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ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」


カラヤン指揮 ベルリンフィル 1964年3月録音 をダウンロード

  1. ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」 「第1楽章」
  2. ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」 「第2楽章」
  3. ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」 「第3楽章」
  4. ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」 「第4楽章」

望郷の歌



ドヴォルザークが、ニューヨーク国民音楽院院長としてアメリカ滞在中に作曲した作品で、「新世界より」の副題がドヴォルザーク自身によって添えられています。

ドヴォルザークがニューヨークに招かれる経緯についてはどこかで書いたつもりになっていたのですが、どうやら一度もふれていなかったようです。ただし、あまりにも有名な話なので今さら繰り返す必要はないでしょう。
しかし、次のように書いた部分に関しては、もう少し補足しておいた方が親切かもしれません。

この作品はその副題が示すように、新世界、つまりアメリカから彼のふるさとであるボヘミアにあてて書かれた「望郷の歌」です。

この作品についてドヴォルザークは次のように語っています。
「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう。」
「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」


この「新世界より」はアメリカ時代のドヴォルザークの最初の大作です。それ故に、そこにはカルチャー・ショックとも言うべき彼のアメリカ体験が様々な形で盛り込まれているが故に「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう」という言葉につながっているのです。

それでは、その「アメリカ体験」とはどのようなものだったでしょうか。
まず最初に指摘されるのは、人種差別のない音楽院であったが故に自然と接することが出来た黒人やアメリカ・インディオたちの音楽との出会いです。

とりわけ、若い黒人作曲家であったハリー・サンカー・バーリとの出会いは彼に黒人音楽の本質を伝えるものでした。
ですから、そう言う新しい音楽に出会うことで、そう言う「新しい要素」を盛り込んだ音楽を書いてみようと思い立つのは自然なことだったのです。

しかし、そう言う「新しい要素」をそのまま引用という形で音楽の中に取り込むという「安易」な選択はしなかったことは当然のことでした。それは、彼の後に続くバルトークやコダーイが民謡の採取に力を注ぎながら、その採取した「民謡」を生の形では使わなかったののと同じ事です。

ドヴォルザークもまた新しく接した黒人やアメリカ・インディオの音楽から学び取ったのは、彼ら独特の「音楽語法」でした。
その「音楽語法」の一番分かりやすい例が、「家路」と題されることもある第2楽章の5音(ペンタトニック)音階です。

もっとも、この音階は日本人にとってはきわめて自然な音階なので「新しさ」よりは「懐かしさ」を感じてしまい、それ故にこの作品が日本人に受け入れられる要因にもなっているのですが、ヨーロッパの人であるドヴォルザークにとってはまさに新鮮な「アメリカ的語法」だったのです。
とは言え、調べてみると、スコットランドやボヘミアの民謡にはこの音階を使用しているものもあるので、全く「非ヨーロッパ的」なものではなかったようです。

しかし、それ以上にドヴォルザークを驚かしたのは大都市ニューヨークの巨大なエネルギーと近代文明の激しさでした。そして、それは驚きが戸惑いとなり、ボヘミアへの強い郷愁へとつながっていくのでした。
どれほど新しい「音楽的語法」であってもそれは何処まで行っても「手段」にしか過ぎません。
おそらく、この作品が多くの人に受け容れられる背景には、そう言うアメリカ体験の中でわき上がってきた驚きや戸惑い、そして故郷ボヘミアへの郷愁のようなものが、そう言う新しい音楽語法によって語られているからです。

「この曲はボヘミアの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」という言葉に通りに、ボヘミア国民楽派としてのドヴォルザークとアメリカ的な語法が結びついて一体化したところにこの作品の一番の魅力があるのです。
ですから、この作品は全てがアメリカ的なもので固められているのではなくて、まるで遠い新世界から故郷ボヘミアを懐かしむような場面あるのです。

その典型的な例が、第3楽章のスケルツォのトリオの部分でしょう。それは明らかにボヘミアの冒頭音楽(レントラー)を思い出させます。
そして、そこまで明確なものではなくても、いわゆるボヘミア的な情念が作品全体に散りばめられているのを感じとることは容易です。

初演は1893年、ドヴォルザークのアメリカでの第一作として広範な注目を集め、アントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルの演奏で空前の大成功を収めました。
多くのアメリカ人は、ヨーロッパの高名な作曲家であるドヴォルザークがどのような作品を発表してくれるのか多大なる興味を持って待ちかまえていました。そして、演奏された音楽は彼の期待を大きく上回るものだったのです。

それは、アメリカが期待していたアメリカの国民主義的な音楽であるだけでなく、彼らにとっては新鮮で耳新しく感じられたボヘミア的な要素がさらに大きな喜びを与えたのです。
そして、この成功は彼を音楽院の院長として招いたサーバー夫人の面目をも施すものとなり、2年契約だったアメリカ生活をさらに延長させる事につながっていくのでした。

