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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104


ミュンシュ指揮 (Vc)ピアティゴルスキー ボストン交響楽団 1960年2月22日録音をダウンロード


チェロ協奏曲の最高傑作であることは間違いありません。



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
特徴
この協奏曲は、アメリカ時代の終わり、チェコへの帰国直前に書かれた作品で、ボヘミアの音楽と黒人霊歌やアメリカン・インディアンの音楽を見事に融和させた作品として名高い(これについて、芥川也寸志は「史上類をみない混血美人」という言葉を贈っている(『音楽を愛する人に』1971年)。

この作品の主題が原住民インディオや南部の黒人の歌謡から採られたという俗説があるが、これについては作曲者自身が友人のオスカール・ネダブルに宛てて 1900年に書いた手紙の中で明快に否定しており、その後の研究でもそのような歌謡は見つかっていない。こうした誤解は、この作品がいかに親しみやすい旋律に満ちているかを物語る証左であるが、それと同時に独奏チェロの技巧性を際だたせる場面にも富んでいる。また、低音の金管楽器を巧みに用いることで、シンフォニックで、かつ柔らかな充実した響きをもたらすことにも成功している。コンチェルトには異例な程オーケストラが活躍する曲であり、特に木管楽器のソロは素晴らしい。さらには、主題操作の妙や確かな構成と、協奏曲に求められる大衆性と芸術性を高度に融合させた傑作である。

この作品を知ったブラームスは「人の手がこのような協奏曲を書きうることに、なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、とっくに自分が書いただろうに」と嘆息したと伝えられる。


作曲の経緯
1894年11月から翌1895年2月にかけて作曲された。きっかけは同郷のチェロ奏者、ハヌシュ・ヴィハンからの依頼である。作曲が一度完了後、第3楽章に大幅に手が入れられている。この修正は後述するドヴォルザークの個人的事情によるものだった。

1895年8月にドヴォルザークのピアノ伴奏で試弾したヴィハンは、ソロパートが難しすぎるとの感想を述べ修正を提案したがドヴォルザークは納得せず、カデンツァを入れようと言う提案には激怒。ついには世界初演をヴィハンではなくレオ・スターンに任せるといった一幕もあった。


初演
1896年3月19日、ロンドンのフィルハーモニー協会。独奏は先に述べたようにレオ・スターン、作曲者自身の指揮によるロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。

依頼者のヴィハンはチェコでの初演を担当し、この曲を献呈されている。


楽器編成
独奏チェロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン3、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル、弦楽五部


楽章構成
Allegro
Adagio ma non troppo
Allegro moderato
演奏時間は全曲で約40?45分


楽曲の内容
第1楽章は、ロ短調で比較的厳密なソナタ形式に則った楽章。曲の冒頭でクラリネットがつぶやくように奏でる主題が第1主題である。第2主題はホルンが演奏するニ長調の慰めに満ちた主題。オーケストラがこれらの主題を提示し、確保した後、独奏チェロが第1主題を奏で、その動機をカデンツァ風に発展させながら登場する。速い動きの経過句を経て第2主題を独奏チェロが奏で、提示部コーダから展開部へと移る。再現部は、オーケストラが第2主題を演奏して始まり、独奏チェロがこれを繰り返す。ついで提示部のコーダ、第1主題の順に再現される。最後はロ長調によるトゥッティによる短いコーダで力強く終わる。
第2楽章はト長調、三部形式。ドヴォルザークのメロディーメーカーとしての天賦の才能がいかんなく発揮された、抒情性に満ちた旋律を堪能できる緩徐楽章。のどかな主題が最初木管楽器で提示され、これを独奏チェロが引き継ぐ。木管と独奏チェロが掛け合いで進行するうち徐々に他の弦楽器も加わり発展させてゆく。中間部はオーケストラの強奏で表情を変えて始まるが、すぐに独奏チェロがほの暗い主題を歌い上げる。この主題はドヴォルザーク自身の歌曲「一人にして」op.82-1 (B.157-1)によるものである。やがて第1主題が、ホルンに再現され、第3部に入る。独奏チェロがカデンツァ風に主題を変奏し、最後は短いコーダで静かに終わる。
第3楽章はロ短調のロンド形式。ボヘミアの民俗舞曲風のリズム上で黒人霊歌風の旋律が奏でられるドヴォルザークならではの音楽である。ロンド主題の断片をオーケストラの楽器が受け渡しながら始まり、やがて独奏チェロが完全なロンド主題を演奏する。まどろむような第1副主題、民謡風の第2副主題といずれも美しい主題がロンドの形式に則って登場する。終わり近くで、第1楽章の第1主題が回想されると急激に速さを増して全曲を閉じる。

