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シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
(P)アニー・フィッシャー クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960年5月22日~24日 & 1962年5月9日、10日、31日 & 1962年8月16日録音をダウンロード
私はヴィルトゥオーソのための協奏曲は書けない。
クララに書き送った手紙の中にこのような一節があるそうです。そして「何か別のものを変えなければならない・・・」と続くそうです。そういう試行錯誤の中で書かれたのが「ピアノと管弦楽のための幻想曲」でした。
そして、その幻想曲をもとに、さらに新しく二つの楽章が追加されて完成されたのがこの「ピアノ協奏曲 イ短調」です。
協奏曲というのは一貫してソリストの名人芸を披露するためのものでした。
そういう浅薄なあり方にモーツァルトやベートーベンも抵抗をしてすばらしい作品を残してくれましたが、そういう大きな流れは変わることはありませんでした。(というか、21世紀の今だって基本的にはあまり変わっていないようにも思えます。)
そういうわけで、この作品は意図的ともいえるほどに「名人芸」を回避しているように見えます。いわゆる巨匠の名人芸を発揮できるような場面はほとんどなく、カデンツァの部分もシューマンがしっかりと「作曲」してしまっています。
しかし、どこかで聞いたことがあるのですが、演奏家にとってはこういう作品の方が難しいそうです。
単なるテクニックではないプラスアルファが求められるからであり(そのプラスアルファとは言うまでもなく、この作品の全編に漂う「幻想性」です。)、それはどれほど指先が回転しても解決できない性質のものだからです。
また、ショパンのように、協奏曲といっても基本的にはピアノが主導の音楽とは異なって、ここではピアノとオケが緊密に結びついて独特の響きを作り出しています。この新しい響きがそういう幻想性を醸し出す下支えになっていますから、オケとのからみも難しい課題となってきます。
どちらにしても、テクニック優先で「俺が俺が!」と弾きまくったのではぶち壊しになってしまうことは確かです。
録音嫌い
どういう訳か、吉田秀和氏の「世界のピアニスト」の中にアニー・フィッシャーの名前が見あたりません。彼を手引きとしてクラシック音楽を聴き始めた人なので、その事は私の視野からアニー・フィッシャーが長く消えていたことを意味します。確かに女性のピアニストはあまり取り上げられていない傾向はあるのですが、それでもエリー・ナイやマイラ・ヘスあたりまで取り上げているのですから、不思議と言えば不思議です。もちろん、評価しない人を取り上げてくさすよりは、最初から取り上げないことで己の評価を暗示するというのが物書きとしての流儀かもしれないのですが、それにしてはエリー・ナイのところでは随分と厳しいことを書いています。
そう思ってアニー・フィッシャーというピアニストの経歴を振り返ってみると、なるほどと思う事がいくつかりました。今回は、そのあたりのことを幾つかふれておこうかと思います。
まずは、かなりの録音嫌いだったと言うことです。
1914年生まれなので、その全盛期とも言うべき50~60年代に為した録音はCDに換算して10枚にも満たないようなのです。カラヤンだったら1年の仕事にも満たない量です。
さらに、録音が嫌いだった割には、当時としてもかなり長い時間をかけて録音しています。
ベートーベンの月光ソナタなどは1958年の11月18日~20日にかけて録音し、さらに翌年の2月5~6日にも録音しています。おそらく、最初のセッション録音では満足できない部分があったのでリリースすることを渋ったのでしょう。
そう言えば、彼女は晩年にフンガロトン・レーベルでベートーベンのソナタを全曲録音しています。
コンサートでフィッシャーのベートーヴェンを聴いたフンガロトンのプロデューサーが感激して、全集録音を打診したことで実現した録音だそうです。ただし、録音嫌いの彼女に「Yes」と言わせるために提示した条件が破格でした。
まずは、録音にどれだけの時間を費やして、好きなだけテイクを重ねてもいいこと。
さらには、(これがすごいのですが)、それだけテイクを重ねても結果として気に入らなければ発売しないという条件です。
幸いにして、録音そのものは1年で完了しました。
しかし、編集に対するフィッシャーのこだわりが凄くて、数年をかけてようやく一枚が許可されてリリースされるというペースでした。結果として、1995年に彼女が歿するまでにすべてをリリースすることが出来ず、彼女が亡くなった後にレーベルの独自判断で残された録音がリリースされたそうです。
このエピソードを読んで、何故に彼女が録音を嫌っていたかが少しは分かったような気がしました。
