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ブラームス:チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38
(Vc)ヤーノシュ・シュタルケル (P)ジェルジ・シェベック 1964年6月録音(?)をダウンロード
貴重なチェロの作品
ブラームスのソナタ作品と言えば3曲のヴァイオリンソナタが真っ先に思い出されますが、チョロソナタとなると、チェロでも書いていたの?と思う人もいるかもしれないほどに認知度が一気に下がります。
しかし、それはブラームスに限った話ではなくて、ベートーベンであってもチェロソナタはヴァイオリンソナタの陰に隠れています。そして、陰に隠れているだけならまだしも、ほとんどの作曲家はヴァイオリンソナタは手がけてもチェロソナタには手を染めていない人の方が多数派です。
詳しいことは分からないのですが、チェロを独奏楽器とした音楽を書くのには何か難しさがあるようです。(ヴァイオリンと較べるとチェロの方が演奏が難しい・・・わけでもなないでしょうし・・・。)
ブラームスは自分で破棄した幾つかの作品を除けば2曲のチェロソナタを残してくれています。
少ないと言えば少ないのですが、それでも、チェロのソリストにとっては貴重な2曲です。昨今のコンサートで取り上げられるチェロの作品と言えば、バッハの無伴奏とベートーベンの5曲のチェロソナタくらいです。協奏曲になると、実質的にはドヴォルザークとエルガーの2曲くらいで、後はかろうじてシューマンとサン・サーンスの作品くらいですから。
そう言う意味で言えば、ロマン派の手になるチェロの室内楽作品としてこの2曲は非常に貴重な存在です。
しかし、ブラームスの音楽家人生の中においてみると、第1番はどちらかと言えば若い頃の作品(20代後半)であるのに対して、第2番の方は壮年期の作品(50代前半)という違いがあります。そして、この2曲を聞き比べてみると、チェロの響き方が全く違うことに気づかされます。
第1番の方は3つの楽章が全て短調で書かれているために、北国の荒涼とした雰囲気が全体を貫いているだけでなく、なによりもチェロの響きが深くて渋いです。いや、渋すぎる、と言った方がいいかもしれません。それは、チェロが奏でるラインの音域がほとんどピアノの音域よりも下に潜っていることが原因です。
ブラームスはこの作品に「チェロとピアノのための難しくない曲」というタイトルを付けているのですが、それがこのような抑制的な音域につながったのかもしれません。それくらいに、この作品においてチェロが高音域に駆け上がる場面はほとんどありません。
それに対して50代の半ばに書かれた第2番のソナタでは、チェロが最も素晴らしく響く音域が効果的に使われています。そして、注意深く響きに耳を傾ければ、チェロは相棒であるピアノの左手よりも下に沈み込むことはほとんどなく、右手の音域より上にでることもありません。つまりは、ピアノにサンドイッチされるようにして、己の響きがもっと魅力的に聞こえる世界で思う存分に歌っています。
そして、こういうチェロの扱い方の違いを見せつけられると、なるほど「円熟」とはこういう事かと納得させられます。
もちろん、ブラームスの円熟はそう言うチェロの扱い方だけでなく、相棒であるピアノの密度という点でも大きな違いがあります。場合によっては、チェロがなくても単独のピアノ作品として成り立つほどの密度を持っています。
結果として、どちらかと言えば北国的な渋さの中に沈潜していた第1番に対して、第2番ではロマン派の室内楽作品らしい情熱的な力強さが前面に出ています。
そして、こういうチェロ作品を聞かされると、彼がドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴いたときに、チェロでこんな音楽が音楽が書けるなら自分も書いておくのだった、みたいなことを言ったと伝えられているのですが、そこにはかなりドヴォルザークへの思いやりもあったのではないかと思ってしまいます。
チェロソナタ 第1番 ホ短調 作品38
- 第1楽章:アレグロ・ノン・トロッポ ホ短調 ソナタ形式(静かに何かを語り出す北国的な風情が魅力的な音楽です。)
- 第2楽章:アレグレット・クアジ・メヌエット イ短調 複合3部形式(ブラームス特有の暗さが満載の音楽。ここには65年の母の死が反映しているという人もいます。)
- 第3楽章:アレグロ ホ短調 自由なフーガ(バッハのフーガの技法から暗示された主題を使った音楽らしいです。若きブラームスの作曲技法の凄さが実感できる音楽です!!)
