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シリウス:交響詩「エン・サガ」  作品9

マルコム・サージェント指揮 ウィーンフィル 1961年11月16日~18日録音



私の青春のすべてが含まれている

シベリウスの最初の「交響詩」ですが、この作品のことをシベリウスは次のように述べています。
「心理的に言えば、《エン・サガ》は、私の最も深みのある作品の一つです。私の青春のすべてが含まれていると言っても構いません。」
ウィキペディアで紹介されていた言葉なのですが、いつ頃のものなのかあれこれ調べてみても分かりませんでした。しかし、「私の青春のすべてが含まれている」という表現から、おそらくは晩年になってからの言葉ではないかと推測されます。そして、もしそうだとすれば、これは自己批判力の強いシベリウスにしては実に思い切った表現だと言わざるを得ません。

この作品はクレルヴォ交響曲の成功を受けて、コンサートのアンコールピース用としてカヤヌスが依頼したことで生み出されました。しかし、できあがった作品は交響詩としてはかなり規模の大きなもので、アンコールピースとして使えるような代物ではありませんでした。

実は、シベリウスはこの時期、とても悩んでいました。
原因は「オペラ」の創作です。

どこかで読んだ話ですが、録音技術が進歩してレコードからまとまった収入が期待できるまでは、作曲家にとって「オペラ」で成功することが経済的に成功する唯一の手段だったそうです。
つまり、いくら交響曲や室内楽ですぐれた作品を生み続けても、それらの作品が何度もコンサートで取り上げられることはありません。しかし、オペラならば一度成功すれば同じ作品が何度も劇場で取り上げられますからまとまった収入が保証されます。事実、オペラで大成功したロッシーニはさっさと作曲家を引退して、後半生は好きな料理で人生を楽しみました。ですから、この時代の作曲家はオペラで成功することを最終目標としていたのです。
もちろん、シベリウスがその様な「金銭」絡みの動機だけでオペラに取り組んだかどうかは分かりませんが、クレルヴォ交響曲の成功をステップとしてオペラの創作に着手した経過は同時代の作曲家たちと全く同じです。やはり、この時代の作曲家にとってオペラでの成功というのは魅力的だったのです。
しかし、そこに立ちはだかった男がいました。ワーグナーです。

「カレワラ」を題材としたオペラに取り組み始めたシベリウスは、オペラという形式の学習を深めるためにバイロイトへと向かいます。しかし、そこで出会ったワーグナーの音楽は彼を魅了するとともに、己の能力の可能性に対して深い疑念を生み出すきっかけともなってしまったのです。
シベリウスという人は若い頃から少しばかり頓珍漢でエキセントリックな面がありましたから、この時も妻に宛てて肉体労働者として生きていくことを提案し、釘作りの工場で実際に己の能力を試したりもしています。しかし、幸いなことに彼の手からは曲がった釘ばかりが生み出され、職人よりは音楽家としての方が適性があることを再び悟ることになります。

「エン・サガを作曲している間、私は自分を混乱させたあらゆることを無事に切り抜けなければならなかったのです。エン・サガほどに私をへとへとに草臥れさせた作品はほかにありません。」と述べているのは、おそらくその様な事情を思い返してものなのでしょう。
そして、その後も時にはオペラへの誘惑に駆られることもあったようですが、基本的には「最後のシンフォニスト」としての活動を展開していくことになります。この「エン・サガ」は、その様なシンフォニストとしてのシベリウスを方向付けた作品だと言えます。
そして、それ故に、シベリウスの「伝説」と言えば常にフィンランドの古い民話である「カレワラ」と結びつけるのが一般的なのですが、このエン・サガだけは「カレワラ」とは結びつけられていません。では、この伝説の英雄は誰なのかと問われてもシベリウスは「エン・サガの解釈だけは、どうにも私の性分に合わないのです。」と述べて何も語ろうとしていません。
もしかしたら、ここで描かれている英雄はワーグナーであり、それを彼の心の中で葬ったのがこの作品なのかもしれません。あくまでも、ユング君の独りよがりの妄想ですが・・・。

