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スメタナ:交響詩「モルダウ」(連作交響曲「わが祖国」、第2曲)
レオポルド・ストコフスキー指揮 シンフォニー・オブ・ジ・エア 1960年2月18日録音をダウンロード
「我が祖国」=「モルダウ」+「その他大勢」・・・?
スメタナの全作品の中では飛び抜けたポピュラリティを持っているだけでなく、クラシック音楽全体の中でも指折りの有名曲だといえます。ただし、その知名度は言うまでもなく第2曲の「モルダウ」に負うところが大きくて、それ以外の作品となると「聞いたことがない」という方も多いのではないでしょうか。
言ってみれば、「我が祖国」=「モルダウ」+「その他大勢」と言う数式が成り立ってしまうのがちょっと悲しい現実と言わざるをえません。でも、全曲を一度じっくりと耳を傾けてもらえれば、モルダウ以外の作品も「その他大勢」と片づけてしまうわけにはいかないことを誰しもが納得していただけると思います。
組曲「我が祖国」は以下の6曲から成り立っています。しかし、「組曲」と言っても、全曲は冒頭にハープで演奏される「高い城」のテーマが何度も繰り返されて、それが緩やかに全体を統一しています。
ですから、この冒頭のテーマをしっかりと耳に刻み込んでおいて、それがどのようにして再現されるのかに耳を傾けてみるのも面白いかもしれません。
第1曲「高い城」
「高い城」とは普通名詞ではなくて「固有名詞」です。(^^;これはチェコの人なら誰しもが知っている「年代記」に登場する「王妃リブシェの予言」というものに登場し、言ってみればチェコの「聖地」とも言うべき場所になっています。ですから、このテーマが全曲を統一する核となっているのも当然と言えば当然だと言えます。
第2曲「モルダウ」
クラシック音楽なんぞに全く興味がない人でもそのメロディは知っていると言うほどの超有名曲です。水源地の小さな水の滴りが大きな流れとなり、やがてその流れは聖地「高い城」の下を流れ去っていくという、極めて分かりやすい構成とその美しいメロディが人気の原因でしょう。
第3曲「シャールカ」
これまたチェコの年代記にある女傑シャールカの物語をテーマにしています。シャールカが盗賊の一味を罠にかけてとらえるまでの顛末をドラマティックに描いているそうです。
第4曲「ボヘミアの森と草原より」
ユング君はこの曲が大好きです。スメタナ自身も当初はこの曲で「我が祖国」の締めにしようと考えていたそうですが、それは十分に納得の出来る話です。牧歌的なメロディを様々にアレンジしながら美しいボヘミアの森と草原を表現したこの作品は、聞きようによっては編み目の粗い情緒だけの音楽のように聞こえなくもありませんが、その美しさには抗しがたい魅力があります。
第5曲「ターボル」
これは歴史上有名な「フス戦争」をテーマにしたもので、「汝ら神の戦士たち」というコラールが素材として用いられています。このコラールはフス派の戦士たちがテーマソングとしたもので、今のチェコ人にとっても涙を禁じ得ない音楽だそうです。(これはあくまでも人からの受け売り。チェコに行ったこともないしチェコ人の友人もいないので真偽のほどは確かめたことはありません。)スメタナはこのコラールを部分的に素材として使いながら、最後にそれらを統合して壮大なクライマックスを作りあげています。
第6曲「ブラニーク」
ブラニークとは、チェコ中央に聳える聖なる山の名前で、この山には「聖ヴァーツラフとその騎士たちが眠り、そして祖国の危機に際して再び立ち上がる」という伝承があるそうです。全体を締めくくるこの作品では前曲のコラールと高い城のテーマが効果的に使われて全体との統一感を保持しています。そして最後に「高い城」のテーマがかえってきて壮大なフィナーレを形作っていくのですが、それがあまりにも「見え見えでクサイ」と思っても、実際に耳にすると感動を禁じ得ないのは、スメタナの職人技のなせる事だと言わざるをえません。
払いのけることのできない疑問
クラシック音楽といえどもポピュラー音楽と同じようなスタンスで演奏しても十分に価値があるみたいなことを書いてしまうと、まるで作曲家の意志に忠実な演奏を否定しているような誤解を招きかねません。これもまた、引用が長くなるので申し訳ないのですが、おつきあいください。
「テレビ朝日で「関ジャニの仕分け∞」という番組をやっています。この番組の中でプロの歌手に子どもや芸人さんがカラオケで挑戦するというコーナーがあります。面白いことに、自分の持ち歌を歌ったプロの歌手の方がよく負けます。
勝ち負けはカラオケの採点機能が判断します。採点基準の原則は音符を外すか外さないかです。スコアに忠実に歌えば歌うほど得点は高くなります。しかし、一音も外さずに歌ったとしても100点満点にはなりません。それに加えて、歌を美味しく聴かせるような要素がないと加点されないので得点は伸び悩みます。
つまりは、スコアに忠実に歌うことは大前提ですが、作品が持っている美味しい部分を上手く表現しきらないと高得点にならないのです。
そして、驚かされたのが、この勝負の中で歌われる歌がどれもこれも「あれっ?この歌ってこんなに素敵な音楽だったかな?」と思ってしまうほどに素晴らしいのです。そして、その素晴らしさは、時には「おおーっ!!」と呻ってしまうほどの凄さだったりするんです。観客席にはその歌を聴いて泣いてしまっている人もいたりするんですが、それがやらせだなどと微塵も思わせないほどに凄いのです。
それはもう、日頃聞き慣れた歌とは全く別物になってしまっているのです。
歌手というのは、自分の持ち歌ならばコンサートなどで結構崩して歌っていることが多いです。理由は簡単で、その方が楽だからです。つまり、自分が歌いやすいように適当に音楽を崩して歌い、その崩しを自分のテクニックだと思っている場合が多いのです。
ところが、この勝負でそんな歌い方をすると驚くほど得点が出ません。
最初の頃は、それでも自分のスタイルを崩さずに思い入れたっぷりに大熱唱する歌手もいたのですが、その独りよがりの盛り上がりに反して得点の方は驚くほどの低さだったりしました。
そんな悲惨な光景を何度も見せつけられると、プロの歌手の方も本気でスコアを見直し、自分の癖を全てリセットして本番に望むようになります。当然のことながら、挑戦者の方は最初からスコアだけを頼りに高得点を狙ってきますから「崩し」なんかは入る余地もありません。この二人が本番ではガチンコでぶつかるのですから、これはもう聞き物です。
おそらく歌っている方は大変だと思います。抑えるべきポイントが山ほどあって、気持ちよく歌い上げているような場面などは皆無なんだろうと思います。いわば、不自由の極みの中で音楽を整然と構築し、さらにはその内容が聞き手にキチンと伝わるようにあらゆるテクニックを計算通りに駆使し続けなければならいなのです。
ところが、そう言う不自由の極みの中で歌い上げられた音楽の何という素晴らしさ!!
