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ドビュッシー:ベルガマスク組曲より「月の光」


ストコフスキー指揮 ストコフスキー・シンフォニー・オーケストラ (fl)ジュリアス・ベイカー 1957年2月5&8日録音をダウンロード


ドビュッシーのピアノ作品の中では最も有名な作品



アラベスクに続いてドビュッシーが着手した作品であり、その親しみやすい旋律から彼の作品の中では最もポピュラーな作品だと言えます。とりわけ、第3曲「月の光」はドビュッシーの名刺代わりと言ってもいい作品で、これ単独で演奏されることも多いです。

さて、このベルガマスクという曰くありげなネーミングですが、これはよく知られているようにローマ留学の時に立ち寄ったイタリアのベルガモ地方に由来しています。しかし、作品の内容とベルガモ地方の間には何の関係もないようで、その言葉のニュアンスから来る古風な宮廷音楽という雰囲気を表したかったようです。
実際、この時代のドビュッシーは古典的な舞曲や古い教会旋法などを使って、後期ロマン派が迷い込んだ袋小路からの脱出をはかっていました。これは、実に面白いことで、ラヴェルもドビュッシーもバロック期の古典音楽に傾倒していき、そこから新しい音楽を切り開くヒントを得ようとしていました。
しかし、そこから誰も気づかなかった響きを聞き取り、その響きを使って誰も思いつかなかったような世界を切り開いていったのはドビュッシーの方でした。同じように18世紀のフランス古典音楽に傾倒しながらも、ラヴェルがそこから得たものは古典的な明晰さと簡潔な形式美でした。
二人は同じものを見ながら、お互いに随分と異なる世界へと突き進んでいったわけです。
個人的に言えば、そう言うドビュッシーの響きの「世界」がどうしてもなじめないがゆえに、長く「敬して遠ざけ」てきました。それと比べれば、古典的な明晰さと簡潔さを持ち続けたラヴェルははるかに親しみやすい作曲家だったのです。
ただし、ここで聞くベルガマスク組曲は、その様な新しい世界に突き進んでいく手間にある作品であり、その当時のフランスのサロン音楽の雰囲気をただよわせています。その辺が専門家的に言えば物足りないのでしょうが、成熟したドビュッシーに苦手意識を持つユング君のような人にとっては聞きやすく親しみやすい音楽だと言えます。

1. 前奏曲(Prélude)
2. メヌエット(Menuet)
3. 月の光(Clair de Lune)
4. パスピエ(Passepied)

グラマラスなドビュッシー

「ドビュッシーは苦手」と、あちこちでふれてまわっています。その最大の原因は、おそらく、「軽さ」にあるのでしょう。その茫漠たる響きの中に浮かび上がるカルさの世界がどうにもこうにも私の好みと合わないのでしょう。
ですから、ドビュッシーが本当に好きな人からすれば避けて通りたいこういう演奏が、私にとってはかえって好ましく思えてしまいます。

このストコフスキーによるドビュッシーは、ひと言で言えば「グラマラスなドビュッシー」です。
例えば、ジュリアス・ベイカーがフルートソロを担当している「牧神の午後」などは、その太めの音色がドビュッシーの「軽さ」を蹴散らしてくれます。そして、それを支えるストコフスキーの棒も濃厚な響きで、この上もなく官能的な世界を描き出してくれます。
そして、そう言うスタイルは「月の光」でも同じです。

しかしなのです、考えてみればドビュッシーのお里はワーグナーです。
もちろん、「牧神の午後への前奏曲」や「ベルがマスク組曲」が生み出されたのは、二度にわたるバイロイト訪問でワーグナーとは異なる世界に踏み出す決意をした後ですから、そこにワーグナーの残滓を見いだすのはお門違いなのは分かっています。しかし、ストコフスキーとベイカーという芸人二人の手になると、そんな音楽史的意味づけなどはどこかに吹っ飛んでしまって、いとも容易く万人受けするスタイルに変わってしまうのが実に面白いのです。

そして、こういう演奏を聴くと、「やっぱり、みんな本当はドビュッシーは苦手なんだな」と一人安心をしたり、納得したりしてしまいます。
とはいえ、決してスタンダードな演奏ではないので、こう言うのでファーストコンタクトするのは好ましくないでしょう。そのあたりが、難しいところです。