クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~


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ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」

ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960年2月13&15日録音




わかりやすさがなにより・・・でしょうか

短調の作品ばかり書いてきたブルックナーがはじめて作曲した長調の作品がこの第4番です(変ホ長調)。この後、第5番(変ロ長調)、第6番(イ長調)、第7番(ホ長調)と長調の作品が続きます。

その中にあっても、この第4番は長調の作品らしい明るい響きと分かりやすい構成のためか、ブルックナー作品の中では早くから親しまれてきました。
「ロマンティック」という表題もそのような人気を後押ししてくれています。

この表題はブルックナー自身がつけたものでありません。弟子たちが作品の解説をブルックナーに求めたときに、ブルックナー自身が語ったことをもとに彼らがつけたものだと言われています。
世間にはこのような表題にむきになって反論する人がいるのですが、(曰く、絶対音楽である交響曲にこのような表題は有害無益、曰く、純粋な音楽の美を語るには無用の長物、などなど・・・)ユング君はけっこう楽しんでいます。それに、この作品の雰囲気に「ロマンティック」と言う表題はなかなか捨てたもんではありません。

それから、ブルックナーというと必ず版と稿に関わる問題がでてきます。この4番についても1874年に作曲されてから、81年に初演されるまでに数え切れないほどの改訂を繰り返しています。そういう詳細にこだわるブルックナーファンは多いのですが、ユング君にはその詳細をおってここに詳述する能力もやる気もありませんので、そういう情報が必要な人は別のサイトを当たってください。(メールで訪ねられても困ります・・・よろしく!)

「従心」の音楽


引き続き、一点集中型の視聴スタイルが続いていて、今はワルター最晩年のコロンビア響との録音に集中しています。
この一連の録音は、ブラームスの4番やベートーベンの田園、マーラーの巨人のように「名演」の誉れの高いものも存在しますが、一般的にはあまり評判がよろしくありません。曰く、オケの編成が小さくて響きが薄い、曰く、功成り名を遂げた巨匠の手すさびの芸、曰く、ワルター本来の持ち味が発揮されていない、等々です。

しかし、今回、こういう形で集中的に視聴してみると、そのような批判にはそれなりの根拠があることは認めながらも、今まで気づかなかったいくつかの側面にも気づかされました。今回は、そう言ういくつかの「発見(と言うほど大層なもんではありませんが)」について書いてみたいと思います。

まず第一に感じたのは、驚くほど録音のクオリティが高いという事です。
このワルターの最晩年の録音は、私がクラシック音楽などと言うものを聞き始めた若い頃に、一番安い1300円で売られていたシリーズでした。30年ほど前は、レコードは新譜で2800円、再発で2000円、もう一声安いもので1800円というのが通り相場でした。
そんな時代に、このワルターやセルの録音が1300円で発売されていて(それ以外ではEMIのエンジェルシリーズというのが1300円でした)、金のない若者にとっては有り難い廉価盤でした。ですから、今も探せば、ワルター&コロンビア響の録音は全てアナログレコードで手元にあるはずです。
しかし、当時は、それらのアナログレコードを聴いて録音がいいと思ったことは全くありませんでした。
例えば、今回アップしたマーラーの9番などは、音の塊がワンワン鳴っているような感じで、まさかこんなにも一つ一つの楽器の響きがクリアにとらえられていたなどとは想像もできませんでした。
おそらく、1300円という廉価盤ゆえの盤質の悪さと再生装置のチープさが相乗効果を発揮したのが原因でしょう。

今回、この一連の録音を聞いてみて、そのどれもが驚くほどに透明度が高く、内部の見通しが極めて良いことに驚かされました。もちろん、テープヒスなどが気になる部分はありますが、その見通しの良さは最新の録音と比べてもほとんど遜色を感じないレベルに達しています。

二つ目は、世間で言われるほどにコロンビア響は悪くないと言うことです。
響きの薄さやアンサンブルの雑さが批判されるのですが、なかなかどうして、立派なオケです。

おそらく、ワルターはオケをしっかり統率しようという気はなかったと思います。指揮もそれほど明瞭なものではなかったでしょう。
しかし、そう言うワルターをしっかりとサポートして、その心の歌が形あるものに仕上がっているのはこのオーケストラの献身によるものです。
確かに、響きの質はワルターの音楽とはいささかミスマッチな面はありますが、決してアンサンブルが雑だと非難されるようなレベルではないと思います。また、ブルックナーやマーラーなどを聞くと、なかなかにパワフルで豊かな響きを出していて、巷間言われるほどに響きの薄さは気になりません。

そして最後に気づいたのは、この一連の録音は全て「従心」の音楽になっていると言うことです。
「従心」とはいうまでもなく、「心の欲する所に従ひて矩を踰えず」です。

考えてみれば、ワルターという人は時代に翻弄されて随分と苦労をした人です。とりわけ、アメリカに亡命してからはロマン的な音楽のスタイルから即物的なスタイルへと、自らの音楽的なスタイルを変えてまでも、巨匠としての地位を維持した人でした。
そんな苦労人が、一度は引退を決意したあとに引っ張り出されて録音したのがこのシリーズです。
おそらくは、もう無理なことはしたくなかったのでしょう。

ここでのワルターは、己の欲するままに音楽を楽しんでいます。そのように私には聞こえました。
商業的な成功とか、芸術的な評価という「野心」とは無縁に、ただただ己の欲するままに指揮棒を振っています。
ただ、さすがにワルターは凄い!と思うのは、そのようなわがままに徹しながら、決して矩は踰えていないことです。
その意味で、「心の欲する所に従ひて矩を踰えず」という「従心」の音楽になっていると思った次第です。(なお、「従心の音楽」というのは私の全く勝手な造語ですのでご注意あれ)

と言うことで、結果として、ワルターは自らの音楽的遺言を残すことができました。
もちろん、ワルターには自らの遺言を残すなどと言う大それた思いはなかったでしょうが、結果として「従心」の音楽となったが故に全ての録音が彼の音楽的遺言となりました。
さらに言えば、それらの遺言は、優れたオケと優れた録音によって極めて良質な形で残すことができました。

時代に翻弄された苦労人に、最後の最後に音楽の神様が微笑んだと言うことなのでしょう。