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シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759


ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1961年1月25~27日録音をダウンロード

  1. シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759「第1楽章」
  2. シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759「第2楽章」

わが恋の終わらざるがごとく・・・



 この作品は1822年に作曲をされたと言われています。
 シューベルトは、自身も会員となっていたシュタインエルマルク音楽協会に前半の2楽章までの楽譜を提出しています。
 協会は残りの2楽章を待って演奏会を行う予定だったようですが、ご存知のようにそれは果たされることなく、そのうちに前半の2楽章もいつの間にか忘れ去られる運命をたどりました。

 この忘れ去られた2楽章が復活するのは、それから43年後の1965年で、ウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによって歴史的な初演が行われました。

 その当時から、この作品が何故に未完成のままで放置されたのか、様々な説が展開されてきました。

 有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
 もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。  

 前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかった、と言うのが今日の一番有力な説のようです。しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでこのように主張するなら分かるのですが、凡人がこんなことを勝手に言っていいのだろうか、と、ためらいを覚えてしまいます。

 そこで、ユング君ですが、おそらく「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思っています。
 この時期の交響曲は全て習作の域を出るものではありませんでした。
 彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。
 その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。

 ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
 一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。

てつがくしてるの

こういう風に二つ並べて紹介するのは少しばかり意地が悪いような気がします。しかし、優劣を論ずるのではなく、ものの本質に少しでも迫ろうと思えば「比較」というのは実に有効な手段です。以下述べることは、決してどちらかを貶めるのが目的ではありませんので、その点はご理解ください。

こうやって二つの演奏を並べてみると、若手のジュリーニが音楽を曲線的に構築しているのに対して、当時は既に「巨匠」とも呼ばれるポジションにあったサージェントの方がすっきりとした直線的な演奏であることに、少しばかりの驚きを感じてしまいました。もしも、この二つの演奏を完全なブラインド聴かせてから、どちらが若手の指揮者による演奏でしょうか?と尋ねれば、よほどのへそ曲がりでもない限りサージェントの方が「若い」と指さすでしょう。

録音のクレジットは以下の通りです。


  1. (Con.)Malcolm Sargent:Royal Philharmonic Orchestra Recorded 27~26/10/1960

  2. (Con.)Carlo Maria Giulini:Philharmonia Orchestra Recorded 25~27/1/1961



フィルハーモニア管弦楽団は1945年ウォルター・レッグによって創設されたオケです。同じように、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団は1946年にトーマス・ビーチャムによって創設されたオケです。どちらも、戦後になってから創設された若いイギリスのオケです。
さらに、録音時期に関して言えばこの二つの間には3ヶ月の隔たりしかありません。
つまりは、この二つの録音は、ほぼ同じ時代の同じ地域の空気の中で録音されたと言っても過言ではありません。それにもかかわらず、こう言うような手触りの違いが生ずるのですから、オーケストラ音楽における指揮者の重要性を改めて感じさせられます。

サージェントの演奏は、ひとことで言えば、この時代の好みや価値観にそった、実に行儀の良い演奏だとも言えます。
時代は、新即物主義が謳歌していた時代です。
もしも、シューベルトの音楽を古典派の交響曲の中に位置づけて、その音楽を端正に再構築すれば間違いなくサージェントのような音楽になります。颯爽としたテンポを取りながらも響きはしなやかな美しさを失わないので、聞いていて実に気分の良い演奏です。

それに対して、ジュリーニの演奏は、どうしてそこまで細かいところにネチネチとこだわるんですか?と聞いてみたくなります。物理的には、ジュリーニの方が早めのテンポ設定なのですが、そのネチネチ感のおかげで、体感的にはこちらの方がゆったりと音楽が流れていくように聞こえます。しかし、結果として、このネッチリとした音楽の作りにおかげで、デモーニッシュなシューベルトの姿が浮かび上がってくるような気はします。

つまりは、この二つの演奏の根底には、シューベルトの交響曲というのはどういう類の音楽なのかという「哲学」が違いが根底に横たわっています。そして、事が「哲学」に関わる問題となれば、安直に、ましてや好き嫌いのレベルなどで優劣は論じられないのです。

クラシック音楽における楽しみの一つに、こういう同曲異演を漁る(^^;というものがあります。
クラシック音楽を聴き始めた頃は、こういう「比較」を通して(競わせて?)チャンピオンを決めるという「決定盤」「名盤」探しをしたものですが、さすがに40年近くも聞き続けてくるとそんな事はアホらしくなってきます。しかしながら、それでもなお、そう言う演奏の違いなどは些細なことだとして、「みんなちがって みんないい」と言う解脱の域には未だ達していません。

それぞれの「哲学」に触れながら己の「哲学」を深めるというのは、未だに興味が尽きないのです。
とは言え、そんな哲学は『だれか来てくれるといいな。「なにしてるの?」と聞いたら、「てつがくしてるの」って答えるんだ』というレベルではあるのですが・・・。(^^;

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