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シューベルト:交響曲8(9)番 ハ長調「ザ・グレイト」 D944


スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ指揮 ミネアポリス交響楽団 1961年11月26日録音をダウンロード

  1. シューベルト:交響曲8(9)番 ハ長調「ザ・グレイト」 D944 「第1楽章」
  2. シューベルト:交響曲8(9)番 ハ長調「ザ・グレイト」 D944 「第2楽章」
  3. シューベルト:交響曲8(9)番 ハ長調「ザ・グレイト」 D944 「第3楽章」
  4. シューベルト:交響曲8(9)番 ハ長調「ザ・グレイト」 D944 「第4楽章」

この作品はある意味では「交響曲第1番」です。



天才というものは、普通の人々から抜きんでているから天才なのであって、それ故に「理解されない」という宿命がつきまといます。それがわずか30年足らずの人生しか許されなかったとなれば、時代がその天才に追いつく前に一生を終えてしまいます。

 シューベルトはわずか31年の人生にも関わらず多くの作品を残してくれましたが、それらの大部分は親しい友人達の間で演奏されるにとどまりました。彼の作品の主要な部分が声楽曲や室内楽曲で占められているのはそのためです。
 言ってみれば、プロの音楽家と言うよりはアマチュアのような存在で一生を終えた人です。もちろん彼はアマチュア的存在で良しとしていたわけではなく、常にプロの作曲家として自立することを目指していました。
 しかし世間に認められるには彼はあまりにも前を走りすぎていました。(もっとも同時代を生きたベートーベンは「シューベルトの裡には神聖な炎がある」と言ったそうですが、その認識が一般のものになるにはまだまだ時間が必要でした。)

 そんなシューベルトにウィーンの楽友協会が新作の演奏を行う用意があることをほのめかします。それは正式な依頼ではなかったようですが、シューベルトにとってはプロの音楽家としてのスタートをきる第1歩と感じたようです。彼は持てる力の全てをそそぎ込んで一曲のハ長調交響曲を楽友協会に提出しました。
 しかし、楽友協会はその規模の大きさに嫌気がさしたのか練習にかけることもなくこの作品を黙殺してしまいます。今のようにマーラーやブルックナーの交響曲が日常茶飯事のように演奏される時代から見れば、彼のハ長調交響曲はそんなに規模の大きな作品とは感じませんが、19世紀の初頭にあってはそれは標準サイズからはかなりはみ出た存在だったようです。
 やむなくシューベルトは16年前の作品でまだ一度も演奏されていないもう一つのハ長調交響曲(第6番)を提出します。こちらは当時のスタンダードな規模だったために楽友協会もこれを受け入れて演奏会で演奏されました。しかし、その時にはすでにシューベルがこの世を去ってからすでに一ヶ月の時がたってのことでした。

 この大ハ長調の交響曲はシューベルトにとっては輝かしいデビュー作品になるはずであり、その意味では彼にとっては第1番の交響曲になる予定でした。もちろんそれ以前にも多くの交響曲を作曲していますが、シューベルト自身はそれらを習作の域を出ないものと考えていたようです。
 その自信作が完全に黙殺されて幾ばくもなくこの世を去ったシューベルトこそは「理解されなかった天才の悲劇」の典型的存在だと言えます。しかし、天才と独りよがりの違いは、その様にしてこの世を去ったとしても必ず時間というフィルターが彼の作品をすくい取っていくところにあります。この交響曲もシューマンによって再発見され、メンデルスゾーンの手によって1839年3月21日に初演が行われ成功をおさめます。

 それにしても時代を先駆けた作品が一般の人々に受け入れられるためには、シューベルト?シューマン?メンデルスゾーンというリレーが必要だったわけです。これほど豪華なリレーでこの世に出た作品は他にはないでしょうから、それをもって不当な扱いへの報いとしたのかもしれません。

