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ヤナーチェク:シンフォニエッタ


ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1965年10月15日録音をダウンロード

  1. ヤナーチェク:シンフォニエッタ「第1楽章」
  2. ヤナーチェク:シンフォニエッタ「第2楽章」
  3. ヤナーチェク:シンフォニエッタ「第3楽章」
  4. ヤナーチェク:シンフォニエッタ「第4楽章」
  5. ヤナーチェク:シンフォニエッタ「第5楽章」

オケによる極上の「ショーピース」



私は読んでいないのですが(みんなが右向いて走りだしたときは反対向いて歩き出したいタイプなので・・・^^;)、現在ベストセラー街道を突っ走っているらしい村上春樹『1Q84』で、この作品が重要な要素として登場するそうです。そんな影響もあって、世間ではシンフォニエッタを収録したCDがクラシックとしては異例なほど売れているそうです。
一般的には、どう考えても売れるような作品ではないので、作曲者のヤナーチェクもきっと驚いていることでしょう。

この作品は、体育協会の参事をしていたヤナーチェクが協会のためのファンファーレを作って欲しいと頼まれて生み出された、というエピソードがあるそうですが、真偽のほどは確かではありません。しかし、作曲者自身はこの作品をチェコ陸軍に献呈したいという意思もあったようです。金管群によって奏されるファンファーレを聞くと確かに「体育会系音楽」の雰囲気が満点です。

シンフォニエッタというのはその名の通り「小さな交響曲」という意味合いですが、聞けば分かるとおりこの作品にはその様な「交響的」な雰囲気は稀薄です。しかし、冒頭の印象的なファンファーレが曲全体を支配しているので、単なる「組曲」よりは統一感があります。
そして、この冒頭のファンファーレが、最後に高らかに鳴り響くことを持って、この作品にもヤナーチェクの生涯のテーマであった「拘束からの解放」が反映しているという向きもあります。確かに、そう言う側面もあることは否定できないとは思います。
しかし、そんな難しいことを考えるよりは、オケによる極上の「ショーピース」として楽しめばいいのではないでしょうか。


村上春樹の「1Q84」ですっかり有名になった録音

この録音のパブリック・ドメイン化の分かれ目がよく分からなかった。
この1965年に録音されたヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は一般的にはその翌年にリリースされているので、今年2017年でめでたくパブリック・ドメインになったことは間違いないのです。
しかし、詳しく調べてみると、その前年の10月頃にバルトークの「管弦楽のための協奏曲」とのカップリングでプロモーション用のLPがリリースされているのです。

このプロモーション用のLPというのが、何のために、そしてどのような範囲で配布されたのかがよく分からないのです。
一般的に「プロモーション用のLP」というのは、例えばどこかの会社が自社のコマーシャルソングなどを収録したものを顧客などに配布するというのが一般的です。しかし、ヤナーチェクとバルトークの作品をカップリングして、いったい誰に配布したのでしょうか?
考えられるのは、「Columbia」自身が販促用の商材としてレコードショップに配布したと言うことです。

実は、この年になっても、レコード会社はステレオで録音した音源であるにもかかわらず、ステレオとモノの2種類のLPを販売していました。
この音源についても、ステレオは(Columbia Masterworks MS 6815)、モノラルは(Columbia Masterworks ML 6215)という番号が割り振られていました。そして、問題のプロモーション用のLPにはステレオ盤と同じ(ML 6215)という番号が割り振られていました。想像の域は出ませんが、もういい加減モノラルからステレオに移行させたいと言うことで、ステレオ盤の優秀さを広く知らしめるための商材として作られたのではないでしょうか。

だとすると、問題は、そう言うリリースのされ方であっても隣接著作権の起点となる「初発」に該当するのか、と言うことです。
結論から言えば、文化庁に問い合わせるのも億劫だったので、(おそらくは)正規にリリースされた66年を起算点として、このお正月をもってパブリック・ドメインとすることにしました。

ただ、そんな形でセルの録音がプロモーション用のLPとして活用されていたという事実はいささか驚きでした。

さて、そんなセルの手になる「シンフォニエッタ」なのですが、これについてはどうしてもふれておかなければいけないことが一つあります。それは、言うまでもなく村上春樹の「1Q84」がこのヤナーチェクの作品をモチーフとして展開すると言うことと、主人公が何度も繰り返し聞いた音源がセル指揮クリーブランド管による「シンフォニエッタ」だったと言うことです。

私にとっての「シンフォニエッタ」のファーストコンタクトはこのセルによる音源でした。そして、おかしな話なのですが、それ以後誰の指揮による「シンフォニエッタ」を聞いても違和感を感じて、どうしてみんなセルのように「普通」に指揮できないのだろうか、と疑問に思ったものでした。
「刷り込み」とは恐ろしいモノです。
そして、自分の中のこの「刷り込み」に気づくことで、「普通」でないのはセルの方だと言うことに気づくことができたのです。「シンフォニエッタ」というのは、本来は土の香りのするような音楽だったのです。

シンフォニエッタは日本語にすれば「小交響曲」という感じなのですが、ヤナーチェクはこれを軍楽として構想したようです。ですから、交響曲が持っているソナタ形式などは最初から放棄されているので、いわゆる古典的な意味における交響曲とはおもむきを随分異にしているのです。
ですから、例えば冒頭の金管によるファンファーレなんかは、軍楽なんですから、セルみたいに鮮やかに吹いてはいけないのです。

しかし、セルの強固な形式感と凄まじいまでの意志によって、そう言う「軍楽」的ハチャメチャ感とは対極にあるとしか思えない、不思議な透明感に満ちた「小交響曲」の世界が広がるのです。ですから、村上がセルの録音を主人公に書かせたのは慧眼でした。彼が
描き出す「1Q84」という世界に相応しいシンフォニエッタの録音は、「普通」ではないセルの演奏以外には考えられないのです。

ただ、その事を通して、この「普通」でないものを「スタンダード」だと認識させしまった「刷り込み」の力の偉大さに驚いた次第なのです。