カラヤン美学への実験

64年に録音されたドヴォルザークの9番「新世界より」を聴いて、いささか「うーん」と考え込んでしまいました。
率直に言えば、ケチをつけるようなところは皆無に近いと思えるのに、何故か聴いていてあまり面白くないのです。不思議だなと思って、同じコンビで1957年に録音した演奏を聴き直してみて、これもまた感心しないので、そこで、ようやく思い出しました。
1957年に録音されたシューマンとドヴォルザークを取り上げて、「4月にシューマンの交響曲をこんなにも魅力的に演奏できたコンビが、その半年後にどうしてこんなにもノッペリとした新世界を聞かせるのだろう?」と疑問を呈して、次のように書いていました。

「シューマンの交響曲ではとにかくフレージングが自然で活き活きとしています。その結果、音楽が何とも言えない躍動感に満ちていて、若さにあふれたカラヤンにふさわしい音楽に仕上がっています。それに対して、ドヴォルザークの方は、もう冒頭から一本調子のノッペリとしたフレージングで、音楽から表情というものが感じ取れません。ところが、聞いていて興味をそそられたのはドヴォルザークの方です。」

「楽器というものは、普通は人間の生理的な限界から、音が強くなったり弱くなったりするものです。管楽器であれば、呼吸の限界がありますから、どうしても音は次第に弱くなっていきます。弦楽器もまた、ボウイングの都合で音は弱くなったり強くなったりするのが普通です。そして、その普通に起こる強弱が自然なフレージングにつながり、音楽に活気と表情を与えるものと思われていました。シューマンの4番は、まさにこの当たり前のことを当たり前に実践した演奏で、それ故に聞き手にとっては実に気持ちよく音楽にひたることができます。」

「しかし、・・・こんな演奏をやっていたのでは、俺は永遠にフルトヴェングラーを超えられない、そして、いつまでたってもドイツのトスカニーニの位置にとどまってしまう。・・・トスカニーニ張りの演奏ができて拍手喝采をもらえるならばそれで満足するのが普通でしょうが、カラヤンは決してそれでは満足できなかったのでしょう。その意味では、彼は偉大であり、またそれだけの野心家でもあったと言うことなのでしょう。」

「演奏家の都合で楽器の音に強弱がつくのを克服して、どこをとっても均等にみっちりと音がつまった状態でアンサンブルを作り上げれば、今まで誰も聞いたことがないような美しい音をオケから引き出すことができるのではないか。確かに、そんな不自然で、演奏家にとって不都合なことは誰も考えなかったことです。しかし、誰もやらなかったことをやらなければ、偉大なる先人を超えることができないのもまた事実です。・・・演奏家の都合や物理的な困難を乗り越えて、とにかく音を均一に慣らしきって、その美音で音楽を完璧に構築するというカラヤン美学の出発点がすでに50年代の終わりに垣間見られることには驚きを感じました。」

結果として、何だか美しげな音はしているものの、音楽の方はどこをとってもノッペリ、ペッタリした感じで「どうしちゃっやんだろう?」というようなものになっている・・・と言うわけです

これはあまりにも穿ちすぎた見方かもしれませんが、ドヴォルザークの交響曲というのは、そう言う実験をやってみるにはちょうど良い素材だったのかもしれません。
ベートーベンやブラームスで同じような実験をするのは危険すぎます。何故ならば、そんなとところで事件をやってみて失敗すれば指揮者としての「資質」が問われるからです。しかし、ドヴォルザークならば「周辺事態」で済ませることが可能です。
さらに言えば、ドヴォルザークのシンフォニーはドイツ・オーストリア系の正統派シンフォニーと比較してみても遜色ない緻密さで書かれているので、実験をやってみる対象としては申し分のない音楽なのです。

そして、62年から63年にかけてベートーベンの交響曲全集を仕上げることでベルリンフィルを完全に掌中に収めたカラヤンが、再び、とんでもなく不都合な要求をベルリンフィルに突きつけて、どこまでやれるか実験してみたのが、この64年盤の「新世界より」のような気がします。結果として、未だにカラヤン美学は完成していないと言うことですが、明らかに一歩前進していることは認めざるを得ません。

ここで、思いを致すべきは、ほぼ頂点に駆け上がった男が、その頂点の先にある未踏の地へ踏み出そうとしていることの「重み」です。
カラヤンが「帝王」と呼ばれた60~70年代には、帝王カラヤンを追いかけて多くの有望な若手指揮者が輩出されます。しかし、彼らの多くは、頂点が近づいてくると立ちすくんでしまいます。頂上が近づいてきて、今度は何処を目指して進んでいくかを自分で見いださなければならなくなったときがきても、その頂上付近をぐるぐる回るだけの連中が多かったのです。

もちろん、その新しいアプローチによって作られる音楽が好きか嫌いかは別れるでしょう。アンチ・カラヤンの論拠はそこにあり、逆にカラヤンを評価する人の論拠もまたそこにあります。
しかし、評価は「好き嫌い」を超えて下されねばなりません。重要なことは、長い演奏史の中においてその演奏が何を新しく主張しているかです。その主張の可否は「好き嫌い」とは全く異なるレベルで下されねばなりません。

そして、これは言うまでもないことですが、その「主張」にどれほど同意できかねたとしても、それは何の「主張」もない演奏を聴かされるよりは遙かに意味のあることなのです。
そう言う意味では、カラヤンというのは偉大だった思います。

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