手垢にまみれた音楽が、本当にまっさらになってキラキラと魅力を振りまいているのです。
そして、思うのです。
この歌ってこんなに素敵な音楽だったんだ!!」
この理屈を真っ先に発見したのがクラシック音楽の演奏家でした。
彼らが、作曲家の意志に忠実たらんとし、そしてスコアを徹底的に研究し尽くした上で演奏に取り組んだのは学問的な興味から為されたことではなくて、そうすることによって、今まで誰も聞いたことがないような素晴らしい「演奏」が実現できると考えたからなのです。言葉をかえれば、「作品」の姿を徹底的に追求し、その追求した姿を忠実に再現することで、いかなる「名人芸」にも負けない「演奏」が実現できると考えたのです。
その様に考えると、クラシック音楽の演奏史において大きな分岐点となった出来事が自ずと浮かび上がってきます。
シュナーベルによって1932年から1935年にかけて行われたベートーベンのピアノソナタ全曲録音です。
クラシック音楽といえども、コンサートという形式が社会的に成り立つための大前提は「名人芸」でした。その嚆矢となったのがリストでありパガニーニだったわけです。そして、そう言う偉大な存在に続いた数多くのピアニストやヴァイオリニストが飯を食っていくため求められたのは「作品」を追求することではなくて、華やかな「演奏」を展開することでした。その立ち位置は現在のポピュラー音楽のコンサートと全く同じだったのです。
そんな常識に真っ向から挑んだのがシュナーベルだったのです。
彼が「苦しみのために死んでしまうのではないか」と思いながらも全集を完成させたのは、「作品」を追求することで、いかなる名人芸ですらひれ伏してしまうほどの「演奏」が実現できると確信したからです。そして、このシュナーベルの方法論の正しさは次第に多くの演奏家や聴き手に認知され、それ以後のクラシック音楽演奏史の本流となっていくのです。
ですから、最初に掲げた「私たちがコンサートに出かけてて聞こうとしているのは「作品」なのか「演奏」なのか」と言う問題は本来は意味を持たないはずなのです。
丸山真男の「今日はいいベートーベンだったといわれるような演奏家になれ」という言葉は、「作品」と「演奏」が二択の関係ではなくて、分かちがたく結びついていることを示唆しているのです。
しかし、理屈としてはおそらく100%正しいその主張も、現実の中においてみると少なくとも二つの問題は避けて通れないことに気づきます。
そのうちの一つは、聞き手の「辛抱」に関わる問題です。
よく知られているように、シュナーベルというピアニストは亡命先となったアメリカの音楽界とはあまり上手くマッチングしませんでした。そう言う相性の悪さは、彼のアメリカデビューの時からはっきりしていました。
興行主から「あなたは路上で見かける素人、疲れ切った勤め人を楽しませるようなことができないのか」と言われても、「24ある前奏曲の中から適当に8つだけ選んで演奏するなど不可能です」と応じるような男だったのです。
その結果として、興業は失敗に終わり、興行主からも「あなたには状況を理解する能力に欠けている。今後二度と協力することはできない」と言われてしまいます。
聞き手は辛抱と緊張感を持って24の前奏曲を聴き続ければ、そこから適当に8つだけ選んで華やかな名人芸を披露するようなコンサートからは得ることのできない「深い音楽的感動」が得られるはずなのです。ですから、「24ある前奏曲の中から適当に8つだけ選んで演奏するなど不可能です」と言うシュナーベルの方法論は理屈としては100%正しいのです。
しかし、そう言う辛抱と緊張感を持続できる聴衆でコンサート会場を埋め尽くすことができないという「現実」の前では、そう言う「正しい理屈」も無力となるのです。
ストコフスキーという指揮者は、そう言うシュナーベル的な方法論とはもっとも遠くに位置した人でした。
彼の音楽家人生は「路上で見かける素人、疲れ切った勤め人を楽しませる」事に費やされたのです。そして、そう言う立ち位置で今も活動を続けている指揮者もいることはいるのでしょうが、そう言う音楽家がストコフスキーのように世界的なメジャーオーケストラを率いて活躍することは絶対にあり得ない時代になってしまいました。
しかし、ストコフスキーやカラヤンの録音を聞くとき、「路上で見かける素人、疲れ切った勤め人を楽しませる」事はそんなにも価値の低いことなのだろうという疑問を払いのけることができないのです。
ここでもまた彼は透明度の高い美しい響きで、横への流れを重視した音楽作りに徹しています。