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マーラー:交響曲第2番 「復活」ハ短調


バーンスタイン指揮ニューヨークフィル (Ms)ジェニー・トゥーレル (S)リー・ヴェノーラ カレジエート合唱団 1963年9月29日 録音をダウンロード

  1. マーラー:交響曲第2番 「復活」ハ短調 「第1楽章」
  2. マーラー:交響曲第2番 「復活」ハ短調 「第2楽章」
  3. マーラー:交響曲第2番 「復活」ハ短調 「第3楽章」
  4. マーラー:交響曲第2番 「復活」ハ短調 「第4楽章」
  5. マーラー:交響曲第2番 「復活」ハ短調 「第5楽章」

交響曲の時代の終焉を飾った人、それがマーラーでした



と書けば反論が返ってくるかもしれません。マーラー以後も交響曲を書きつづけた人がいるからです。
たとえば、シベリウス、たとえば、ショスタコーヴィッチ。

しかし、彼らの交響曲は、クラシック音楽の中心に座りつづけてきた交響曲のありようとはどこかが違います。
シベリウスはその最後において、これ以上は切り詰めようもないほどの単楽章の7番で最後を飾ります。ショスタコーヴィッチも、14番では歌曲集だといわれても仕方のないような形に行き着きます。

そう言う意味では、ハイドン、ベートーベンと受け継がれてきた王道としての交響曲は、恐竜のように巨大化した果てに、マーラーで滅びてしまったと言っても言い過ぎではありません。

それにしても、巨大なシンフォニーです。普通に演奏しても90分はかかります。最終楽章だけでも30分ではおさまりきれません。オーケストラの構成も巨大化のきわみに達します。
彼はその晩年において、演奏に1000人を要する第8交響曲を生み出しますが、その巨大化のへの傾向はこの第2番でもはっきりとしています。特にこの最終楽章のラスト数分間に渡って繰り広げられる絢爛たる響きは特筆ものです。

そう言えば、この絢爛たる響きに魅せられて、これ一曲だけの指揮者になった人物がいました。彼は、そのために事業を起こして成功をおさめ、稼いだお金で指揮法を学び、プロのオーケストラを雇っては練習を重ねました。
そして、仕事の合間をぬっては、一曲だけの指揮者と銘打って演奏会を行いました。もちろん、自分のお金でオーケストラを雇ってですが、評判が高まるにつれて、時には正式に招かれることもあったようです。CDも出して、店頭に並べられたこともありました。

名前を確認しようとして資料を探したのですが、なかなか見つかりません。記憶では、なんとか・キャプランと言ったような気がします。(ジェームス・キャプランだったかな?当時は結構話題になったのですが、人の記憶なんて当てにならないものです・・・ギルバート・キャプランですね。2002年12月にはウィンフィルと録音もしていますね。大したものです。)
専門家筋では小馬鹿にしたような対応が大勢でしたが、私は、アメリカの金持ちと言うのは粋なことをするもんだと感心したものです。まさに、彼は自らの生涯をかけて、この作品を愛しつづけたのです。

<どうでも言い追記>
彼を小馬鹿にしていた評論家連中を沈黙させたのは、彼が愛した「復活」のキャプラン校訂による国際マーラー協会クリティカル・エディションの出版でした。
これは意外と知られていないことですが、マーラー演奏の時に結構深刻な問題となるのが、楽員の使っているパート譜と、指揮者の使うスコアが一致しない事が「普通」だという怖ろしい事実です。
そして、キャプランは色々なオケに客演して「復活」を演奏するたびにこの怖ろしい「事実」にたびたび遭遇するのですが、普通の指揮者ならばそんな事はやってられないことを、この「復活」一曲だけの指揮者はやってのけたのです。

彼は、まずマーラーの自筆譜を購入します。「復活」の自筆譜はバラバラの状態で世界中に散逸していたらしいのですが、彼はそれら全てを買い集めます。(なんて素敵なお金の使い方!!)

さらに音楽学者のレナーテ・シュタルク=フォイトの協力を得て、従来の出版譜と買い集めた自筆譜をつきあわせてその差異を細かく検証・分析し、400に及ぶ問題点や疑問箇所を抽出したのです。そして、その研究成果をもとに、「復活」の決定版とも言うべき「キャプラン校訂による国際マーラー協会クリティカル・エディション」を出版し、成果を世に問うたのです。
2002年にウィーンフィルに招かれて行った録音は、まさにそのキャプラン校訂版による世界初の録音だったのです。

これを持って、彼を小馬鹿にしていた評論家達は全て沈黙しました。
重ねて言いますが、大した男です。
<どうでも言い追記終わり>

マーラーは指揮者としては頂点を極めた人ですが、作曲家としてはそれほど認められることもなく世を去りました。彼は晩年、いつか自分の作品が認められる時代がくるはずだと信じてこの世を去りました。

60年代にバーンスタインがNYOとの共同作業で完成させたマーラーの交響曲全集は、マーラー再評価への偉大な狼煙でした。
彼は晩年にもうひとつの全集を完成させていますが、マーラーの福音を世につたえんとの気概に燃えた旧全集は今もその価値は失っていないと思います。
それ以後、CDの登場によって、マーラーは一躍クラシック音楽の表舞台に飛び出し、マーラーブームだといわれました。
今ではもはやブームではなく、クラシック音楽のコンサートにはなくてはならないスタンダードなプログラムとして定着しています。

まさに彼が語ったように、「巨人」の「復活」です。

共感をスタンダードへ!!

