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バッハ:二声のインヴェンションと三声のシンフォニア BWV 772-801
(P)グレン・グールド 1964年3月18日~19日録音をダウンロード
<二声のインヴェンション BWV 772-786>- バッハ:インヴェンション 第 1 番 ハ長調 BWV 772
- バッハ:インヴェンション 第 2 番 ハ短調 BWV 773
- バッハ:インヴェンション 第 3 番 ニ長調 BWV 774
- バッハ:インヴェンション 第 4 番 ニ短調 BWV 775
- バッハ:インヴェンション 第 5 番 変ホ長調 BWV 776
- バッハ:インヴェンション 第 6 番 ホ長調 BWV 777
- バッハ:インヴェンション 第 7 番 ホ短調 BWV 778
- バッハ:インヴェンション 第 8 番 ヘ長調 BWV 779
- バッハ:インヴェンション 第 9 番 ヘ短調 BWV 780
- バッハ:インヴェンション 第 10 番 ト長調 BWV 781
- バッハ:インヴェンション 第 11 番 ト短調 BWV 782
- バッハ:インヴェンション 第 12 番 イ長調 BWV 783
- バッハ:インヴェンション 第 13 番 イ短調 BWV 784
- バッハ:インヴェンション 第 14 番 変ロ長調 BWV 785
- バッハ:インヴェンション 第 15 番 ロ短調 BWV 786
- バッハ:シンフォニア 第 1 番 ハ長調 BWV 787
- バッハ:シンフォニア 第 2 番 ハ短調 BWV 788
- バッハ:シンフォニア 第 3 番 ニ長調 BWV 789
- バッハ:シンフォニア 第 4 番 ニ短調 BWV 790
- バッハ:シンフォニア 第 5 番 変ホ長調 BWV 791
- バッハ:シンフォニア 第 6 番 ホ長調 BWV 792
- バッハ:シンフォニア 第 7 番 ホ短調 BWV 793
- バッハ:シンフォニア 第 8 番 ヘ長調 BWV 794
- バッハ:シンフォニア 第 9 番 ヘ短調 BWV 795
- バッハ:シンフォニア 第 10 番 ト長調 BWV 796
- バッハ:シンフォニア 第 11 番 ト短調 BWV 797
- バッハ:シンフォニア 第 12 番 イ長調 BWV 798
- バッハ:シンフォニア 第 13 番 イ短調 BWV 799
- バッハ:シンフォニア 第 14 番 変ロ長調 BWV 800
- バッハ:シンフォニア 第 15 番 ロ短調 BWV 801
一所懸命に励むものは誰でも、このぐらいにはなれるのだ。
いったいどれほどの子どもがピアノの前に座ってこの作品を嫌々演奏したことでしょう。しかし、その責任は決してバッハにあるのではなくて指導者の側にあります。
バッハは偉大な音楽家である同時に、類い希な教育者でもありました。どこかで読んだ話では、日本の某女性ピアニストは弟子を取らない理由として「下手なピアノを聞くと自分まで下手になる」とのたまったそうですが、バッハは決してその様なことは言いませんでした。
それどころか、弟子に音楽を教えることは、彼にとっては作曲や演奏と同じくらい重要なことであり続けました。そして、その様な教育活動のために、弟子の課題に合わせた練習曲を山のように作りました。それは、この2声と3声の練習曲だけでなく、フランス組曲やイギリス組曲、パルティータ、そしてピアノの旧約聖書とも称される平均率グラヴィーア曲集も、基本的には弟子たちの教育のために作曲されたものです。
それは、ロマン派の時代に大量に生み出された無味乾燥な練習曲とは全く異なるものでした。そして、その事は、シンプルな上にもシンプルな2声のインヴェンションにおいてすら、高い音楽性によって指の運動にとどまらない価値を持っていました。
しかし、それはバッハという「偉大な音楽家」が生み出したものだから音楽的にすぐれていたという簡単な話ではなく、まさに「献身」といっていいほどの情熱と誠実さをもって教育に取り組んだからこそその様なすぐれた作品に昇華したのだと言うことを見落としてはいけません。
その事は、この作品集の末尾に
「まず2声部をきれいに弾き分けるだけでなく、さらに上達したならば、オブリガートの3声部を正しくそして上手に処理」するという指の運動だけでなく、同時に、
「優れた楽想(インヴェンション)を得るだけでなく、それらを巧みに展開すること、そしてとりわけカンタービレの奏法を身につけ、それとともに作曲の予備知識を得る」ことを目的としていると述べていることからも明らかです。
つまり、バッハにとってのグラヴィーアの練習とは単なる指の運動ではなくて、それと同時に音楽に対する認識を深めるものでなくてはいけなかったのです。
