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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
バーンスタイン指揮 (P)フィリップ・アントルモン ニューヨークフィル 1960年2月3日録音をダウンロード
芸人ラフマニノフ
第3楽章で流れてくる不滅のメロディは映画「逢い引き」で使われたことによって万人に知られるようになり、そのために、現在のピアニストたちにとってなくてはならない飯の種となっています。
まあ、ラフマニノフ自身にとっても第1交響曲の歴史的大失敗によって陥ったどん底状態からすくい上げてくれたという意味で大きな意味を持っている作品です。(この第1交響曲の大失敗に関してはこちらでふれていますのでお暇なときにでもご覧下さい。)
さて、このあまりにも有名なコンチェルトに関してはすでに語り尽くされていますから、今さらそれにつけ加えるようなことは何もないのですが、一点だけつけ加えておきたいと思います。
それは、大失敗をこうむった第1交響曲と、その失敗から彼を立ち直らせたこのピアノコンチェルトとの比較です。
このピアノコンチェルトは重々しいピアノの和音で始められ、それに続いて弦楽器がユニゾンで主題を奏し始めます。おそらくつかみとしては最高なのではないでしょうか。ラフマニノフ自身はこの第1主題は第1主題としての性格に欠けていてただの導入部になっていると自戒していたそうですが、なかなかどうして、彼の数ある作品の中ではまとまりの良さではトップクラスであるように思います。
また、ラフマニノフはシンコペーションが大好きで、和声的にもずいぶん凝った進行を多用する音楽家でした。
第1交響曲ではその様な「本能」をなんの躊躇いもなくさらけ出していたのですが、ここでは随分と控えめに、常に聞き手を意識しての使用に留めているように聞こえます。
第2楽章の冒頭でもハ短調で始められた音楽が突然にホ長調に転調されるのですが、不思議な浮遊感を生み出す範囲で留められています。その後に続くピアノの導入部でもシンコペで三連音の分散和音が使われているのですが、えぐみはほとんど感じられません。
つまり、ここでは常に聞き手が意識されて作曲がなされているのです。
聞き手などは眼中になく自分のやりたいことをやりたいようにするのが「芸術家」だとすれば、常に聞き手を意識してうけないと話は始まらないと言うスタンスをとるのが「芸人」だと言っていいでしょう。そして、疑いもなく彼はここで「芸術家」から「芸人」に転向したのです。ただし、誤解のないように申し添えておきますが、芸人は決して芸術家に劣るものではありません。むしろ、自称「芸術家」ほど始末に悪い存在であることは戦後のクラシック音楽界を席巻した「前衛音楽」という愚かな営みを瞥見すれば誰でも理解できることです。
本当の芸術家というのはまずもってすぐれた「芸人」でなければなりません。
その意味では、ラフマニノフ自身はここで大きな転換点を迎えたと言えるのではないでしょうか。
ラフマニノフは音楽院でピアノの試験を抜群の成績で通過したそうですが、それでも周囲の人は彼がピアニストではなくて作曲家として大成するであろうと見ていたそうです。つまりは、彼は芸人ではなくて芸術家を目指していたからでしょう。ですから、この転換は大きな意味を持っていたと言えるでしょうし、20世紀を代表する偉大なコンサートピアニストとしてのラフマニノフの原点もここにこそあったのではないでしょうか。
そして、歴史は偉大な芸人の中からごく限られた人々を真の芸術家として選び出していきます。
問題は、この偉大な芸人ラフマニノフが、その後芸術家として選び出されていくのか?ということです。
これに関しては私は確たる回答を持ち得ていませんし、おそらく歴史も未だ審判の最中なのです。あなたは、いかが思われるでしょうか?
バーンスタインのうなり声が・・・?
今となってはほとんど忘却の彼方と言っていい録音なのですが、一カ所だけ「おおーっ!」と思える部分があったので紹介することにしました。アントルモンは最近になって「80歳記念!ソニーへの全ピアノ協奏曲録音集成19枚組」というボックス盤がでたので、久しぶりにその名前を聞いた人多かったのではないでしょうか?そのボックス盤のキャッチコピーが「アントルモンはフランスの音楽家の名門に生まれ、8歳でマルグリット・ロン女史に師事。12歳でパリ国立高等音楽院に入学した後、多くのコンクールに入賞を重ね、ロン=ティボー国際音楽コンクールでは最高位と最高月桂冠賞受賞。さらにハリエット・コーエン・ピアノ・メダルを授与されるなど、目覚ましいキャリアをスタートさせました。」というものでした。
まあ、典型的なサラブレッドのの家系のようなのですが、本当の意味での「トップ」にはたどり着かなかったピアニストです。そして、その理由が、この若い時代の録音を聞けばすぐに分かります。
非常に丁寧な演奏で、ケチをつけるような場面はほとんどありません。響きはクリアであり、力ずくで押し切るような場面は全くありません。そう言う意味では、フレンチ・ピアニストの特徴である「明晰さ」を若い頃からしっかりと身につけていたピアニストであったことがよく分かります。
おそらく、何度もくり返し聞かれることを前提とした「レコード」への録音として考えれば申し分のない出来です。
しかし、例えば、最終楽章に入っても節度を失わず明晰に淡々と演奏を続ける姿を見せつけられると、彼には越えられない一線があったんだろうなと思わずにおれません。
そう言えば、アントルモンの名前をNHKで放映された「スーパーピアノレッスン」でモーツァルト編を担当したことで思い出す人も多いかもしれません。教師としては、おそらくこれ以上はないと言うほどに申し分のない人だったように記憶しています。
ですから、最初に述べた、この録音を聞いていて、「おおーっ!」と思ったのは、アントルモンではなくて伴奏をつけているバーンスタインの方です。
この第2楽章における思い入れたっぷりの歌わせ方は尋常ではありません。ここでは、完全に伴奏とソリストの主従が逆転しています。
さらに勘ぐれば、バーンスタインはここをこんな風に演奏したかったので、当時売り出し中の若手ピアニストだったアントルモンを起用したのではないかと思ってしまいます。
さらに驚くのは、中間部でピアノのカデンツァが終わって冒頭のメロディが帰ってくる部分で、なんとバーンスタインのものと思われる「うなり声」が入っているのです。それも、最初は躊躇いがちに聞こえるのですが、オーケストラが大きく盛り上がっていくにつれてそのうなり声は完全に「逝っちゃってる」レベルにまで高まっていきます。
60年代頃の録音は、こういう指揮者のうなり声が入っていてもあまり気にしないことが多いのですが(セルの第9やモーツァルトのト短調シンフォニーなんかにははっきりとセルのうなり声が入っていますね)、さすがに協奏曲の伴奏指揮者が「うなり声」を上げているのはちょっと記憶にありません。
やはり、アントルモンを起用したのは、こういう音楽をやりたかったのでしょう、きっと!!