おそらく、彼女は録音を嫌っていたのではなくて、録音を恐れていたのだろうと思います。
1回限りのコンサートならば、演奏上の些細な瑕疵はそれほど大きな意味を持たず、それよりは音楽そのものが持つ本質的なエネルギーが聞き手を魅了します。そして、彼女の持ち味はそう言うエネルギーに満ちた音楽を展開するところで発揮されるものであって、精密機械のように精緻な響きでスコアを音に変換していくようなタイプのピアニストではありません。
しかし、録音という形で自分の演奏が固定されて広く世の中に流通するとなると、本来ならば無視してもかまわないような細かい部分にまで目を行き届かせないと許せなかったようなのです。
言うまでもないことですが、ここで「本来ならば無視してもかまわないよう細かいな部分」というのは、些細なミスタッチのようなレベルのことをいっているのではありません。スタジオでの録音であるならば、そう言う部分は見落としてはいけません。
そうではなくて、おそらくはスコアの細かい部分における解釈の問題に執拗にこだわったのではないかと想像しています。それは、例えばアクセントとスタッカートの違いみたいな、自筆譜が失われている状況では確定しがたいような部分にまでも(これはただの一例ですが)及んでいるようなのです。
しかし、それが結果として、コンサートでは遺憾なく発揮される彼女の魅力が、執拗な編集作業という切り貼りによってスポイルされることにつながっているのです。
彼女のコンサートを聴いたことがある人は絶賛を惜しまないのですから、ピアニストとしての彼女の実力と魅力には疑いはないのでしょう。そう言う魅力が晩年になっても保持されていたことは、フンガロトンのプロデューサーの申し出からも明らかです。
それだけに、レーベルプロデューサーのいらぬお節介で音楽の魅力が殺がれたのではなく、録音という行為に恐れを持った本人にの申し出によって音楽の魅力を殺いでしまったことは、返す返すも残念なことだと言わざるを得ません。
つまりは何が言いたいのかというと、どうやら録音を聞いているだけでは、アニー・フィッシャーというピアニストの魅力は十分にはつかめない・・・らしいのです。
そして、次に気づいたのが、彼女が初来日したのは1980年にコンクールの審査員としてだったと言う事実です。その後、これをきっかけに日本が好きになったようで何度か来日してコンサートも開いています。
しかし、確かその最初の来日コンサートはホロヴィッツの初来日と重なってしまったようなのです。さらに言えば、彼女の最後の来日公演は亡くなる前年だったそうですが、東京での会場は東京文化会館の小ホールだったそうです。
つまりは、実演を聞かないとその魅力が伝わりにくいタイプの演奏であるにもかかわらず、その実演に接することが出来た日本人は少ないのです。
つくづく日本との相性は悪かったようです。
セルなんかが典型ですが、一度の来日公演で評価が180度ひっくり返ってしまう事はよくあることです。録音だけでは演奏家の真価はよく分からないと言われるのですが、彼女のように録音だけでは伝わりにくいタイプの人はなおさらです。
結局、そんなこんなで、日本においては「知る人のみが知る」ピアニストになってしまったようなのです。もちろん、そんな事が原因で吉田秀和氏が「世界のピアニスト」でアニー・フィッシャーに言及しなかったわけではないのでしょうが、それでも、何となく日本における彼女の認知のされ方が反映しているような気がします。
と言うことで、是非とも「知る人のみが知る」アニー・フィッシャーの魅力を「この録音で味わってください!」と言えないのが辛いところです。
個人的な感想ですが、クレンペラーと共演したシューマンやリストはあまり口出しが出来なかったせいか、逆に彼女の良さがよくでているような気がします。モーツァルトのコンチェルトでは、20番や23番の第2楽章のような「悲しみ」を語る場面では美しさを感じる場面もあるのですが、それ以外は今ひとつピントこないというのが正直なところです。それと比べると、ベートーベンのソナタの方がまだしも彼女の特徴である情熱的な雰囲気が良くでているように思います。
<追記>
・・・と、思ったのですが、調べてみると、
シューマン ピアノ協奏曲:1960年5月22日~24日 & 1962年5月9日、10日、31日 & 1962年8月16日録音
リスト ピアノ協奏曲第1番:1960年5月24日 & 1962年5月10日録音
ということで、これまた凄い切り貼りです。
シューマンの繊細さが前面に出た音楽の作りはおそらくはアニー・フィッシャーの要望だったのでしょう。執拗な切り貼りの結果として音楽の勢いは明らか殺がれています。それと比べると、そこまで手の入っていないリストの方は豪快な音楽に仕上がっていて非常にいい感じです。
しかし、アニー・フィッシャー自身はキきっと気に入らない出来だったんだろうな・・・と想像されます。
演奏家の性というのは不思議なものです。