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サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33

(Vc)ヤノシュ・シュタルケル:カルロ・マリア・ジュリーニ指揮フィルハーモニア 1957年9月16日録音

  1. サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33 「第1楽章」
  2. サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33 「第2楽章」
  3. サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33 「第3楽章」



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チェロを独奏楽器に使うのは難しい?

チェロという楽器を独奏楽器に据えた協奏曲というのは、ピアノは言うまでもなく、同じ弦楽器の仲間であるヴァイオリンと較べても圧倒的に数は少ないです。そして、ただ単に少ないだけでなく、その出来映えの方も今ひとつパッとしないというのが通り相場です。
そんな中で異彩を放っているのがドヴォルザークのチェロ協奏曲です。その作品に接したブラームスが「人の手がこのような協奏曲を書きうることに、なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、とっくに自分が書いただろうに」と嘆いたというのは有名な話です。

そう言うチェロ協奏曲の世界において、サン=サーンスもまた2つの作品で貢献しています。


  1. チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33(1872年)

  2. チェロ協奏曲第2番 ニ短調 作品119(1902年)



何故、ドヴォルザークについてふれたかと言えば、この30年を隔てて書かれた2つの協奏曲の間に、ドヴォルザークの作品が位置するからです。
ブラームス風に言えば、第1番の協奏曲は未だ人の手で優れたチェロ協奏曲が書けるとは誰もが気づいていなかった時代の作品であり、第2番は気づいてしまった後の時代の作品だと言うことになるのです。

そう思ってこの2つの作品に接してみると、第1番は明らかにシューマン風です。
それは、3つの楽章が切れ目無しに演奏されるというスタイルだけの話ではなくて、20分程度という作品の規模も、「急ー緩ー急」という伝統的なスタイルなどにおいてもよく似ているのです。

ただし、サン=サーンスというのは基本的に旋律の人ですから(そんな事勝手に言い切っていいのか^^;)、シューマンの協奏曲と較べれば音楽ははるかに流麗になっています。とは言え、その他のサン=サーンス作品と較べてみれば、その流麗さにもどこか堅さが感じられる部分があって、そこにチェロを独奏楽器に起用する難しさがあるのかな、等と思わされたりします。

それに対して、第2番はドヴォルザーク以後の作品です。
チェロという楽器を独奏楽器として、あそこまで伸びやかに、そして時には豪快に歌わせることが出来るということを証明されてしまっては、それと同じ路線でその上を行くことは難しいと感じたのでしょうか。第2番では、旋律の人であるサン=サーンスがその路線をきっぱりと捨て去っていることに気づかされます。
このあたりが「芸術」における「独創性」という魔物の怖さでしょうか。
気楽な聞き手にしてみれば、ドヴォルザークがあそこまでチェロを歌わせたのですから、旋律の人サン=サーンスもそれと同じように思う存分チェロを歌わせる作品を書いてくれればよかったのにと思うのですが、それはプライドが許さなかったのでしょう。

結果として生み出された第2番の協奏曲はかなりひねくれた音楽になっています。
作曲家自身も「難しすぎるため第1番ほど広まることはないだろう」と述べたという話が伝わっているのですが、現在のチェリスト達にとっては何の問題もないレベルですし、ひねくれ指向の作品も受け入れられやすい土壌は出来上がっていますから、今後は少しずつ評価が進むかもしれません。


響きが「苦い」

振り返ってみると、シュタルケルのコンチェルトを一つもアップしていないことに気づきました。
これはだめですね・・・。

と言うことで、50年代の後半を中心として、彼のコンチェルトの録音をまとめて聞いてみることにしました。
そして、そうやってまとめて聞いてみることで、何故に今でアップしていなかったのかを思い出しました。それは、かつて、彼がドラティ&ロンドン交響楽団と録音したドヴォルザークのチェロ協奏曲(1962年録音)を聞いた時に、つまらない!!と思ったからでした。
うーん、シュタルケルの演奏をつかまえて「つまらない」とは、なかなか思い切った発言だと思うのですが、確かにその時はつまらないと思ったのでした。そして、その時にそう思ったがゆえに、今に至るまで彼のコンチェルトは一つもアップしていないという仕儀に相成った次第なのです。
では、何処がつまらないのかと言えば、それもまた、今回あれこれの録音を聞いてみてありありと思い出すことができました。
一言で言えば、あまりにも大人しくとこぢんまりとした音楽になっているのです。
サン=サーンスのコンチェルトなんかはその典型で、オケの響きの中から前に出ようと奮闘しているのでしょうが、何故かチェロは最後まで埋没気味です。さらに、その響きにも、サン=サーンスならばほしいと思う「艶」や「色気」も希薄です。

この「埋没気味」という感じは62年録音のドヴォルザークの時にも強く感じた次第でした。
これがロストロ小父さんなんかだと、もっと豪快にオケを突き抜けてくるんですが、それと比べれば実に大人しくて慎ましやかなのです。
シュタルケルと言えばコダーイやバッハの無伴奏で聞かれるように「豪快」というイメージがあっただけに、その落差にしばし考え込んでしまいました。ただし、この時代を代表するチェリストには全て同じような不満は感じていましたから、それはそれで一つの時代の制約だったのかもしれません。(例:グレゴール・ピアティゴルスキー:シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団)

カザルスを別格とすれば、この時代のチェリストを後のロストロ小父さんと較べるのは根本的に間違っているのでしょう。

ただ、古い録音ではあるのですが、56年録音のドヴォルザークは、62年盤よりはチェロがしっかりと主張していますし、フィルハーモニア管の響きも実に立派ですし、それをグイグイ引っ張っていくジュスキントの指揮も見事なものです。この時代のフィルハーモニア管は疑いもなく世界のトップクラスに位置したオケでした。(本当は世界一!!と言いたいほどです)
ただ、それでも、このチェロの響きにはどこか違和感を覚えます。そう思ってネット上を眺めていると、この響きを「苦い」と評している人がいて、実に上手いこというものだと感心しました。今回聞いた中では、どれもこれもが「苦い響き」で、それが取りわけ似合わないのがサン=サーンスだったのかもしれません。

と言うことで、ここまで書けばシュタルケルを愛する人からは怒りの礫が跳んできそうなのですが、しかし、私は彼の独奏曲作品や室内楽作品の演奏は高く評価しています。ただ、不思議なくらいに彼のコンチェルト演奏は私にとっては相性が悪いのです。
ただし、そうやって聞き進んでいくうちに出会ったハイドンのコンチェルトなんかだと、ジュリーニ&フィルハーモニア管の響きが実に立派で、その響きに身を浸しているうちにオケが主役の「チェロ独奏付きの管弦楽曲」という風情になってきて、それはそれで悪くないという感じになってきます。もちろん、そんな言い方は、ソリストとしてのシュタルケルに対するなんの褒め言葉にもなっていないのですが・・・(^^;。

もちろん、最終判断は個々の聞き手の方にゆだねるべき問題ではあります。