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モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299
(Harp.)リリー・ラスキーヌ (Fl.)ジャン=ピエール・ランパル (指揮)ジャン=フランソワ・パイヤール パイヤール室内管弦楽団 1963年6月録音をダウンロード
- モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299「第1楽章」
- モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299「第2楽章」
- モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299「第3楽章」
モーツァルトのメロディーは美しい。しかし、それはため息のように短い。
アンダンテ楽章冒頭の序奏をうけて歌いだすフルートの旋律は、そんなモーツァルトの特長がもっともよく出ています。短くはあっても、一度聞けば決して忘れないメロディーです。
この旋律がもっとも効果的に使われたのが、映画「アマデウス」です。
サリエリがはっきりとモーツァルトに対する殺意を固める場面です。
またこの場面は、サリエリの口を通してこの上もなく素晴らしいモーツァルトへの賛辞が聞ける場面でもあります。
コンスタンツェが夫モーツァルトの作品を持ってサリエリを訪れるところからこの場面は始まります。
皇帝の姪であるエリザベートの音楽教師の職にありつくために、夫に内緒で作品を持ち込んだのです。
サリエリは作品をおいていくように仕向けますが、コンスタンツェは断ります。
コンスタンツェ
「主人に知れたら叱られます。オリジナルですから。」
サリエリ
「これはオリジナルですか?」
コンスタンツェ
「えぇ、写しは作りません」
サリエリ
「これは本当にオリジナルですか?」
そう言って、思わず立ち上がってサリエリは譜面を見つめます。
すると、そこにこの「フルートとハープのための協奏曲」の第2楽章冒頭のメロディーが流れます。
そして、この音楽をバックに晩年のサリエリが語りだします。
「仰天した。とても信じられなかった。 曲想がうかぶまま書いたオリジナルが、どこにも書き直しがない。
どれも直前に完成しているのだ、頭の中で。 どのページも写したように整っている。」
「その音楽は見事なまでにかんぺきだった。
音符一つ変えるだけで破綻が生じ、楽句一つで音楽がこわれる。」
「私は思い知った。・・・それは神の声による響きなのだ。
五線紙に閉じこめられた小さな音符の彼方に、私は至上の美を見た。」
そして、打ちのめされたサリエリは部屋に閉じこもり、初めて神を冒涜する言葉を口にして、十字架を火の中に投じます。
「もうあなたは、敵だ。憎い敵だ。
あなたは、神の賛美を歌う役目に、好色で、下劣で、幼稚なあの若造を選んだ。」
「そして私には彼の天分を見抜く能力だけ。あなたは不公平で、理不尽で、冷酷だ。」
「あんたの思い通りにはさせない。あんたの創造物であるあいつを、傷つけ、打ち砕く。あんたの化身であるあいつを滅ぼす。」
しかし、そんなサリエリの苦悩のバックに流れるモーツァルトの音楽の美しいこと。
やはり、いつの世も神は不公平なものです。
先駆者としてのラスキーヌ
ハープという楽器は見た目は優雅そうなのですが、楽器の持ち運びが大変でかなりの重労働だという話を聞いたことがあります。また、オーケストラの中でも基本は脇役に徹することが多くて、独奏楽器が華麗な名人技を披露する後ろで、ひたすら「ボロロ?ン、ボロローン・・♪♪」と伴奏に徹します。そんなわけですから、ハープのソリストというのはヴィオラのソリスト以上の希少種です。
そして、その希少種の中の最大のビッグネームが「リリー・ラスキーヌ」です。
おそらく、彼女の名前を抜きにしてハープという楽器を語ることは不可能でしょう。
その経歴は「Wikipedia」によると以下の通りです。
- 16歳でパリ・オペラ座管弦楽団にハープ奏者として入団。オペラ座の歴史上で初めて入団を許可された女性演奏家となる。
- 1934年にフランス国立管弦楽団が創設されると、ハープの独奏者に任ぜられた。
- 1950年にハープ奏者としてエラート・レーベルと契約し、音楽活動が新たな局面を迎える。
- 演奏活動のかたわら、1948年から、レジオンドヌール勲章を受けた1958年まで、母校パリ音楽院ハープ科の教授も務め、また、さまざまな声楽家と共演してレコードや映像も遺した。
- コメディ・フランセーズのハープ奏者も30年以上にわたって務め上げている。
