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リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調(S.124/R.455)


レナード・バーンスタイン指揮 (P)アンドレ・ワッツ ニューヨーク・フィル 1963年2月3日録音をダウンロード

  1. リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調(S.124/R.455) 「第1楽章」
  2. リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調(S.124/R.455) 「第2楽章」
  3. リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調(S.124/R.455) 「第3楽章」

循環形式によるソナタ形式を初めて完全に実現させた作品



「ピアノのパガニーニ」を目指したリストなので、ピアノの独奏曲は数多く残していますが、協奏曲となると完成した形で残されているのはわずか2曲です。これを少ないと見るか、それともこんなものと見るかは難しいところですが、作品の認知度という点で言えばかなり落ちることは事実です。
例えば、ショパンやブラームスもピアノ協奏曲は2曲しか残していませんが認知度は抜群です。シューマンは1曲しか残しませんでしたが、認知度では少し上回る雰囲気です。
しかし、実際に聞いてみると、これがなかなかに面白い音楽なのです。

たとえば、ハンスリックが「トライアングル協奏曲」と冷笑した第3楽章は、そう言われても仕方がないほどにトライアングルの響きが突出しているのですが、音響的な面白さは確かにあります。
また、バルトークが「循環形式によるソナタ形式を初めて完全に実現させた作品」と評価したように、決してピアノの名人芸ををひけらかすだけの音楽でもありません。そう言われてみれば、冒頭の音型があちこちに姿を現すような雰囲気があるので、ある種のまとまりの良さを感じさせますし、4つの楽章が切れ目無しに演奏されるので、ピアノ独奏を伴った交響詩のようにも聞こえます。
そして、最終楽章の怒濤のクライマックスは、やはり「ピアノのパガニーニ」を目指したリストの真骨頂です。

聞いて面白いと言うことでは、決して同時代のロマン派のコンチェルト較べても劣っているわけではありません。

バーンスタインの人間的魅力が溢れた演奏

この録音もまた驚くほどに「録りっぱなし」状態です。もちろん、これは貶しているのではなく、最大の褒め言葉です。
そして、その生々しさのおかげで、若きレニーとそれに付き従うゲーリー・グラフマンやアンドレ・ワッツなどの、この上もなく活きの良い音楽が楽しめます。おそらく、バーンスタインはうるさいことは一切言わなかったような気がします。それは、録音陣に対しても同じで、もしかしたら「ここがちょっと・・・」みたいなことを録音担当者が声をかけても言っても、おそらくはプレイバックを聞きながら「最高の演奏じゃないか!」などと言って肩をぽんぽんと叩きながら陽気に帰っていったような姿が目に浮かびます。

おそらくこれもほぼ一発録りに近いでしょう。
本当に、この時代のバーンスタインの録音は、どれを聞いても彼が主導権を握っている限りは「外れ」はないようです。

しかし、その「主導権」が別の人物に移ると、途端に音楽も録音もつまらないものになります。
ただし、以下述べることはあくまでも私の主観にに基づくものであり、何らかの根拠に基づいたものではないので、それはお許しください。

こういう協奏曲の場合は、指揮者とソリストとの力関係が問題となります。
アントルモンやワッツ、そしてグラフマンのような場合だと、言うまでもなく主導権はバーンスタインの方にあります。そして、録音の確認に至るまで、全てバーンスタインが決めていたように聞こえます。
ところが、これが例えばフランチェスカッティのような場合だとどうでしょうか。

どう考えても曲線を多用して美音を持ち味にしているヴァイオリニストと、ひたすら直線的でマッチョな音楽を指向するバーンスタインとそりが合うとは思われません。ならば、ここで火花が散るというのはこの業界の通り相場なのですが、何故か人道主義者のバーンスタインはそう言ういざこざは好まずにさっと退いてしまうのです。
私にはそういう風に聞こえます。

さらには、録音に関しても、おそらくはフランチェスカッティからの要望だとは思うのですが、かなり手が加えられています。
おそらく、彼にしてみれば、自分のヴァイオリンが美しく響くことを要求したのでしょう。演奏に関しても、彼が気に入るように何度か取りなおし部分が多かったように聞こえます。

このコンビではシベリウスやブラームスのコンチェルト、ショーソンの「詩曲」、ラヴェルの「ツィガーヌ」、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」等を録音していますが、そのどれを聞いても同じような印象を受けます。
結果として、バーンスタインの美質がかなりの部分スポイルされているのですが、不思議なことに彼はそう言うことにはあまり頓着しないようなのです。おそらく、一仕事終わった後にはいつものように上機嫌で帰っていったような気がするのです。

この録音がなされたときにフランチェスカッティは60歳前後、バーンスタインは40歳過ぎ。確かに年齢差はありますが、それでもバーンスタインの立ち位置を考えれば五分以上に自分を主張できたはずなのです。
しかし、何故かこの人はそう言うことをしないのです。
いつも上機嫌で、絶対に他人との間に諍いを引き起こさない、そして、最後はその人間的魅力でいつの間にか全員を味方につけて自分のペースに巻き込んでいく。ただ、フランチェスカッティとの録音を聞いていると、何処まで行っても平行線との人物とは、何処かで円満に手を切ると言うことはしたようですね。