思い出の一枚


クラシック音楽などというものを聞き始めた頃はLPレコードが全盛の時代でした。新譜が2800円、再発盤でも2000円くらいはしましたので、一枚のレコードを買うのにもずいぶんと思案したものでした。
そんなときに、一枚1300円で売られていたEMIのニューセラフィムシリーズは貴重な存在でした。セラフィムシリーズは元々は一枚2000円で売られていたのですが、その後緑色の実にチープなジャケットに統一されてニューセラフィムシリーズとなって再発されたときには1300円にプライスダウンされました。
さらに、「NEW SERAPHIM BEST150」と言う形で新しい録音も追加されて廉価盤LPの代名詞的存在になりました。

ここで紹介しているサージェントのシベリウスも、そんなニューセラフィムシリーズに収録された一枚であり、個人的な思い出を語れば、自分の小遣いで購入した2番目のレコードでした。(ちなみに、一番最初に買ったのはカラヤンの悲愴でした。^^;)
当時高校の同じクラスにクラシック音楽に入れ込んでいる変な奴がいて、カセットデッキを持ち込んでは「これを聴け!」と押しつけるのでみんなから恐れられていたのですが(^^;、何故か私とは波長があったので、その「これを聴け!」という音楽を結構面白く聴いていました。
その友人が「これを聴け!」と押しつけていたのがシベリウスでした。そして、彼はいかにシベリウスという作曲家が偉大な存在であるかを熱っぽく語っていました。

ですから、なけなしの小遣いをはたいてカラヤンの悲愴を買った次に選んだのがシベリウスだったわけです。
ただし、彼が「聴け!」というシベリウスの音楽はいまいちよく分かんないので、できれば一番安いのにしようと言うことで選んだのがニューセラフィムシリーズのサージェント盤だったわけです。

しかし、買い込んできて自宅でゆっくりと聞いてみると、フィンランディアやカレリア組曲は実に気に入りました。しかし、トゥオネラの白鳥は何とも間延びした音楽に思えましたし、交響詩の「エン・サガ(伝説)」に関しては最後まで訳が分かりませんでした。
つまりは表面は気に入ったのですが、裏面は気に入らず、クラシック音楽にもA面とB面があるのか?などと思ったものです。

そんなわけで、今回久しぶりにこの録音を聞き直してみたのですが、実に癖のないおおらかな演奏で、クラシック音楽を聴き始めたばかりのものにとっては結構いい選択だったんだなと思いました。

一般的にウィーンフィルの濃厚で官能的な響きはシベリウスのようなヒンヤリ系の音楽とは相性が悪いとしたものです。
ウィーンフィルによるシベリウスと言って思い浮かぶのは60年代のマゼール盤、さらに最晩年のバーンスタインによる録音が有名です。指揮者のアプローチにも問題はあるのかもしれませんが、どちらもシベリウスの美質よりは指揮者の我、オケの我が前に出すぎているようで、あまり上手くいっているようには思えません。
それと比べれば、このサージェント盤は指揮者が「何もしていない」ようなので、結果としてはそれがウィーンフィルのよく言えば「美質」、悪く言えば「灰汁」を弱めることになり、オケとシベリウスの相性の悪さを中和しているように聞こえます。
ただし、評価の視点をどこに持ってくるかで見方は大きく変わることは事実です。この「何もしていない」ような風情を好意的にとらえる人は「大らかでシベリウスらしい幻想的な雰囲気にあふれた演奏」と評価するでしょう。しかし、そのようなアプローチを否定的にとらえる人は「雑な演奏」と切って捨てることでしょう。

私個人の率直な感想としては、イギリスではそれなりにブイブイ言わせていたサージェントも相手がウィーンフィルになると少しばかり遠慮したのかな?と思わないではありません。
しかし、BBC交響楽団を使って録音した交響曲の1番や5番、そして交響詩「ポヒョラの娘」を聴いても結構大らか(雑?)なので、これはサージェントの持ち味なのかもしれません。却って、相手がイギリスのオケだと結構恣意的な表情付けやテンポの揺れなども散見されるので、ウィーンフィルを相手にした「何もしていない」演奏の方が好ましく思えます。