チェロソナタ第2番 ヘ長調 作品99
- 第1楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ ヘ長調 ソナタ形式(ピアノの波打つようなトレモロにのってチェロがオペラのアリアのように歌い出す。第1番とはうって変わったような情熱的な音楽)
- 第2楽章:アダージョ・アッフェットゥオーソ 嬰ヘ長調 3部形式(チェロも素晴らしい歌を聞かせるのですがピアノはさらに単独のピアノ作品としても成り立つだけの素晴らしさを持っています。最初は控えめに伴奏してたピアノが次第に高揚していく様は見事と言うしかありません。)
- 第3楽章:アレグロ・パッシオマート ヘ短調 3部形式(どことなくぎくしゃくした感じが魅力と言えば魅力の楽章です。どこかスケルツォ的な楽章だとも言えます。)
- 第4楽章:アレグロ・モルト ヘ長調 ロンド形式(歯切れの良いリズムと親しみやすいメロディが魅力的な楽章です。)
忘れてしまうには惜しいピアニスト~シェベック
ここで今さらシュタルケルのことを云々するのは時間の無駄、ページの無駄でしょう。彼の凄さについては書きつくされ、語られつくされています。ですから、ここではピアノをつとめている「Gyorgy Sebok」について少しふれておきます。
「Gyorgy Sebok」は日本では「ジェルジ・シェベック」と発音されているようですが、ピアニストとしてはほとんど無名に近い存在ではないでしょうか?
ただ、シュタルケルがマーキュリーレーベルで行った一連の録音でパートナーを務めたということで、微かに記憶に残っているという存在です。
ところが、この残された録音を聞いてみると、驚くほど素晴らしいのです。率直にって、チェロが主でそれにつきあわさせてもらっています・・・みたいな雰囲気は微塵もありません。シュタルケルのチェロを向こうに回して、ガンガンと前に出てきます。
確かに、ショパンのこのチェロソナタは、基本的には「チェロ・オブリガートつきのピアノソナタ」です。ある人に言わせれば「ピアノソナタ第4番」だそうです。
ですから、ピアニストがヘボでは話にならないのは当然ですし、これくらい前に出てきてくれないとこの作品の魅力は消し飛んでしまいます。
ところが、意外と、そのあたりの兼ね合いが難しいという話を聞いたことがあります。
この作品はピアニストに対して伴奏者としての技量ではなくソリストとしての技量を求めます。しかし、ソリストとしての技量を持つピアニストであれば、何もこのような作品でチェリストとつきあわなくても他で自分をアピールできる作品はいくらでもあります。おまけに、室内楽作品では自宅で一人で練習というわけには行きません。時間と場所を押さえて「合わせる」事が必要になってきます。
つまりは、ソリストとしてやっていけるだけの技量を持つピアニストであれば、面倒くさい作品なのです。
ネット情報によると、二人結びつきは、ハンガリー動乱でパリに亡命をしていたシェベックをシュタルケルが援助したことから始まるそうです。そして、この二人の結びつきはマーキュリーの録音だけでなくコンサートでもコンビを組み世界中を回ったようです。
シュタルケルの初来日の時も美人の奥さんとシェベックの3人組でやってきたそうです。
ただ、不思議なのは、これだけの技量を持ったピアニストがどうしてソリストとして大成しなかった(もしくは、それをメインに活動しなかった)のかと言うことです。
70年代にはグリュミュオーの伴奏者を務めてブラームスのヴァイオリンソナタを録音したり、ボザール・トリオに紛れ込んでブラームスの三重奏曲全集を録音したりしていますが、ソリストとしての仕事は非常に少ないようです。かろうじて、エラートレーベルでバルトークやショパン、リストなどを録音しているようですが、それも廃盤となって久しいようです。
晩年は、桐朋大学でピアノのマスターコースも担当して日本との関係も深かっただけに、忘れ去られてしまうのは少しばかり勿体ない存在です。
マーキュリーレーベルでの録音
- J.S.バッハ:チェロ・ソナタ 第3番 ト短調 BWV1029 1963年4月録音
- ショパン: 序奏と華麗なポロネーズop.3 8.46 1963年10月録音
- ショパン:チェロ・ソナタ ト短調 op.65 1962年7月録音
- ブラームス:チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 作品38 1964年6月録音
- ブラームス:チェロ・ソナタ 第2番 へ長調 作品99 1964年6月録音
- メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ 第2番 ニ長調 作品58 1962年7月録音
- メンデルスゾーン:協奏的変奏曲 Op. 17 1963年10月録音
- マルティヌー:ロッシーニの主題による変奏曲 1963年10月録音
- ドビュッシー:チェロ・ソナタ第1番ニ短調 1963年10月録音
- バルトーク:ラプソディ第1番 10.22 1963年10月録音
- ヴェイネル:ハンガリーのウェディング・ダンス 1963年10月録音