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ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125

マルケヴィッチ指揮 ラムルー管弦楽団 (S)ヒルデ・ギューデン (A)アーフェ・ヘイニス (T)フリッツ・ウール(Br)ハインツ・レーフス (合唱)カールスルーエ・オラトリオ合唱団 1961年1月録音

  1. ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125 「第1楽章」
  2. ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125 「第2楽章」
  3. ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125 「第3楽章」
  4. ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125 「第4楽章」



何かと問題の多い作品です。

ベートーベンの第9と言えば、世間的にはベートーベンの最高傑作とされ、同時にクラシック音楽の最高峰と目されています。そのために、日頃はあまりクラシック音楽には興味のないような方でも、年の暮れになると合唱団に参加している友人から誘われたりして、コンサートなどに出かけたりします。

しかし、その実態はベートーベンの最高傑作からはほど遠い作品であるどころか、9曲ある交響曲の中でも一番問題の多い作品なのです。さらに悪いことに、その問題点はこの作品の「命」とも言うべき第4楽章に集中しています。
そして、その様な問題を生み出して原因は、この作品の創作過程にあります。

この第9番の交響曲はイギリスのフィルハーモニア協会からの依頼を受けて創作されました。しかし、作品の構想はそれよりも前から暖められていたことが残されたスケッチ帳などから明らかになっています。
当初、ベートーベンは二つの交響曲を予定していました。
一つは、純器楽による今までの延長線上に位置する作品であり、もう一つは合唱を加えるというまったく斬新なアイデアに基づく作品でした。後者はベートーベンの中では「ドイツ交響曲」と命名されており、シラーの「歓喜によせる」に基づいたドイツの民族意識を高揚させるような作品として計画されていました。
ところが、何があったのかは不明ですが、ベートーベンはまったく異なる構想のもとにスケッチをすすめていた二つの作品を、何故か突然に、一つの作品としてドッキングさせてフィルハーモニア協会に提出したのです。
そして出来上がった作品が「第九」です

交響曲のような作品形式においては、論理的な一貫性は必要不可欠の要素であり、異質なものを接ぎ木のようにくっつけたのでは座り心地の悪さが生まれるのは当然です。もちろん、そんなことはベートーベン自身が百も承知のことなのですが、何故かその様な座り心地の悪さを無視してでも、強引に一つの作品にしてしまったのです。

年末の第九のコンサートに行くと、友人に誘われてきたような人たちは音楽が始めると眠り込んでしまう光景をよく目にします。そして、いよいよ本番の(?)第4楽章が始まるとムクリと起きあがってきます。
でも、それは決して不自然なことではないのかもしれません。
ある意味で接ぎ木のようなこの作品においては、前半の三楽章を眠り込んでいたとしても、最終楽章を鑑賞するにはそれほどの不自由さも不自然さもないからです。
極端な話前半の三楽章はカットして、一種のカンタータのように独立した作品として第四楽章だけ演奏してもそれほどの不自然さは感じません。そして、「逆もまた真」であって、第3楽章まで演奏してコンサートを終了したとしても、聴衆からは大ブーイングでしょうが・・・、これもまた、音楽的にはそれほど不自然さを感じません。

ですから、一時このようなコンサートを想像したことがあります。
それは、第3楽章と第4楽章の間に休憩を入れるのです。

前半に興味のない人は、それまではロビーでゆっくりとくつろいでから休憩時間に入場すればいいし、合唱を聴きたくない人は家路を急げばいいし、とにかくベートーベンに敬意を表して全曲を聴こうという人は通して聞けばいいと言うわけです。
これが決して暴論とは言いきれないところに(言い切れるという人もいるでしょうが・・・^^;)、この作品の持つ問題点が浮き彫りになっています

マルケヴィッチ版に込められた執念の結実


マルケヴィッチのベートーベンと言えば基本的には以下のラムルー管との録音がメインとなります。第3番「英雄」はシンフォニー・オブ・ジ・エアとの録音(MONO)が残っていて、それはそれで素晴らしい演奏なのですが、彼が己のベートーベンを問うという意気込みで取り組んだのラムルー管との録音であったことは間違いありません。


  1. 交響曲 第1番 ハ長調 作品21 1960年10月録音

  2. 交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」 1959年10月録音

  3. 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」 1957年10月~11月録音(MONO)

  4. 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93 1959年10月録音

  5. 交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱」 1961年1月録音



当然の事ながらマルケヴィッチにしてみれば全集として完成させる意気込みだったと思いますが、そのあまりにも厳しい訓練に音を上げたラムルー管が反旗を翻して録音は頓挫してしまいました。
聞いてみればすぐに分かることですが、あの緩いことで有名だったラムルー管が別人のように引き締まっています。
それでいながら、例えば8番の第3楽章のトリオでのフレンチホルンの響きなどは、まさにフランスのオケならではの美しさにが溢れていのですから、ここまで鍛え上げたマルケヴィッチの手腕はたいしたものです。

そう言えば、フランスのオケによるベートーベンのシンフォニーというのは意外と録音が少ないです。
全集としてまとまっているものとなるとシューリヒト&パリ音楽院管弦楽団による録音くらいしか思い浮かびません。そして、あの録音もまたドイツのオケの重厚な響きによるベートーベンではなく、まるで「ステンドグラスのようなベートーヴェン」と評されたものでした。(録音は悪いですが・・・)
それだけに、この録音が頓挫してしまったことは、返す返すも残念なことでした。

さらに、この録音を紹介知るならば絶対に触れておかなければいけないのは、いわゆる「マルケヴィッチ版」と呼ばれる楽譜に関わる話です。この手の話は詳しくないので本当は避けたいのですが(^^;、この録音を紹介する上では避けて通れない話題なので簡潔にまとめておきます。

