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ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26
Vn.ハイフェッツ サー・マルコム・サージェント指揮 ロンドン新交響楽団 1961年5月14日&16日録音をダウンロード
ブルッフについて
今日ではヴァイオリン協奏曲とスコットランド幻想曲、そしてコル・ニドライぐらいしか演奏される機会のない人です。ただし、ヴァイオリニストにとってはこの協奏曲はある種の思い入れのある作品のようです。
と言うのは、ヴァイオリンのレッスンをはじめると必ずと言っていいほど取り上げるのがこの協奏曲であり、発表会などでは一度は演奏した経験を持っているからだそうです。ただし、プロのコンサートで演奏される機会は決して多くはありません。
しかし、ロマン派の協奏曲らしくメランコリックでありながら結構ゴージャスな雰囲気もただよい、メンデルスゾーンの協奏曲と比べてもそれほど遜色はないように思います。
第1楽章
序奏に続いて独奏ヴァイオリンの自由なカデンツァが始まるのですが、最低音Gから一気に駆け上がっていくので聴き応え満点、けれん味たっぷりのオープニングです。力強い第一主題と優美な第二主題が展開されながら音楽は進んでいき、いわゆる再現部にはいるところでそれは省略して経過的なフレーズで静かに第2楽章に入っていくという構成になっています。(・・・と、思います^^;)
第2楽章
ここが一番魅力的な楽章でしょう。主に3つの美しいメロディが組み合わされて音楽は展開していきます。息の長い優美なフレーズにいつまでも浸っていたいと思わせるような音楽です。
第3楽章
序奏に続いて,独奏ヴァイオリンが勇壮なメロディを聞かせてくれてこの楽章はスタートします。。前の楽章の対照的な出だしを持ってくるのは定番、そして、展開部・再現部と続いてプレストのコーダで壮麗に終わるというおきまりのエンディングですが良くできています。
才ある人が努力をするととんでもないことになる
ある有名なヴァイオリンの大家がハイフェッツについてどう思うかと聞かれたときに次のように答えたそうです。「確かに優れた演奏家だが、やつは10歳の頃から少しも進歩していない。」
これをほめ言葉と聞くか、批判と聞くかは難しいところですが、少なくとも2つのことは認めています。
その一つは、ハイフェッツは10歳にして並ぶ者のないほどの巨匠の域に達していたと言うこと(1911年の録音が残っているそうです)、もう一つは、その高いレベルを引退する(1972年のラストレコーディング)まで保ち続けていたと言うことです。
あれ?これってもしかしたら「究極のほめ言葉」・・・?
ハイフェッツと言えば、その凄さは「天才」という極めて便利な言葉で片付けられてしまいます。しかし、どれほどの天才であっても、その「才」だけに頼っていれば、その生涯にわたって高いレベルを維持することは不可能です。その事は、ハイフェッツと並び称されるホロヴィッツを比べてみれば明らかです。
確かに、ホロヴィッツも偉大な天才であったことは事実です。しかし、ホロヴィッツにあってハイフェッツになかったものは「スランプ」です。
ホロヴィッツはその生涯において深刻なスランプを二度経験しています。とりわけ二度目のスランプは深刻で、「再起不能」とまで言われて、演奏活動も長期にわたって中断しています。さらに言えば、そう言う深刻なスランプではなくても、彼は時たま「これが本当にホロヴィッツの演奏なの」と首をかしげたくなるような酷い演奏もしました。その酷い演奏が彼の初来日の時にビンゴしてしまったのは不幸なことでしたが、ホロヴィッツという演奏家にはそう言う波が常につきまとっていました。
ところが、ハイフェッツについて言えば、10才の頃から、最後の録音となった71歳の時まで、実に淡々と演奏活動を続けた人生でした。そしてその演奏は、いつの時であっても「さすがはハイフェッツ!!」と聞く人を感嘆させるほどの高いレベルを常に維持していました。
つまりはハイフェッツのコンサートには「外れ」はなかったのです。
言うまでもないことですが、このような「持続力」と「安定感」は「才」のなせる技ではありません。それはまさに「節制」という努力なくして実現するものではありません。
どこで読んだのかは忘れましたが、若い頃のハイフェッツは己の「才」に傲って「遊び」に走ったこともあるようです。しかし、そうすると、その報いは演奏に表れ、親しかった評論家にその事を厳しく指摘されたそうです。ハイフェッツが偉かったのは(まるで、子どもの頃読まされた「偉人伝」みたいな話で気が引けるのですが^^;)、その指摘を真摯に受け止めて、すぐに生活を改めたことです。
ハイフェッツは演奏会終了後のお約束とも言うべき「パーティー」には一切顔を出さないことで有名でした。また、スケジュール管理も厳密で、演奏が荒れてしまうような過密スケジュールは厳に戒めていたようです。そして、カール・フレッシュの「スケール・システム」を一日一回は必ず弾いていたという話も伝わっています。
ちなみに、あのスケールはかなり腕の立つヴァイオリニストでも全曲弾き切るには3時間はかかるそうなのですが、ハイフェッツはそれを40分程度で弾ききっていたとそうです。(ヘボだと一日かかっても終わらない・・・と言う話も・・・)
有名なエピソード。
ハイフェッツが道でとある貴婦人に「カーネギーホールに行くにはどうすればいいのですか?」と聞かれたそうな。
ハイフェッツはぶっきらぼうに答えます。
「練習!練習あるのみ」
道順を教えてほしかっただけの貴婦人は唖然としたそうですが、その「勘違い」にこそハイフェッツの「天才」とは異なるもう一つの本質が浮かび上がってきます。
厳密に聞けば、50年代の録音の方がハイフェッツらしいのでしょうが、それでも10年後のこの録音もまたハイフェッツ以外の何物でもありません。そうなると、ステレオ録音のメリットの方が大きいと言うことで、これがハイフェッツの代表盤と言うことになっています。
ヴュータンのヴァイオリン協奏曲には、協演したオケのメンバーが興奮のしすぎで帰りのバスを乗り間違い、さらにはその興奮がバスに乗っても醒めないので、終点について初めて乗り間違えたことに気づいたという逸話も残っています。
努力は才に勝るという話もありますが、才ある人が努力をするととんでもないことになるようです。