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ワーグナー:タンホイザー序曲とヴェヌスブルグの音楽

ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年3月24日&27日録音


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男の身勝手

オペラのストーリーというのは男の身勝手というものが前面に出ているものが多いのですが、その最たるものがワーグナーでしょう。そのワーグナーの中でも、とりわけ「酷い」なあ・・・!!と感心させられるのがタンホイザーです。
誰かが似たようなことを書いていたような気がするのですが、このお話を現代風に翻案してみればこんな風になります。

『都会に出て行って風俗のお店通いに狂ってしまった男とそんなアホ男を田舎でひたすら待ちわびる純情な娘、そしてそんな娘に密かに心を寄せる堅気の田舎青年・・・というのが基本的な人間関係です。
この男、一度は改心したかのように見えて田舎に戻ってきます。ところが、村の祭りで例の堅気の青年が「徳」だの「愛」だのとほざくのを聞いて心底うんざりしてしまって、「やっぱり町の風俗の姉ちゃんが一番だ!」なんどと叫んでしまいます。
驚いたのは村の衆であり、とりわけその純情娘の親や親戚から総スカンを食って再び村にはおれなくなってしまいます。
しかし、それでも世間知らずの純情娘はそのアホ男のことが忘れられず、必死で彼のことをとりなします。
仕方がないので、一族の連中は、「そんならハローワークに言ってまともな仕事について堅気の生活をするなら許してやる。(ローマ法王の許しを得るなら許してやる)」といいます。男は仕方なくハローワークに通うのですが(ローマ巡礼)、基本的に考えが甘いので上手く職を得ることなど出来るはずもなく「世間の連中はどうせ俺のことなんか何も分かってくれないんだ!やっぱり俺には風俗の姉ちゃんが一番だ!!」と叫んで男は再び都会に出て行こうとします。
ところが、嫌と言うほど裏切り続けられたにもかかわらず、その純情娘はそれでもアホ男のことを忘れられず、最後は自分の命を投げ出して彼を救ってくれるのです。
さすがのアホ男もその娘の献身的な愛のおかげでようやくにして目覚め、おまけに、世間の人もその娘の心を思ってアホ男を許します。』・・・という、男の身勝手を絵に描いたようなお話です。

さして、ここで序曲に続けて演奏される「ヴェヌスベルグの音楽」というのは、言ってみれば、アホ男が溺れてしまった風俗店での楽しい一時を描いた音楽だと言えます。

最後に、あらためて指摘するまでもないことですが、このアホ男とは疑いもなくワーグナー自身のことです。彼は己のアホさ加減と身勝手さを嫌と言うほど知っていました。でも、そんなあほうな自分でもいつか命をかけてでも愛して救ってくれる純情な女性が現れることを本気で信じていたのもワーグナーという男でした。

淡々とした自然体の語り口


ワルター最晩年のコロンビア響との録音については「功成り名を遂げた巨匠の手すさびの芸」などと書いてきたのですが、それでも、その一連の録音がパブリックドメインの仲間入りをしてきたことは、やはり喜ぶべき事です。現役バリバリで活躍してた時期の芸と比べれば何よりもその内から発するエネルギー感が異なる事は否定できませんが、それでも彼の芸がステレオ録音で残されたことはかけがえのないことだと言わざるをえません。彼より10歳も若かったフルトヴェングラーは貧弱なモノラルでしか録音が残せなかったことを思えば実に有り難いことです。

ただし、このコロンビア響というのは通常のオケと比べれば編成が小さいために、作品によっては響きの薄さが気になることは否めず、そのマイナス点がもっとも顕著に表れているのがこのワーグナーの管弦楽曲です。不思議なことに、さらに問題が多いだろうと思われるマーラーの交響曲などでは響きの薄さがこれほどは気にならないので、もしかしたら編成が増強されたのかもしれません。
しかし、このワーグナーに関しては「通常のコロンビア響」の編成で録音されたようで、重厚で雄大な響きは望むことはできません。それ故にか、彼の録音の中でもあまり話題にならないのですが、実際に聞いてみると、色々なことを考えられます。

ワーグナーの序曲や前奏曲というのは、たとえてみれば「お話」みたいなものです。長ーいワーグナーの歌劇や楽劇の物語を、その大切なポイントは押さえながらかいつまんでお話ししてくれるような雰囲気があります。
ですから、身振り手振りを交えて熱く話してくれる人や、格調高く話してくれる人、悠揚迫らずという雰囲気で話してくれる人など、色々なタイプが存在して、それぞれに聴き応えのある演奏を披露してくれるわけです。
しかし、コロンビア響を相手にしたワルターの語り口は、オケの編成の小ささを意識していたのだと思うのですが、実にあっさりとした語り口に終始しています。身振りや手振りもなく、格調高く話そうという気負いもなく、淡々と自然体で物語っています。
ただ、そう言う話し方であるにもかかわらず、聞き進むうちに次第に熱を帯びてきて、気がつけばすっかりその語り口に引き込まれている自分に気づくというような演奏になっています。

ですから、ワーグナーの管弦楽曲に重厚さや雄大さを求める人には、この演奏は全く不向きです。いや、ごく普通に聞いても、この演奏には物足りなさを感じるのが普通でしょう。
しかし、年を重ねると、エネルギーが枯渇してくるからだと思うのですが、時にはこのような昔語りのようなお話しもいいのかなともう時もあります。ワルター自身も、おそらくはそう言うような思いで演奏したのではないでしょうか。


<追記>
59年に録音した管弦楽曲集に関しては上のように書いたのですが、その2年後に録音されたこのタンホイザー序曲とヴェヌスブルクの音楽は非常に熱い音楽になっています。既に80を超えたお祖父ちゃんの音楽とはちょっと思えないほどの活力に満ちています。
巡礼の合唱の音楽が持つ崇高さとヴェヌスブルグの妖しさが見頃に融合した素晴らしい音楽になっています。

この音楽をこんな風に演奏できるなんて、やっぱりワルターは年をっっても多々の好々爺ではなかったと言うことです。