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シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759


クーベリック指揮 ウィーンフィル 1960年11月29日録音をダウンロード

  1. シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759「第1楽章」
  2. シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759「第2楽章」

わが恋の終わらざるがごとく・・・



 この作品は1822年に作曲をされたと言われています。
 シューベルトは、自身も会員となっていたシュタインエルマルク音楽協会に前半の2楽章までの楽譜を提出しています。
 協会は残りの2楽章を待って演奏会を行う予定だったようですが、ご存知のようにそれは果たされることなく、そのうちに前半の2楽章もいつの間にか忘れ去られる運命をたどりました。

 この忘れ去られた2楽章が復活するのは、それから43年後の1965年で、ウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによって歴史的な初演が行われました。

 その当時から、この作品が何故に未完成のままで放置されたのか、様々な説が展開されてきました。

 有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
 もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。  

 前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかった、と言うのが今日の一番有力な説のようです。しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでこのように主張するなら分かるのですが、凡人がこんなことを勝手に言っていいのだろうか、と、ためらいを覚えてしまいます。

 そこで、ユング君ですが、おそらく「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思っています。
 この時期の交響曲は全て習作の域を出るものではありませんでした。
 彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。
 その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。

 ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
 一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。

クーベリックの美質はしっかりと刻み込まれている

この時代、クーベリックはウィーンフィルとよく仕事をしています。この背景にはクレンペラーの後押しがあったという「噂」も聞くのですが真偽のほどは確認できませんでした。
調べてみると、1955年を挟んだ前後3年と、1960年代の初頭に特に集中しています。特に、1960年代初頭における集中は凄くて、調べた範囲では以下のようになっているみたいです。


  1. シューベルト:交響曲第3番 ニ長調 1960年1月12日-14日,18日録音

  2. シューベルト:交響曲第4番 ハ短調「悲劇的」1960年1月12日~14日,18日録音

  3. チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 作品64 1960年1月21日~24日録音

  4. チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36 1960年1月18日,19日録音

  5. チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」 1960年1月24日,25日&27日,28日録音

  6. ボロディン:交響曲 第2番 ロ短調 1960年1月20日,27日,28日録音

  7. ボロディン:歌劇「イーゴリ公」より「韃靼人の踊り」 1960年1月20日,27日,28日録音

  8. シューベルト:第7番 ロ短調「未完成」 1960年11月29日録音

  9. モーツァルト:交響曲第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」 1961年1月3日~4日録音

  10. モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調 K.425 「リンツ」 1961年1月4日録音

  11. モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」 1961年1月5日録音

  12. モーツァルト:セレナード第13番 ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 1961年1月9日録音

  13. モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 K.551 「ジュピター」 1961年1月10日~11日録音

  14. モーツァルト:カッサシオン 第1番 ト長調 K.63 1961年1月10日~11日録音



61年には、クーベリック専用のオケとも言うべき存在となるバイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任することになるので、ウィーンフィルとの関係は夏のザルツブルグ音楽祭のみとなっていきます。
そして、チャイコフスキーのところでもふれたのですが、これらの録音は全てウィーンのムジークフェラインザールを借り切って行われており、録音プロデューサーはすべてVictor Olof(ヴィクター・オロフ)です。

この一連の録音を特徴づけているのは、ウィーンフィルとも思えないような重厚で野太い響きで音楽が構築されていることでしょう。そして、その事が聞きようによってはクーベリックがウィーンフィルをコントロールすることを放棄しているように感じられて、評価を下げることにもつながっています。
ただ穿った見方をすれば、こんな風にも考えられます。

クーベリックをウィーンフィルに押し込んだのがクレンペラーだとすれば、この響きの感じは非常にクレンペラー的です。さすがに、クレンペラーほどの重戦車ではありませんが、基本的なテイストは戦車的です。
さらに、デッカの重鎮だったオロフはこの数年前にEMIに移籍しています。言うまでもないことですが、EMIにおけるクレンペラーの担当はレッグです。

この二つの条件をグルグルポンして出てくる一つの「解」は、クレンペラー推しのクーベリックを使って、「フィルハーモニア&クレンペラー」に対抗しうる「ウィーンフィル+クーベリック」を作ろうとした・・・です。そして、その方向性はクーベリック自身においても一つの目指すべき方向性だったので、この1年にわたる濃密な関係が実現した・・・です。

もちろん、推測の上に推測を重ねた話ですし、何よりもあのクレンペラーみたいな男が他の人のためにウィーンフィルに口利きをするというのはにわかに信じかねる話ではあります。
ただ、面白いのは、いつもはかなり気ままに自分たちの流儀で演奏をするウィーンフィルが、まるでどこかの田舎オケみたいな野太い音を出していることです。そして、この響きこそは、今の時代には失われてしまった、この時代のヨーロッパの響きでした。あのベルリンフィルも、カラヤンに飼い慣らされるまではこういうバーバリズムに溢れた音を出していました。
そして、後のクーベリックとバイエルンのオケとの録音を聞いてみても、クーベリックという人はこういう響きが好きだったんだと言うことに思い至ります。彼の音楽にはサービス精神は基本的に欠落していますが、オケの響きも音楽の形も手作りの生な形で提出することを恐れない信念はありました。その意味で、カラヤンのようなスター指揮者にはなりませんでしたが、残された録音(特にバイエルのオケとの)の多くが、何度繰り返し聞かれても飽きることのない、いや、聞き返せば聞き返すほどに味わいが増すものばかりでした。

いささかウィーンフィルはその様な音楽作りはお気に召さない部分もあちこちにうかがえるのですが、それでもそういうクーベリックの美質はしっかりと刻み込まれている録音であることは間違いありません。