今さら確認するまでありませんが、ベートーベンの楽譜と言えば、長きにわたって19世紀半ばに編纂された旧全集版(ブライトコプフ版)が使われていました。しかし、この旧全集版にはいろいろな問題が含まれていることは周知の事実であり、それ故に多くの指揮者は自分なりに手を加えた私家版をもっているのが普通でした。

そして、マルケヴィッチもまた、そのような旧全集に含まれる様々な問題点の見直しを行った「マルケヴィッチ版」と呼ばれる楽譜を使っていたのです。しかしながら、この「マルケヴィッチ版」は、その他の指揮者が行っていたような演奏上の習慣として劇場的に継承されてきた手直しという領域をはるかに超えるもので、最終的には全3巻からなる「マルケヴィッチ版」がペータース社から出版されるに至るほどのものだったのです。

ちなみに、旧全集版に対する批判的研究をまとめる形で数多くの校訂版が出版されるようになるのは1970年代に入ってからで、その嚆矢となったのが、ペータース版と呼ばれるものでした。このペータース版は当時の東ドイツがベートーベンの「新全集」を目指す事業としてスタートさせたものでした。
そして、そのペータース社は自社の名前が付いた校訂版を出版しながら、同じような時期にマルケヴィッチによる校訂版もあわせて出版したのです。
この事実は、マルケヴィッチの仕事が、演奏上の習慣として引き継がれてきたスコアの改変などとは全くレベルの違う本格的な研究に基づくものであることを示しています。

ただし、90年代にはいるとベーレンライター版が出版されます。(^^v
この「ベーレンライター版」の影響力はよく知られてるように絶大なもので、あっという間にベートーベンと言えばベーレンライター版という流れが定着してしまいました。

そうなると、このマルケヴィッチ版に注目するような指揮者はほとんどいなくなってしまいました。
結果としてマルケヴィッチ版を使った録音というのはきわめてレアなものとなり、これからもこの版を使った演奏や録音は滅多に現れそうにもないのです。

それだけに、残りの4曲(2?4番と7番)もラムルー管との録音が残ってほしかったと、(そして、マルケヴィッチ自身もそれを強く望んでいたと思うだけに)切に思わずにはおれないのですが、それもまた死んだこの年を数えるような仕儀です。

それでは、このマルケヴィッチ版の特徴が何処にあるのでしょうか?
残念ながら、と言うべきか、当然と言うべきか(^^;、そう言うことを専門的に紹介できる資料も能力も持ち合わせていません。

ただ、このラムルー管との録音を聞いた上での感想として述べさせてもらえれば、明晰さへの強い指向です。
ただし、この指向は、マルケヴィッチという指揮者の本能でもありますから、それがマルケヴィッチ版のスコアに依存する問題なのか、指揮者マルケヴィッチの手柄なのかは区別はつきません。
しかし、このラムルー管との録音は、その様な私家版を生み出すほどの執念が結実したものであったことは疑いがありませんし、逆に言えば、そこまでの執念を込めたからこそ、ラムルー管も音を上げたと言えるのでしょう。

交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」作品125

マルケヴィッチ&ラムルー管による5番を紹介したときに「がもっともマルケヴィッチの意図が形となったもの」と評しました。しかし、その言葉に対して「それではこの第9番はどうなんだ!?」という声が聞こえてきそうです。
確かに、これもまた悪い演奏ではありませんし、フランスのオケによる第9というのはかなりレアなので、その面での興味もあります。

冒頭の茫漠とした響きが次第に明確な形を為していく場面でさえも、その茫漠たる様子が「明晰」に表現されています。こんな書き方をすると悪い冗談のようなのですが、そう書かずにはおれないほどの強烈な明晰さへの指向が全曲を貫いています。
あの美しい第3楽章もまた、音楽が止まってしまうのではないかと思うようなフルトヴェングラー的な美とは対極にありながら、音楽に込められた深い感情は聞き手にしっかりと伝わってきます。

ただ、問題は常に第4楽章に存在します。
オケと指揮者がどんなに頑張っても、最後に合唱と独奏者が入ってきた時点でぶちこわしてしまうのは、この国の年末の風景としても定着しています。

合唱は健闘はしていますが、明らかに第1級のレベルには届いていません。マルケヴィッチがオケに対してあれほどの明晰さを要求したのですから、もう少し合唱団に対しても徹底したかったです。しかし、マルケヴィッチという人は相手の限界を見極めて、その範囲内で形を整えるという職人技(あの有名な日フィルを指揮しての春の祭典)をもっていたので、ここではその職人の一面が前に出たようです。
さらに、ソリストもまた概ね健闘していますが、これもまたオケのがんばりと較べれば見劣りがします。

しかし許し難いのはテノールです。
「おお、友よ! このような調べではない!」と歌い始めた瞬間に、ほとんどの聞き手は「おお、友よ! このような歌ではない!」と突っ込みを入れたくなるはずです。

そして、ラムルー管はこのような偉大な成果を上げながらも、その成果のために払った「労働」に絶えきれずに、マルケヴィッチを追い出して、もとの緩いオケに逆戻りしてしまいます。
そう言えばフランスはカソリックの国でした。そして、カソリックでは「労働」は神から与えられた「罰」だったのです。彼らにとっての「人生」とは、リハーサルやコンサートが終わった後に始まるものであって、間違ってもその様な「人生」を犠牲にして偉大な演奏を成し遂げることではなかったのです。

もしも、そんな事をはじめたら、その瞬間に彼らはフランス人ではなくてドイツ人になってしまいます。
そう思えば、第4楽章にあれこれの不満は残るものの、オケに関してはフランス人がドイツ人になる一歩手前で実現した希有な響きを実現した第9だとは言えそうです。