クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~



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ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調


(P)ミケランジェリ エットーレ・グラチス指揮、フィルハーモニア管弦楽団 1957年録音をダウンロード


軽やかで,そして輝かしい協奏曲



この作品はクラシック音楽といえば常についてまわる「精神性」とは異なった地平に成り立っています。深遠な思想性よりは軽やかで輝かしさに満ちた、ある意味では20世紀の音楽を象徴するようなエンターテイメントにこそこの作品の本質があります。

ラヴェルは1928年に4ヶ月間にわたるアメリカでの演奏旅行を行い大成功をおさめました。その成功に気をよくしたのか、早速にも2回目の演奏旅行を計画し、その時のために新しいピアノ協奏曲の作曲に着手しました。途中、「左手のためのピアノ協奏曲」の依頼が舞い込んだりしてしばしの中断を強いられましたが、1931年に完成したのがこの「ピアノ協奏曲 ト短調」です。

これはある意味では奇妙な構成を持っています。両端楽章はアメリカでの演奏旅行を想定しているために、ジャスやブルースの要素をたっぷりと盛り込んで、実に茶目っ気たっぷりのサービス精神満点の音楽になっています。ところが、その中間の第2楽章は全く雰囲気の異なった、この上もなく叙情性のあふれた音楽を聴かせてくれます。とりわけ冒頭のピアノのソロが奏でるメロディはこの上もない安らぎに満ちて、もしかしたらラヴェルが書いた最も美しいメロディかもしれない、などと思ってしまいます。
ところがこの奇妙なドッキングが聞き手には実に新鮮です。まさに「業師」ラヴェルの真骨頂です。

なお、この作品はラヴェル自身が演奏することを計画していましたが、2回目の演奏旅行の直前にマルグリット・ロンに依頼することに変更されました。初演は大成功をおさめ、アンコールで第3楽章がもう一度演奏されました。その成功に気をよくしたのかどうかは不明ですが、作品は初演者のマルグリット・ロンに献呈されています。

「折り目正しさ」をこの上もなく精緻に描き出した演奏

お恥ずかしながら、メールで「ラヴェルのピアノ協奏曲といえばフランソワと双璧の名録音、ミケランジェリ盤があり(確か著作権の期限は切れているはず)、ぜひそちらもアップしていただければと思います。」と教えていただくまで、この録音のことは全く頭にうかんでいませんでした。
そんな録音あったのかな・・・、とゴソゴソと探してみると出てきました。この辺り、自分で自分を褒めてあげたくなるほどの収集魔(^^;、そして、聞かせていただきました。

すっかり感心させられました。
やはり、ラヴェルはこういう風に演奏しなくっちゃいけません!!

そして、私がフランソワの演奏を聴いて、何故に気に入らなかったのかをしっかり分からせていただきました。
ミケランジェリのピアノは、「お前さんがフランソワが気に入らなかったのは、こういうことだろう」と語りかけてくるような気がしたほどです。もっとも現実は、フランソワの方があとから録音していますから、そんなことは有り得ないのですが。

私がラヴェルを受容できるのはその「折り目正しさ」みたいなものがあるからだと書きました。
ミケランジェリのピアノは、そう言う「折り目正しさ」をこの上もなく精緻に描き出していってくれます。言葉をかえれば、精密機械のように精緻なラヴェルのスコアが、精密機械のようなミケランジェリのピアノによって、この上もなく精緻な音へと変換していく様を見せつけてくれるといえばいいのでしょうか。
ジャズ的なイディオムであっても、全てが枠の中で折り目正しく表現されていきますから、奔放さは全くありません。ですから、これが気に入らないという人はいるでしょう。きっといると思います。
フランソワとクリュイタンスによる協奏曲と比べると、まるで別の音楽を聴いているような気になります。

しかし、それは、ミケランジェリがいいとか、フランソワの方がいいとかいう話ではないでしょう。
おそらくは、そう言う価値の優劣ではなくて、音楽というものに対するもっとも本質的な部分における指向性を判別するためのリトマス試験紙のようなものだと言った方がいいのでしょう。
そう言う意味では、この二つの録音をじっくりと聞き比べてみるというのは、実に面白い体験だと言えそうです。

また、このミケランジェリのピアノに伴奏をつけているエットーレ・グラチスなる指揮者に関しても全く知るところのない人だったのですが、非常に鋭角的でクッキリとした額縁を作り出してくれていて好ましく思えました。
その事も、忘れずに付けくわえておきましょう。