骨の髄まで男社会だったオーケストラの中に食い込んでいく橋頭堡は常にハープ奏者だったのですが、そのハープ奏者の先頭を走り続けたのがラスキーヌだったわけです。
ですから、ハープ奏者にとっての「生命線」とも言うべきモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299」は何と5回も録音しています。
- (フルート)ルネ・ル・ロワ (指揮)サー・トマス・ビーチャム ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1947年7月11&12日録音録音)
- (フルート)フランソワ=ジュリアン・ブラン (指揮)フェルナン・ウーブラドゥ フェルナン・ウーブラドゥ管弦楽団(1955年7月7日録音)
- (フルート)ジャン=ピエール・ランパル (指揮)ジャン=フランソワ・パイヤール ジャン=マリー・ルクレール器楽アンサンブル(1958年7月録音)
- (フルート)ジャン=ピエール・ランパル (指揮)ジャン=フランソワ・パイヤール パイヤール室内管弦楽団(1963年6月録音)
- (フルート)ミシェル・デボスト (指揮)ルイ・オーリアコンブ 指揮,トゥールーズ室内管(1970年11月5&6日録音)
この中で最も有名なのが1963年のランパル&パイヤールのコンビによる録音でしょう。
この時ラスキーヌは既に70歳、そしてランパル41歳、パイヤール35歳の時の録音です。
この録音の5年前にも全く同じ顔合わせで録音しています。ちなみに、58年録音の時の「ジャン=マリー・ルクレール器楽アンサンブル」というのは、パイヤールが1953年に創設した楽団で、「パイヤール室内管弦楽団」の前身となったアンサンブルです。
この二つを較べてみると、オケのメンバーがかなり替わったのではないかと言うことが推測されます。響きがより豊かになり演奏の精度も上がっているようです。ランパルの腕もますます上がってきてるようですし、録音のクオリティも上がっています。そして、65歳の時のラスキーヌと70歳のラスキーヌとでは、それほど大きな違いは感じられません。
と言うことで、この二つを較べれば新しい方の63年盤を取るのが一般的でしょう。
そう言えば、ラスキーヌはさらに70年にミシェル・デボストとのコンビで最後の録音をしています。この時ラスキーヌは77歳だったのですが、それでも達者な演奏を披露してくれています。その達者さは、50代半ばの47年に録音したときと較べてもそれほどの差はないようにきこえますから、本当に演奏家としての生命が長かった人です。
ちなみに、彼女の最後の録音は81年の門下生であるノールマンとのコンビでハープの二重奏による小品集です。
この時御年88歳ですからたいしたものです。
ですから、例えばこの手の御大の常として、若い頃のモノラル録音を持ってきて、録音は悪いが全盛期の勢いのある演奏が聴けます・・・みたいな言い方はあまりあてはまらない人のようです。
47年録音のビーチャムとルネ・ル・ロワとの競演盤では、録音の悪さにオケの大味な雰囲気が重なって、個人的にはあまり楽しめません。もちろん、この録音を「柔らかく温かなロワの音がラスキーヌの典雅なハープに乗って流れていくこの名曲の理想的な名演」という人もいますので、それはそれぞれの感性と言うことでしょう。
ただし、ラスキーヌに関して言えば、彼女は最後の最後まで、第一線のハープ奏者としてやっていけるだけのクオリティは維持し続けた人だったことは間違いありません。
そうなると、フランソワ=ジュリアン・ブランとのコンビで55年に録音した演奏の立ち位置が微妙なのですが、これが聞いてみると意外なほどに面白いのです。推進力と生命力に溢れた演奏で、それ以外の典雅で上品な雰囲気が漂う演奏とは雰囲気が随分異なります。ちなみに、フランソワ=ジュリアン・ブランというフルーティストはあまり知られれていない人なのですが、調べてみると、あの有名な「世界最強の吹奏楽団」といわれる「ギャルド」の楽団長をつとめた人物のようです。
基本的に、このコンチェルトは、モーツァルトの数ある協奏曲のなかでも典型的なギャランと様式の作品ですから、このスタイルはもしかしたら「ちょっと違う」のかもしれませんが、それでも聞いて面白いことは事実です。
なお、最後に、70年盤のミシェル・デボストもあまり知られていない人ですが、彼もまたソリストと言うよりはパリ管の首席として活躍したフルーティストです。非常に典雅で上品な音を聞かせてくれるので、前に前にと出しゃばってくるランパルよりも好ましく思う人も少なくないかもしれません。
と言うことで、ラスキーヌを軸としてこの5つの録音を聞き比べてみるというのは、それなりに楽しい時間を保障してくれることは間違いありません。