして、これを超えていくには、モーツァルトやベートーベンという異能(異常?)の人の存在が必要だったことを思えば、常識人であるハイドンがその刻苦勉励によってよくぞここまで辿り着いたものだと感嘆させられます。
まるでベートーベンの交響曲のように響きます
20世紀の指揮者列伝を書こうと思えば、クレンペラーの名前を落とすことなどは考えられないことです。しかし、彼の生涯を振り返ってみると、レッグとのコンビでフィルハーモニア管を手兵として膨大な録音を残さなければ、偏屈なトンデモ指揮者の一人として記憶の片隅に残る存在でしかなかったはずです。人の運・不運というのは分からないものです。
相次ぐ病気や大怪我で、何時命をなくしても不思議でないような人生を送ったにもかかわらず、70歳を目前にしてフィルハーモニア管という願ってもないパートナーを得たのですから。さらに言えば、彼を拾い出したレッグは、カラヤンの裏切り(EMIからドイツグラモフォンへの移籍)への対抗措置として、クレンペラーをフィルハーモニア管の常任指揮者に据え終身契約まで結んでくれたのです。もちろん、その期待に応えるだけの才能がクレンペラーにあったからですが、機会と運に恵まれず、虚しく埋もれていった多くの指揮者も少なくなかったでしょうから、彼の運の強さは尋常ではありません。
クレンペラーは、、この時代の巨匠としては守備範囲の広いタイプだったと思います。おおらかな時代でもありましたから、おそらくは、今すぐは売れなくても気にすることなく、クレンペラーが望むように録音がされたのではないかと思います。そのおかげで、私たちはこの偉大な指揮者による数多くの録音を持つことができました。
そんな幸いの中の一つも言うべきものが、この一連のハイドンの交響曲でしょう。
ハイドンというのは、かわいそうな存在です。「交響曲の父」などと言われながら、その作品が実際のコンサートで演奏されることは希です。録音においても、モーツァルトやベートーベンの陰に隠れて実に地味な存在であり、営業的にもそれほど売れるとも思えません。
ですから、録音するときは、ドーンと全集を作るとか、さすがにそれは大変だと言うときはザロモンセットだけはまとめて録音するとかしたようです。または「驚愕」とか「軍隊」とか「時計」などと言うニックネームのついた有名曲を録音するだけというのが良くあるパターンでした。
しかし、クレンペラーは、どうやら自分なりに「気に入った」作品だけを気ままに録音したような雰囲気があるのです。
1960年1月 録音
交響曲第98番変ロ長調
交響曲第101番ニ長調「時計」
1964年10月 録音
交響曲第88番ト長調
交響曲第104番ニ長調「ロンドン」
録音:1965年10月 録音
交響曲第100番ト長調「軍隊」
交響曲第102番変ホ長調
1970年2月 録音
交響曲第95番ハ短調
1971年9月 録音
交響曲第92番ト長調「オックスフォード」
ところが、この録音の全てが、実に素晴らしいのです。
ハイドンの交響曲というのは、下手の手にかかると実に持って退屈な代物です。大切なことは、職人ハイドンがそれぞれの作品に仕掛けた仕掛けを粋に再現してくれないといけないのですが、そのためにはビーチャムのウィットとか、ハイドンに負けないほどの職人技を発揮するセルのような精緻さが必要だと思っていました。
そんな時に出会って、こんな力業があったのか心底感心させられたのが、このクレンペラーによる一連の録音でした。
一番最初に録音された98番や「時計」だと多少は「真っ当」なのですが、それ以後の晩年の録音になると、まるでベートーベンの交響曲のように響きます。そして、104番「ロンドン」を彼の演奏で聞かされると、なるほどハイドンは真っ直ぐにベートーベンに繋がっていく存在であることを教えられるのです。
おそらく、クレンペラーのレパートリーの中にあって、ハイドンというのは周辺部に属するものでしょう。しかし、そうであっても、ハイドンをこのように再現した指揮者は後にも先にも彼だけです。彼以外では、絶対にこういうハイドンは聴けなかったという事実だけでも、この音のこの偉大さは記憶にとどめられる価値があります。