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バッハ:チェンバロ協奏曲(第5番) へ短調 BWV.1056


(P)クララ・ハスキル パブロ・カザルス指揮 プラド祝祭管弦楽団 1950年6月6日録音をダウンロード

  1. バッハ:チェンバロ協奏曲(第5番) へ短調 BWV.1056「第1楽章」
  2. バッハ:チェンバロ協奏曲(第5番) へ短調 BWV.1056「第2楽章」
  3. バッハ:チェンバロ協奏曲(第5番) へ短調 BWV.1056「第3楽章」

バッハは編曲でも凄い。



バッハは少しでもよい条件の働き口を探し続けていた人なのですが、その最後の到着点はライプツィヒの聖トーマス教会のカントルでした。
この仕事は、教会の仕事だけでなく、ライプツィヒ市の全体の音楽活動に責任を負う立場なので、バッハにとってはかなりの激務だったようです。そんな、疲れる仕事の中で喜びを見出したのが「コレギウム・ムジクム」の活動でした。
「コレギウム・ムジクム」は若い学生や町の音楽家などによって構成されたアマチュア楽団で、当時のライプツィヒ市では結構人気があったようです。通常の時期は毎週1回の演奏会、見本市などがあってお客の多いときは週に2回も演奏会を行っていたようです。
バッハは、このアマチュア楽団の指導と指揮活動を1729年から1741年まで(中断期間があったものの)務めています。

ここで紹介している一連のチェンバロ協奏曲は、すべてこのアマチュア楽団のために書かれたものです。
ただ、バッハにしては不思議なことなのですが、そのほとんどがオリジナルではなくて、自作または、他の作曲家の作品を編曲したものなのです。しかし、公務ではなくてどちらかと言えば自らも楽しみながらの活動であったことを考えれば、すべてオリジナル作品で気楽に演奏するのは、さすがのバッハでも大変だったでしょう。
しかし、「編曲」とは言っても、その手練手管は見事なものです。
残念ながら、原曲となった作品の多くは紛失しているものが多いので、直接比較するのは難しいのですが、それでもチェンバロの特徴をうまくいかして見ごとな作品にリニューアルいています。

原曲の多くはヴァイオリン曲です。
ヴァイオリンとチェンバロでは音域が違いますし、何よりも持続音が前者は得意、後者は根本的に不可能という違いがあります。ですから、長い音符はすべて細かく分割されて、さらには装飾音符も華やかに盛り付けられて、実に精妙な響きを生み出しています。
不思議なことに、このような協奏曲形式の大家ともいうべきヴィヴァルディは1曲もチェンバロのための協奏曲を残していません。その意味では、鍵盤楽器であるチェンバロに主役の座を与え、後のピアノ協奏曲への入り口を開いたのは、これらの編曲によるチェンバロ協奏曲だといえます。ですから、オリジナルではない編曲バージョンだとはいえ、その価値が低くなることはありません。

とりわけ、第1番というナンバーが与えられているBWV1052は規模も大きくモーツァルトの協奏曲と比べても遜色のない作品です。そのため、この作品だけは「チェンバロ」という楽器が忘れ去られた時代にあっても「ピアノ協奏曲」として演奏され続けました。
やはり、バッハは凄いのです。

チェンバロ協奏曲(第5番)へ短調 BWV.1056

この作品もまた、失われたヴァイオリン協奏曲(ト短調)の編曲であることは確実らしいです。音域をチェンバロに合わせるために「ヘ短調」に下げた以外は大きな変更は行っていませんが、この作品の中で最も魅力的な中間楽章は、この失われたヴァイオリン協奏曲の緩徐楽章ではないようです。
このラルゴ楽章の美しさはバッハ作品の中でも出色のものであり、簡素な構造でありながら聞き手の心に深い感情を呼び起こさずにはおれない音楽です。弦のピッツィカートにのって叙情的な旋律をチェンバロがうたいだすのですが、その旋律ラインの美しさに心奪われない人はいないでしょう。

最近の研究では、このラルゴ楽章はカンタータ「我が片足は既に墓穴に入りぬ(BWV156)」のシンフォニア楽章の異稿に基づく編曲ではないかと考えられているそうです。しかし、こういう話を聞かされると、どれほど多くのすぐれた音楽が失われてしまったことかと悔しくなってしまいます。

音楽とは不思議なもの

こういう古い録音による古い演奏を聴いていると、しみじみと「いいなぁー・・・。」と思わされることがよくあります。そして、この50年に録音されたスターンとハスキルの録音もまた、そう言う演奏の一つです。


  1. ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV.1041:(Vn)アイザック・スターン パブロ・カザルス指揮 プラド祝祭管弦楽団 1950年6月16日録音

  2. チェンバロ協奏曲第5番へ短調 BWV.1056:(P)クララ・ハスキル パブロ・カザルス指揮 プラド祝祭管弦楽団 1950年6月6日録音



今さら繰り返すまでもなく、スペインのフランコ政権に抗議してフランスの片田舎プラドの街に隠棲してしまったカザルスのところに世界中の音楽家が集まって始まった音楽祭のライブ録音です。この音楽祭に集まったソリストは「(Vn)アイザック・スターン/ヨゼフ・シゲティ、(Cello)ポール・トルトゥリエ、(P)クララ・ハスキル/ミェチスワフ・ホルショフスキ/ルドルフ・ゼルキン」等々と絢爛たる豪華さなのですが、オーケストラのメンバーの大半は若手の音楽家でした。そして、その若手音楽家というのは、今の時代ならば全員がそれなりの腕利きとなるのですが、この時代のことですからかなり怪しい連中も交じっていたようです。

しかし、そう言う怪しい連中も含めて、カザルスはまさに「口移し」のようにして彼が信じるバッハの姿を伝えました。彼はここぞという場面ではわずか数小節に30分も1時間も時間をかけて、己が理想とする表現に到達するまで何度も練習を繰り返したと伝えられています。特に重視したフレージングやアクセントの付け方などに関しては実際にうたって見せて自分が理想とする姿を示して見せました。
その意味では、カザルスは指揮者としてはアマチュアなのかもしれません。
プロというのは限られた制約の中で最大限のパフォーマンスを実現することが求められますから、カザルスみたいに「口移し」で音楽を伝えていたのではすぐにお払い箱です。

しかし、カザルスにとっては音符を美しく演奏するよりは、その音符が意味するものを表出する事こそが大切でした。そう言う肝心な部分をそれなりに押さえて全体を小綺麗に整えるなどと言うのは、彼の目指す音楽の姿とは違っていたのです。それに、何よりも、そう言う器用なことができるほどの指揮能力がなかったことも事実です。

しかし、ある種の恵まれた環境下では、そう言う愚直なまでのスタイルがプロのトップオケでは到達できない世界を実現してしまうことも事実なのです。もちろん、だからといって、これを持って至高の演奏などともちあげる気持ちは全くありません。技術面に限れば、これよりも上手い演奏を探すのはきわめて容易ですし、逆にこれより問題の多い演奏を探す方が難しいでしょう。
しかし、そう言うすぐれた演奏というものは、何故か聴き終わった後に感心をさせられることはあっても、このカザルスの演奏のようにしみじみと「いいなぁー・・・。」と思わされる演奏は滅多に出会いません。
ただし、その「いいなぁー・・・。」の部分はカザルスにだけ依拠しているわけでなく、スターンとハスキルが寄与している部分が大きいことも付け加えておく必要はあるでしょう。

とは言え、音楽とは不思議なものです。