バーンスタインと言えばマーラーです。しかし、マーラーと言えばバーンスタインと言えるかというとそれは微妙ですが、それでもマーラーの演奏史における役割の大きさは否定できません。
1958年にニューヨークフィルの常任指揮者に就任すると同時に彼の録音活動が本格化するのですが、その中核をなしたのは疑いもなくマーラーでした。

この時代の彼の録音をまとめて聞いているうちに不思議なことに気づきました。
それは、作品へのアプローチが極端に二分しているのです。

一つは、「俺の音楽を聴け!」という「俺さま症候群的な音楽」の作り方で、もう一つは「作曲家視線」で「皆さん、この作品はこういう構造なんですよ!」と懇切丁寧に解説するようなアプローチです。

前者のアプローチは、作品に没頭し、時には指揮台の上でジャンプしていたバーンスタインの姿が思い浮かぶようなアプローチです。
ドヴォルザークやチャイコフスキーなどの録音を聞くと、ものの見事までにこの「俺さま症候群的な音楽」になっています。ヨーロッパの伝統的なアプローチから見ればかなりへんてこな音楽になっているのですが、それでもそんな「お約束」などは気にせず、己の信じた音楽を貫いています。

ところが、ドイツ正統派の王道であるベートーベンの交響曲なんかになると「俺さま症候群的な音楽」は後退してしまいます。逆に、「僕は作曲家だから、こんなにも見事に作品の構造を描き出せるんだよ!」という雰囲気が前面に出てきます。底意地の悪い見方をすれば、さすがに「俺さまのベートーベンを聴け!」という勇気は持てなかった・・・と言うことです。
さらに、共感できないような作品になると「俺さま症候群的な音楽」の作り方ができるはずもないので、「皆さん、この作品はこういう(ココロの中ではおそらく・・・この程度の)音楽なんですよ!」と言う感じで、「作曲家視線」がさらに顕わになります。

もちろん、この時代のバーンスタインの録音がこんなにも簡単に図式的に割り切れるわけはないのですが、それでも大きく的は外れていないように思います。

そこで、マーラーなのですが、これは当然のことながら前者の「俺さま症候群的な音楽」の作り方です。
しかし、ドヴォルザークやチャイコフスキーの録音で感じたような「変てこさ」はありません。マーラーへの深い共感に満ちた演奏でありながら、そこで構築されたマーラー像はこれ以後のマーラー演奏のスタンダードとなり得たのです。

なるほどそうだったのか!!と、勝手にひらめいてしまいました。
そうなんです、彼は、己の感性と共感をフルに発揮して演奏してもヨーロッパの正統的伝統から「間違ってるんじゃない?!」と言われなくてもすむような対象を探していたんだと思います。

マーラーこそは、己が深い共感を持って対峙できる音楽でありながら、同時にヨーロッパの伝統という「垢」というか「苔」というか、そう言うものがほとんどついていない音楽だったのです。
なにしろ、マーラーの弟子だったワルターやクレンペラーが師の作品を何とか多くの人に理解してもらおうと孤軍奮闘が続いていた時代です。それでもなかなか理解は広まらず、一部の現代音楽に強い指揮者が時たま取り上げる程度にとどまっていたのです。
バーンスタインにとって、マーラーこそは漸くにして探り当てた金鉱だったのです。

そして、彼は己に与えられた「録音の自由」という特権を生かしてマーラーの録音に取りかかります。
そこで己に課したことは、「自分が信じ、共感したマーラーの姿をマーラーのスタンダードにする」ことだったはずです。
ベートーベンと言えばフルトヴェングラーであり、モーツァルトと言えばワルターであったように、マーラーと言えばバーンスタインと言ってもらえるような仕事を目指したのです。
そして、その事は実現しました。

弟子あでったワルターやクレンペラーが結局は成し遂げられなかったマーラーの再評価、マーラールネッサンスをこのアメリカの若者は実現したのです。そして、これに続く時代はこの録音を一つの基準として様々なマーラー像が探られていったのです。
もちろん、バーンスタイン自身もこの地点にとどまることなく、再度、新しいマーラー像を問うことになるのですが、それでも、このニューヨーク時代のマーラー演奏の価値は失われることはありません。いわゆる創業者利益みたいなものです。

そして、この徹底的に己を信じ、そう言う己のマーラーへの深い共感をさらけ出した演奏はやはり感動的です。

わずか40歳にして、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてアメリカのメジャーオケのシェフに就任するというのは、大変な重圧だったと思うのですが、その重圧を跳ね返して次のステップへと歩を進めることができたのはこのマーラー演奏に対する自信があったからだと思います。
これだけは誰にも負けないというものがあれば、人はかなり幸せに生きていけると言うことなのでしょう。

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