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バッハ:ミサ曲 ロ短調 BWV 232


リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団 ミュンヘン・バッハ合唱団 (T)ヘフリガー (Bs)ディースカウ他 1961年2月&4月録音をダウンロード


生きる喜びを歌いあげた作品



バッハの数ある作品の中でも、マタイ受難曲とならぶ大作です。
 大作というのは、その規模においても、内容においても大作だということです。

 しかし、ならび称されるこの2作品ですが、そのたたずまいには大きな違いがあります。

 まずは、マタイを聞くにはかなりの精神的なエネルギーが必要です。それなりの心構えが必要ですし、途中の何曲かを「つまみ聞き」なんてことは、まずできません。

 それに対して、ロ短調のミサ曲は、ずいぶんと気楽に聞くことができます。少なくとも、ユング君にとってはそうです。
 おいしそうなところだけを、つまみ聞きしても十分に楽しむことができます。
 もちろん、曲の成り立ち自体が大きく異なるわけですから、それも当然のことかもしれません。

 一言で言えば、マタイが「生きる」ということをとことんまで突き詰めた作品であるのに反して、ロ短調ミサは、もっと素直に生きることの喜びみたいなものを歌い上げているような気がします。

 キリスト教徒でもないユング君にとって、このミサ曲が宗教的にはどのような意味を持っているのかは全く知識がありません。しかし、いたるところで耳にできる弾むようなリズムと美しい旋律は、聞くものに喜ばしい感情をわきたたせてくれます。

 バッハといえば、いつも謹厳実直なイメージが先行しますが、多くの子どもに恵まれた艶福家であったことも事実です。そんなバッハが人生を楽しまなかったはずはありません。
 これもまた、バッハの一つの側面なのではないでしょうか。
 
<追記>
キリスト教関係者の方から、もっと聖書の勉強をしてから解説を書けとのお叱りを受けました。バッハの音楽は人類の罪のためにキリストが十字架にかかる事実を音楽にしたもので、「生きる」ことをテーマにしているなどというのは誤解も甚だしいというご指摘です。(^^;

しかしながら、私のポリシーは「井の中の蛙大海を知らず されど 天の青さを知る」です。
私には、自分の耳を通して感じ取ったことだけしか書けませんし、俄勉強で知ったことを偉そうに書き連ねることもしたくもありません。
バッハの宗教音楽というものは、その外面がどれほど宗教的な衣をまとっていても、その根底に人間の問題を見据えているがゆえに人を感動させる力を持っていると思っています。井の中の蛙にすぎない私が見上げることができた空の青さはその一時に尽きます。
そして、その事は、リヒターのマタイをアップしたときもう少し詳しく述べました。

キリスト者であれば、そのような愚かな人間の独りよがりも御寛容願えるのではないかと期待しております。
ただし、以前に少しは知ったかぶりをして書いた文章が見つかりましたので、そちらにもリンクを張っておっておきます。

「ミサ曲ロ短調」は一つのまとまった作品か?

歴史の荒波に耐えて生き残る録音

もはや、何もつけ加える必要もないほどの歴史的名盤です。それ故に、59年に録音されたマタイ受難曲に次いでこのロ短調ミサ曲もパブリックドメインに加わったことには喜びを禁じ得ません。
とは言え、何の感想も付けくわえないのでは「手抜き」の誹りを免れませんので、「不勉強」のお叱りを受けることも覚悟しながらひと言申し述べたいと思います。

この作品をリヒターの録音で聞く喜びはおそらく二つあると思います。
一つめは、その徹底したノン・レガート奏法で鋭いと言えるほどの克明さで細部を描きあげていく手法です。
書道でいえば「楷書」。
その楷書の小気味よさと気持ちの良い緊張感の中に身をひたすのはリヒターの音楽を聴く喜びの一つです。

その事は、例えばカラヤンのレガート奏法で演奏された音楽と比べると、その特徴はよりはっきりすると思います。
最近はかなりカラヤンを見直し始めているのですが、彼のバッハ演奏だけはどうしてもなじめません。彼のバッハは次々とでてくる美しいメロディーに夢中になって、音楽全体の構成感が吹っ飛んでしまい、結果として耳あたりの良いBGMにしか聞こえません。

もう一つは、冒頭合唱に聞くことのできる、おそらく己の全体重をかけたような激烈な重みです。
たしかに、この冒頭合唱の響きを聞いて、やりすぎだと思う人もいるのが現在という時代です。何もそんなにむきになって、命かけたみたいに歌い出さなくてもいいんじゃないか、という訳です。もっとスマートに、透明感のある響きがでないのかね、鬱陶しいんだよ・・・という所でしょうか。音楽に「精神」という言葉がでてくるだけで拒絶反応を示す人もいるでしょう。
しかし、音楽は常に人間の問題を正面に見据えている芸術です。言葉の正しい意味で「精神性」を問わない演奏はただのBGMにしかすぎません。

そして、リヒターの音楽は、この二つが合わせ技となって、精神性だけの気合い勝負の演奏ではなく、その落ち着いたテンポの中から、叙情豊かなみずみずしさがあふれてくるのがこの録音のもっとも素晴らしいところです。
古楽器演奏がもてはやされた「暗黒時代(^^;」には時代遅れのように言われたリヒター盤ですが、歴史の荒波に耐えて最後に生き残るのはこのような音楽だと信じています。