スコアに書かれた音は全て聞き手に伝えるべき

「Stanislaw Skrowaczewski」・・・日本では長く「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ」と表記されてきましたが、実際の発音に則せば「スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ」の方が正しいそうなので、最近は「スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ」と表記されることが多くなってきているようです。
ただし、何処の国であっても,
「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ」であろうが、「スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ」であるが、あまりにも長すぎて発音しづらいので、とりわけ英語圏を中心として「Mr.S(ミスターS)」と呼ばれることが多い指揮者です。そして、最近は読売日本交響楽団との関係が深いので日本人にとっては非常に馴染みのある指揮者の一人ともなっています。

それにしても、芸歴の長い人です。
1923年生まれですから、今年で御年92歳です。大変な早熟の天才で、11歳でピアニストとしてリサイタルを開き、13歳でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾き振りするなど、神童ぶりを発揮した話は結構有名です。しかし、彼の名が世界に知れ渡ったのはセルの目にとまってクリーブランド管の客演に招かれた事がきっかけでした。そして、その客演指揮の成功でドラティの跡を継いでミネアポリスのオケを率いる事になり、さらにそのコンビでマーキュリー・レーベルやVOXレーベルに多くの録音を行ったことにによって多くの人にその存在を知られるようになりました。

そして、20年に近くにわたったミネアポリスとの関係を終えて再びヨーロッパに戻り、とりわけ1990年代にザールブリュッケン放送交響楽団とブルックナーの交響曲全集を完成させたことで押しも押されもせぬビッグネームの一人となりました。

「Mr.S」は本業は指揮者なのでしょうが、作曲家としての活動も活発に行っているという点ではパレーなどと似通っています。その意味では、作曲家が指揮活動を行ったときの特徴がそっくりそのまま彼にもあてはまります。
作曲家としての立ち位置がパレーと「Mr.S」とでは随分と違うのですが、指揮活動と言うことになると似通ってくるのは面白い現象です。

パレーのところで次のように述べたことが、「Mr.S」にもほぼあてはまるのではないでしょうか。

プロの作曲家であれば、言いたいこと、表現したいことは全て楽譜に詰め込んだという思いがあるはずです。
ですから、かなり思い切った言い方をしてしまえば、作曲家が指揮者(演奏家)に求めるものは、その楽譜を大切にして、それを「いかに」表現するかに力を傾注してくれることです。
間違っても、その楽譜を深読みして、そこに「何が」表現されているかを詮索し、その詮索をもとにしてもう一度「今まさに作品が生まれたか」かのように演奏するなどというのはお節介以外の何ものでもないはずです。」

そして、この「表現したいことは全て楽譜に詰め込んだという思い」はより強く、そうであるならば、そのスコアに書かれた音は全て聞き手に伝えるべき努力をするのが指揮者の仕事だというスタンスを絶対に崩さないのが「Mr.S」なのです。そして、そう言う彼の信念は若い頃からすでに確立していたことがはっきりと分かるのが、この30代のシューベルトの録音です。

非常に全体のバランスが良くて、ともすればエキセントリックになりがちなパレーと較べれば非常に真っ当な演奏に聞こえます。しかし、その真っ当なように聞こえる背景にある「バランス」と「明晰さ」への執念は尋常でないことが、聞き進んでいくうちにじわじわと伝わってきます。そして、その明晰さへの執念がともすれば音楽的なスケールを小さくするという批判がよく浴びせられるのですが、これを聞くと、ではあなたの言う「音楽的スケールっていったい何なのよ?」と聞いてみたくなったりします。
それはもしかしたら、「「何が」表現されているかを詮索し、その詮索をもとにしてもう一度「今まさに作品が生まれたか」かのように」演奏することを求めているのだとしたら、それは求める方が間違っているのです。最初から求めもしなければ追求もしていないものがないからと言って文句を言うのは筋違いで、もしもそう言うものが欲しいのならば、そう言うものを「売っている」お店に行けばいいのです。

でも、八百屋に行って肉がないと喚いている人の何と多いことか!!