逸話
ドヴォルザークがこの曲で自身の歌曲を引用したのには理由があった。ニューヨークで作曲中に、夫人の姉であるヨセフィーナ・カウニッツ伯爵夫人(彼が若き日に想いを寄せた人でもある)が重病であると言う知らせを聞いたドヴォルザークは、彼女が好んでいた自作の「一人にして」を引用した。

1895年の4月にドヴォルザークは家族と共にプラハへと帰国。その1ヵ月後、彼女は亡くなった。第3楽章のコーダは、このときに第1楽章の回想と再び歌曲の旋律が現れるものに書き換えられている。この60小節は修正前は4小節しかなかった。

研究家達によれば、習作のチェロ協奏曲を書いていた時期と、彼女への想いを募らせていた時期がほぼ一致していることから、これらは当時の彼女への想いを振り返り、その後も親しくしていた彼女への感謝が込められていると考えられている。ヴィハンの修正などの提案にドヴォルザークが気分を害した(ヴィハンに「1つも音を変えてはならない」と念押しする書簡まで書いている)のも、彼にしか分からない気持ちがこめられていたからであった。

ミュンシュ&ボストン響による合わせものを二つ聞きました。



ミュンシュという指揮者は結構わがままな部分が強くて、合わせものはあまり得意ではないというイメージがあったのですが、なかなかどうして、両方ともに立派な演奏を聴かせてくれています。
ただし、その「立派」というのは、ソリストを立てて痒いところに手が届くような行き届いた演奏をしているという意味での「立派さ」ではありません。もっとも、ミュンシュにそのようなものを求める人もいないでしょうし、期待するようなソリストもいないでしょう。

ソロ楽器の伴奏みたいな部分では「つまらんなぁ・・・」という雰囲気で演奏しているのですが、オケが主役になる部分にくると、待ってましたとばかりに力がこもるのです。もちろんミュンシュのことですから、そうやって盛り上がるオケの響きは一筆書きのような勢いに満ちていて、今時こんな風に勢いだけでオケを引っ張るような指揮者は絶滅しています。
しかし、チマチマとした精緻さばかり求めるような音楽ばかりを聞かされていると、こういう「荒っぽさ」も魅力に思えてきます。

当然のことながら、ソリストにとってはいささか迷惑な部分もあるのですが、取りあえずちゃんと合わせましたよ!と言うようなオケよりはやり甲斐はあるでしょう。

シェリングのヴァイオリンは一言で言えば「ノーブル」!!
ともすれば下品になってしまいがちなチャイコフスキーなのですが、決して曲線的になることなく男性的で凛とした佇まいを崩しません。甘くてロマンティックなものを求める人には向きませんが、辛口指向の人にはもってこいの演奏です。
また、シェリング主体で録音したような雰囲気が強くて、ヴァイオリンの響きが大きめで前に出てくるような雰囲気のサウンドデザインです。よって、ミュンシュにとっては不満でしょうが、オケは「伴奏」という位置づけの録音のように聞こえます。

それに対して、ドヴォルザークのチェロ協奏曲では、実際のコンサートで聞こえるようなバランスで録音されています。そのために、一番最初にチェロが入ってくる部分はおとなしく聞こえてしまって、なんだかつまらない感じがしてしまいます。もしかしたら、この部分を聞いただけで「つまらん」と思ってストップボタンを押してしまう人がいるかもしれません。(それって、私のことだったりして^^;)
しかし、そこで諦めずに聞き続けると、次第にピアティゴルスキーのしみじみとしたチェロの響きが次第に心に染みてきます。
ひと言で言えば、これは「大人の音楽」です。
確かに、出始めの部分でガツーン!と聞き手の耳をとらえるのはソリストとしての芸でしょうが、ピアティゴルスキーはそのような下品なことはしません。
まあ、慌てなさんな、最後まで話をじっくり聞いてくれれば、少しは俺の言いたいことも分かってくれるだろう・・・と言う風情です。そして、その言いたいことも、決して大袈裟な身振りで語られることはないのですが、実に繊細にして細やかな話しぶりです。
そして、それを支えるミュンシュのオケは、基本的にチャイコフスキーの時と変わりません。オケが主役になる部分にくると、実に嬉しそうにガツーンと鳴らしています。
ミュンシュという人は、年を取ってもそう言う子どもみたいな無邪気さを失わなかった人なんだなと感心させられます。
この、大人と子ども組み合わせみたいなドヴォルザーク、意外なほどに面白い音楽に仕上がっています。

両方ともに、今となってはかなり影の薄くなった録音ですが、ともに聞く価値は今の時代になっても失ってはいないように思います