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ヘンデル:オラトリオ「メサイア」 HWV.56


ボールト指揮 ロンドン交響楽団&合唱団 (s)ジョーン・サザーランド他 1961年5月、8月録音をダウンロード


年末の裏定番



年末行事の定番と言えばクラシックの世界ではいうまでもなく「第9」ですが、このメサイアは「裏定番」ともいうべき存在です。毎年毎年第9ばっかりではあきるようなぁ!と言う話が出たのかどうかは知りませんが、クリスマスを中心としてアマチュアの合唱団がよく取り上げるようになっています。

このメサイアは「オラトリオ」という音楽形式なのですが、調べてみますと「宗教的道徳的内容の歌詞による叙事的な音楽作品。独唱、合唱、オーケストラなどを使用するが、舞台装置や演技を用いない点でオペラと異なる。」と書かれています。オラトリオとは、教会の祈祷室(オラトリウム)が語源となっているようで、本来は祈祷室などで宗教上の物語をわかりやすく伝えるための音楽作品だったそうです。

メサイアもそのような伝統に則って、次のような宗教的な題材を取り上げています。
第1部 救世主キリストの出現の預言と誕生
第2部 キリストの受難と死、復活
第3部 この世の終焉と最後の審判、永遠の生命

しかし、ヘンデルの時代になるとオラトリオは教会よりは大規模なオペラ劇場で演奏されるようになります。このメサイアなどはもとからその様な大規模劇場での上演を前提として作曲されており、教会で演奏されることはほとんどなかったようです。
つまり、衣に宗教はまとっていても、その実態はエンターテイメントにあったということです。実際、「メサイア」の台本を提供したチャールズ・ジェネンズは無神論者だったと言われています。
ですから、聞いてみれば分かるように、これは限りなく「オペラ」に近づいています。たとえヘンデル自身が自らが書いたハレルヤの合唱に「自分の目の前に天国の一切と、偉大な神を見たような気がする」と語ったとしても、この作品の本質は宗教音楽ではなく劇場音楽であるように想います。(こんな事を書くとクリスマスの時期にこの作品を一生懸命取り上げている教会関係者からお叱りを受けるかな・・・、それにそんな偉そうなことを書きながら楽曲のカテゴリーは宗教音楽に入れているし・・・^^;)

なお、この作品は18世紀にはいると当時のイギリス中産階級に広まった合唱運動の中で圧倒的に支持され、コヴェントガーデン劇場のオラトリオ・シリーズの締めくくりとして必ず演奏されることが習わしとして定着していきます。この風習がやがて日本にも伝わってきたのか、今日ではこのイギリスから遠く離れた極東の島国でも、年末の裏定番の地位を獲得するまでに至っているわけです。

伝統的な模範的メサイア演奏

掲示板のリクエストコーナーでビーチャム指揮によるメサイアを所望されていました。59年録音のグーセンス編曲による録音です。
この編曲というのがくせ者で、著作権に関わるとらえ方が諸説あっていまいちはっきりしません。しかし、最も厳しく、創作と同じように取り扱うと、作曲家だけでなく編曲家の権利も死後50年保護されると言うことになります。ですから、リクエストされても駄目だな・・・と、思っていたのですが、調べてみると編曲を行ったグーセンスは1962年に亡くなっています。何と、今年で「死後50年」という基準をクリアするのです。
しかし、これだけでは駄目です。イギリス人であるグーセンスには戦時加算という敗戦国に日本に対するペナルティがあって、さらに10年以上の保護期間が加算されます。だから、死後50年だけでは駄目なんですね・・・と思って調べてみると、何とこの編曲はビーチャムの録音のために行われたものであることが分かったのです。
これが何を意味するかと言いますと、グーセンスの編曲は59年の録音のために行われたものですから、彼の「編曲」という行為はサンフランシスコの講和条約が発効したのちに行われたと言うことになります。そして、戦時加算というペナルティは講和条約発効後の創作行為には課されないことになってますので、つまりは「死後50年」という基準さえクリアすればこの録音はパブリックドメインとなるのです。当然のことですが、演奏の方も初発から50年以上が経過していますので隣接権に関してもクリアしています。

なるほど、それはめでたいと言うことで、早速アップしようかと思ったのですが、「いや、待てよ・・・」と思ってしまいました。
どう考えても、あのグーセンス編曲によるビーチャム盤はメサイアを初めて知る上では相応しい録音だとは言えません。それは、決して、つまらないというわけではなくて、あまりにも異形のメサイアであるからというのが理由です。
ビーチャムは、この作品がもともとから祝典的な性格を持った作品であることに着目して、この録音に際しては今までの常識を覆すような派手な演奏にしたいと考えました。そして、そのような演奏にすべく依頼したのが、諸般の事情で(^^;不遇を託っていたグーセンスでした。グーセンスもまた、諸般の事情で結構暇だったので、それこそ持てる力の全てをつぎ込んでド派手なメサイアに仕立て直しました。
そうして出来上がったのが、59年録音のビーチャム盤だったのです。

つまりは、グーセンス編曲によるメサイアは、いくつかの真っ当なメサイアを聞いた後に聞いてみてその面白さがより際だつという性格を持っているのです。
ですから、その前に、一つくらいは「真っ当なメサイア」をアップしておいた方がいいんじゃないだろうか・・・と思った次第です。そうして、探し出してきたのが、このボールトによる61年録音のメサイアです。

 サー・エードリアン・ボールト(指揮)
  ロンドン交響楽団&合唱団
  
 ジョーン・サザーランド(ソプラノ)
 グレース・バンブリー(アルト)
 ケネス・マッケラー(テノール)
 デイヴィッド・ウォード(バス)
 ジョージ・マルコム(チェンバロ)
 
美しいメロディの宝庫とも言うべきこの作品をゆったりとしたテンポで悠然と歌い上げていきます。おそらく、これほど遅いテンポで歌い上げられたメサイアは他にはないのではないでしょうか。クレンペラーも64年にこの作品を録音していますが、私の記憶ではここまで遅くはなかったような気がします。
しかしながら、ともに、雄大な演奏に仕上がっていますね。
ただし、その雄大さの性質が随分と異なるような気がします。
クレンペラーの方はいささかぶっきらぼうな感じを与えつつも建築物のような雄大さを築き上げていきます。それに対して、このボールトのメサイアはどこまで行っても優しさにあふれていて、ある種朗々たる雄大さを演出しています。聞いていて、何とも言えず心が優しくなってくるのはこのボールト盤です。

実にもって素晴らしい演奏だと思います。