そして、バッハは成果の上がらない弟子たちに常にこう語っては励ましていたそうです。
「わたしは一所懸命に励んだのだ。一所懸命に励むものは誰でも、このぐらいにはなれるのだ。」
子どもたちに指の運動だけを教えるのではなくて、そこにこめられたバッハの精神も伝えることができれば、どれほど多くの子どもたちが救われることでしょう。
まるで一つの大きな作品であるかのように聞こえる演奏
こういう音楽が素直に心の中に入ってくるかどうかは一種のリトマス試験紙のようなものかもしれません。そして、素直に入ってくる人は年寄りだと言うことです。こんな言い方をすると反発を感じる人もいるかもしれませんが、若い人にとっては「理」で聞けたとしても「情」で納得するのは難しいように思います。
若者の特権はドラマティックなものに向き合ってもへこたれないパワーとエネルギーが満ちていることです。ところが、年を重ねるにつれて、ドラマティックなものが鬱陶しくなってきます。五月蠅いんですね。
そして、世は基本的に年寄りが実権を握っているので、そう言う鬱陶しくなっていく心の動きを「枯れる」といって、ドラマティックなものよりも一段高く見る価値観が大きな顔をしてのさばっています。
しかし、何のことはない、要は年寄りが己の中のエネルギーの枯渇を正当化しているだけです。
とは言え、人生は短く、己の心が素直に反応できないようなものに対して分かったような「理」でもって付き合っていくような暇はありません。年寄りは年寄りに相応しい音楽を聴くのが、残された少ない時間を有効に活用するためには最も無難はやり方です。何と向上心のない!とお叱りを受けるかもしれませんが、はい、その通り、年寄りというのは向上もしないので頑固ななのです。
しかし、そう思ってグールドの肖像を眺めていると、この男は若い頃から妙に年寄りじみて疲れた雰囲気が漂っています。この2声と3声のインヴェンションとシンフォニアは1964年の3月に録音されているので、その時グールドは32歳なのに、どうしようもない疲れのようなものが漂っています。
そう思えば、わずか50年しかなかったグールドの人生なのですが、本人にしてみればもう十分すぎるほど生きた50年だったのかもしれません。
なお、この録音ではグールド自身の指示で以下のような順序で演奏されています。
- 二声のインヴェンション第1番ハ長調 BWV772
- 三声のシンフォニア第1番ハ長調 BWV787
- 二声のインヴェンション第2番ハ短調 BWV773
- 三声のシンフォニア第2番ハ短調 BWV788
- 二声のインヴェンション第5番変ホ長調 BWV776
- 三声のシンフォニア第5番変ホ長調 BWV791
- 二声のインヴェンション第14番変ロ長調 BWV785
- 三声のシンフォニア第14番変ロ長調 BWV800
- 二声のインヴェンション第11番ト短調 BWV782
- 三声のシンフォニア第11番ト短調 BWV797
- 二声のインヴェンション第10番ト長調 BWV781
- 三声のシンフォニア第10番ト長調 BWV796
- 二声のインヴェンション第15番ロ短調 BWV786
- 三声のシンフォニア第15番ロ短調 BWV801
- 二声のインヴェンション第7番ホ短調 BWV778
- 三声のシンフォニア第7番ホ短調 BWV793
- 二声のインヴェンション第6番ホ長調 BWV777
- 三声のシンフォニア第6番ホ長調 BWV792
- 二声のインヴェンション第13番イ短調 BWV784
- 三声のシンフォニア第13番イ短調 BWV799
- 二声のインヴェンション第12番イ長調 BWV783
- 三声のシンフォニア第12番イ長調 BWV798
- 二声のインヴェンション第3番ニ長調 BWV774
- 三声のシンフォニア第3番ニ長調 BWV789
- 二声のインヴェンション第4番ニ短調 BWV775
- 三声のシンフォニア第4番ニ短調 BWV790
- 二声のインヴェンション第8番ヘ長調 BWV779
- 三声のシンフォニア第8番ヘ長調 BWV794
- 二声のインヴェンション第9番ヘ短調 BWV780
- 三声のシンフォニア第9番ヘ短調 BWV795
言うまでもないことですが、バッハ自身はこれら30曲を一つのまとまりを持った作品として創作したわけではありません。しかし、こうした配列でグールドが演奏すると、これらはまるで一つの大きな作品であるかのように聞こえます。
ただし、その作品はある種のドラマ性をもった音楽ではなくて、喩えてみれば、ソファに深く腰を下ろして微妙にうつろっていくイメージを眺めているような気分にさせられます。大きな身振りや手振りは禁欲的なまでに抑制されています。