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ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 作品21
(vn)クリスチャン・フェラス ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1958年7月26日録音をダウンロード
- ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 作品21 「第1楽章」
- ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 作品21 「第2楽章」
- ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 作品21 「第3楽章」
- ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 作品21 「第4楽章」
遅咲きの一発屋
ラロといえばスペイン交響曲です。そして、それ以外の作品は?と聞かれると思わず言葉に詰まってしまいます。いわゆる、クラシック音楽界の「一発屋」と言うことなのでしょうが、それでも一世紀を超えて聞きつがれる作品を「一つ」は書けたというのは偉大なことです。
なにしろ、昨今の音楽コンクールにおける作曲部門の「優秀作品」ときたら、演奏されるのはそのコンクールの時だけというていたらくです。そして、そのほとんど(これはかなり控えめな表現、正確には「すべて」に限りなく近い「ほとんど」)が誰にも知られずに消え去っていく作品ばかりなのです。クリエーターとして、このような現実は虚しいとは思わないのだろうかと不思議に思うのですが、相変わらず人の心の琴線に触れるような作品を作ることは「悪」だと確信しているような作品ばかりが生み出されます。いや、そのような「作品」でないとコンクールでいい成績をとれないがためにそのようなたぐいの作品ばかりを生み出していると表現した方が「正確」なのでしょう。
しかし、音楽はコンクールのために存在するものではありません。当たり前のことですが、音楽は聴衆のために存在するものです。この当たり前のことに立ち戻れば、己の立ち位置の不自然さにはすぐに気づくはずだと思うのですが現実はいつまでたっても変わりません。相変わらず、「現代音楽」という業界内の小さなパイを奪い合うことにのみ腐心しているといえばあまりにも言葉がきつすぎるでしょうか。
ですから、こういうラロの作品を、異国情緒に寄りかかった「効果ねらい」だけの音楽だと言って馬鹿にしてはいけません。クラシック音楽というのは人生修養のために存在するのでもなければ、一部のスノッブな人間の「知的好奇心」を満たすために存在するのでもありません。
まずは聞いて楽しいという最低限のラインをクリアしていなければ話にはなりません。
ただ、その「楽しさ」にはいくつかの種類があるということです。
あるものは、このスペイン交響曲のように華やかな演奏効果で人の耳を楽しませるでしょうし、あるものは壮大な音による構築物を築き上げることで喜びを提供するでしょう。はたまた、それが現実への皮肉であったり、抵抗であったりすることへの共感から喜びが生み出されるのかもしれません。そして、時には均整のとれた透明感に心奪われたり、持続する緊張感に息苦しいまでの美しさを見いだすのかもしれません。
ユング君はポップミュージックに対するクラシック音楽の最大の長所は、そのような「ヨロコビ」の多様性にこそあると思います。
そして、華やかな演奏効果で人の耳を楽しませるという、ポップミュージックが最も得意とする土俵においても、このスペイン交響曲のように、彼らとがっぷり四つに組んで十分に勝負ができる作品をいくつも持っているのです。そういう意味において、このような作品はもっともっと丁重に扱わなければなりません。
閑話休題、話があまりにも横道にそれすぎました。(^^;
ラロはスペインと名前のついた作品を生み出しましたが、フランスで生まれてフランスで活躍し、フランスで亡くなった人です。ただし、お祖父さんの代まではスペインで暮らしていたようですから、スペインの血は流れていたようです。
彼は、1823年にフランスのリルという小さな町で生まれて、その後パリに出てパリ国立音楽院でヴァイオリンと作曲を学びました。そして、20代の頃から歌曲や室内楽曲を作曲して作曲家としてのキャリアをスタートさせようとしたのですが、これが全く評価されずに失意の日々を過ごします。その内に、作曲への夢も破れ、弦楽四重奏団のヴィオラ奏者という実に地味な仕事で生計を立てるようになります。
このようなラロに転機が訪れたのが、アルト歌手だったベルニエと結婚した42歳の時です。ベルニエはラロを叱咤激励して再び作曲活動に取り組むように励まします。そして、ラロも妻の激励に応えて作曲活動を再開し、ついに47歳の時にオペラ「フィエスク」がコンクールで入賞し、その中のバレー音楽が世間に注目されるようになります。そして、そんな彼をさらに力づけたのが、1874年にヴァイオリン協奏曲がサラサーテによって初演されたことです。そして、その翌年にこの「スペイン交響曲」が生み出され、同じくサラサーテによって初演されて大成功をおさめます。
彼はこれ以外にも、「ロシア協奏曲」とか「ノルウェー幻想曲」というようなご当地ソングのようなものをたくさん作曲していますが、これは当時流行し始めた異国趣味に便乗した側面もあります。しかし、華やかな色彩感とあくの強いエキゾチックなメロディはそういう便乗商法を乗り越えて今の私たちの心をとらえるだけの魅力を持っています。
聞いていて、十分楽しめる演奏
フェラスは58年の7月に二つのコンチェルトを続けて録音しています。- ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26(58年7月25日録音)
- ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 作品21(58年7月26日録音)
伴奏はワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団です。ジュスキントと言えば、この時代を代表する「便利な伴奏指揮者(^^;」というイメージが強いのですが、この録音でも、「取りあえずやるべき事はきちんとやってるからね」的な雰囲気が強いです。
ただし、その経歴を調べてみると、「ドイツ音楽アカデミーではセルに指揮を教わっている。1931年にピアニストとしてデビューしたが、1934年にはプラハ・ドイツ歌劇場でセルのアシスタントとして指揮者のキャリアを開始することになった。」と記されています。
ですから、その「やるべき事はやっている」というのは、音楽をきちんと縦割りにして一分の狂いもなく額縁の枠を作っている、と言う類のものです。そこには、独奏者の音楽に反応しながらしなやかに音楽を作っていくという気持ちはあまりないようですし、ましてやソリストと一つ勝負してやろうというような気は全くないように聞こえます。
ただし、ソリストがその持ち味を発揮する舞台だけはきちんと作らせていただきます・・・と言うスタンスです。
ですから、フェラスの方は最初は「やりにくさ」みたいなものを感じたのか妙に行儀がよくて、聴き始めは「あれ?」という感じがするのですが、音楽が進むにつれてそういうジュスキントの方向性を感じとったのか、そのしつらえた舞台の上で自由に振る舞いはじめます。そして、この「あれ?」感は、先に録音したブルッフの方が強いです。
確かに、これがブラームスやベートーベンのようなコンチェルトならば、オケにも頑張ってもらわないと独奏者だけではどうにもならない面があるのですが、ブルッフやラロのコンチェルトならばこういう演奏も十分に有りだなとは思います。
どちらも、いわゆる名演・名盤の類には入らないでしょうが、20代のフェラスの魅力が(ふりまく美音^^v)が十分楽しめる演奏だとは思います。