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R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30
カラヤン指揮 ウィーンフィル 1959年3月23日?4月9日録音をダウンロード
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30「Einleitung (導入部)」
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30「Von den Hinterweltlern (世界の背後を説く者について)」
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30「Von der grosen sehnsucht (大いなる憧れについて)」
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30「Von den Freuden und Leidenschaften (喜びと情熱について)」
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30「Das Grablied (墓場の歌)」
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30「Von der Wissenschaft (学問について)」
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30「Der Genesende (病より癒え行く者)」
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30「Das Tanzlied (舞踏の歌)」
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30「Nachtwandlerlied (夜の流離い人の歌)」
冒頭部分があまりにも有名です
これはタイトルの通り、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」に影響を受けて創作された交響詩です。
とにかく冒頭の、「太陽をクレーンで吊り上げる」と形容された部分が「2001年宇宙の旅」で使われてすっかり有名になりました。私の職場で、同僚から「2001年宇宙の旅のCDを貸してほしい」と頼まれたので、「あー、ツァラトゥストラはかく語りきだね」と答えると、「そんな曲じゃなくて、2001年宇宙の旅ですよ!!」という感じで全く話がかみ合わなかったことがありました。
ややこしいので、「はいはい!」と言って後日CDを手渡したのですが、それでも彼は「2001年宇宙の旅の後ろに、訳のわかんない音楽が延々と続いている!」とのたまっておりました。
まあ、それくらい、この冒頭部分は有名です。
ちなみに、全体の構成はあの有名な冒頭部分(導入部)を含めて以下の9つに分かれています。
1. Einleitung (導入部)
2. Von den Hinterweltlern (世界の背後を説く者について)
3. Von der großen sehnsucht (大いなる憧れについて)
4. Von den Freuden und Leidenschaften (喜びと情熱について)
5. Das Grablied (墓場の歌)
6. Von der Wissenschaft (学問について)
7. Der Genesende (病より癒え行く者)
8. Das Tanzlied (舞踏の歌)
9. Nachtwandlerlied (夜の流離い人の歌)
作品はニーチェの「超人思想」に深く共感したと言うよりは、ニーチェの著作から気に入った部分を抜粋して音楽的に表現したエッセイみたいな雰囲気の作品と言った方がいいのかもしれません。作品全体が一つの統一感のもとにまとめられていると言うよりは、次々と風景が変わっていくような風情を楽しめば、「訳のわかんない音楽が延々と続く」のも我慢できるかもしれません。
それと響きのゴ−ジャスな事!!
あまり難しいことを考えずに、エンターテイメント的に楽しむ音楽なのでしょうね。
カラヤンのデッカ録音
カラヤンはEMI&レッグとのコンビを解消するとドイツ・グラモフォンに移籍するのですが、何故かその移行期にデッカ&カルーショーとのコンビで20枚近いアルバムを作成します。1959年から1965年にかけての話です。このアルバムの素敵なことはオーケストラが全てウィーンフィルだと言うことです。
聞くところによると、ウィーンフィルはショルティのベートーベン録音を押しつけられて(コンマスのボスコフスキーは「ショルティを絞め殺してやりたい」と言ったという逸話も残されているそうな)、デッカとの関係がすっかり悪化していたようです。その関係悪化に何とか歯止めをかけたいと言うことで、カルーショーが担ぎ出したのがカラヤンだったらしいのです。
カラヤンにしても手兵のベルリンフィルだけでなくウィーンフィルとの関係も深めたかったようなので断る理由は何一つなく、この計画はスムーズに、そして結果としても非常に実り多いものとなりました。
とは言え、不思議なことに、この一連の録音はLP時代には廉価盤シリーズとしてリリースされていました。
当時のイメージとしては「廉価盤=B級品」という雰囲気があったので、後のドイツグラモフォンにおける録音と比較するとなんだか影の薄い録音となってしまっていました。さらに、若い頃は何となく「アンチ・カラヤン」だったので、私にとっては「下らぬカラヤン録音の中のさらなるB級品」と言うことで、ますます眼中に入らない録音でした。
しかし、こういうサイトをやっているおかげで、パブリックドメインの仲間入りをするとそういう録音も一応はチェックの対象となります。そして、若い頃は見向きもしなかった録音にこの年になって初めて向き合ってみると、訳もなく無視をしていた若い時代の愚かさに気づかれる事は良くあることです。
率直に言って、このカラヤンとカルーショーのコンビによる一連の録音はとても魅力的です。その大きな要因の一つは、言うまでもないことですがデッカ録音の優秀さです。そして、その優秀な録音で、ウィーンフィルの濃厚な響きが実に上手くすくい取られています。さらに、カラヤンの指揮も極めて自然で、後年の恣意的なまでの作為性は全く感じません。
さらに言えば、その音楽作りは精緻さはある程度は犠牲にしてでも勢いを重視するスタイルで、それが私としては非常に好ましく思えます。
そう言うカラヤンのデッカ録音の第1弾がこの「ツァラトゥストラはかく語りき」でした。
この録音は、キューブリックの『2001年宇宙の旅』に使われたことで有名です。
しかし、映画の中では何故かこの録音だけ一切のクレジットが表示されていません。理由はよく分からないのですが、デッカはクレジットを表示することを拒否したらしいのです。
当然のことながら、サウンドトラック盤を作るときにもこのカラヤン盤は使うことができなかったので、仕方なくベーム指揮ベルリンフィルによる録音を使う羽目となり、結果として映画の中で使われているのもベーム盤という誤解が広く世間に流布しました。
おそらく、この不可解なデッカの対応によってカラヤンが被った損害は少なくなかったようで、一時は訴訟すらも検討したという話が伝えられています。
今も昔も、こういう連中の著作権に関する感性は理解できません。
ただし演奏は素晴らしいです。
冒頭部分のオルガンの低音も容赦なく収録されていますし、何と言っても弦楽器群の濃厚な響きが魅力的です。当然のことながら、あちこちで聞くことのできるヴァイオリンのソロも絶妙です。そして、カラヤンの指揮は、そう言うウィーンフィルの自主性を一切妨げていないように聞こえます。
このシリーズは一気にアップしないといけないな・・・と思いながらも、そう言うことをすると「お前はいつまでカラヤンみたいな下らぬ録音をアップし続けるんだ」というお叱りのメールが来るんだなぁ・・・という思いが頭をよぎります(^^。
でも、くじけずにこのデッカによる一連の録音はアップし続けましょう。それだけの価値は充分にある録音です。