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バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988


(Cembalo)カール・リヒター 1956年録音をダウンロード

  1. バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988 [1.Air]
  2. バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988 [2.Variation 1-15]
  3. バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988 [3.Variation 16-30]
  4. バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988 [4.Air]

不眠症対策というのはあまりにも有名なエピソードですが・・・



1741年のことです。
ドレスデンを旅をしたバッハは、世話になったロシア公使カイザーリング伯爵のもとを訪ねます。伯爵は当時不眠症にかかっていたために、伯爵に仕えるヨーハン・ゴットリーブ・ゴールトベルクという14歳の少年にクラヴィーアを演奏させていました。(まだ14の子供に、自分が眠りにつけるまで毎日毎日ピアノを演奏させ続けるとはどんな神経をしとったんだ!!)

そんな伯爵が、「穏やかでいくらか快活な性質を持ち、眠れぬ夜に気分が晴れるようなクラヴィーア曲を作ってくれ」とバッハに依頼をして誕生したのがこの作品です。
ユング君はこの「不眠症対策」というエピソードは後世の人が面白おかしくでっち上げたお話だと最初は思っていたのですが、実は大筋で事実と一致しているようですね。それにしても、小さな子供にかくも過酷な命令を平然と出せるような人間が不眠症になるとは信じがたい話です。

でも、ゴルドベルク少年はその過酷な試練に耐えたおかげで、このバッハ晩年の大傑作に自分の名前を残すことになります。
作曲の経緯から言えば、「カイザーリング変奏曲」と呼ばれてもなんの不思議もないと思うのですが、なぜか「ゴルドベルグ変奏曲」と呼ばれるようになったのですから、これまた歴史の皮肉と言わねばなりません。

リヒターの立ち位置

今さら言うまでもないことですが、バッハは「対位法」の人でした。複数の独立した声部からなる音楽のことを「ポリフォニー音楽」と呼ぶのですが、その様な音楽の作曲技術のことを「対位法」と呼びました。
私たちが日常的に接している音楽の大部分も複数の声部から成り立ってはいるのですが、そこでは主旋律と伴奏というように、その声部の間に主従関係が存在します。しかし、バッハに代表される「ポリフォニー音楽」では、それぞれの声部の間には主従関係は存在せず、それらは全て対等平等な関係を維持します。

ですから。2声程度の音楽ならばそれほどではないのですが、3声になると演奏する側の難易度は一気に上がってしまいます。3つの声部をしっかりと意識しながら、それらを対等平等に弾きわけるのはかなり難しくなります。これが4声、5声となると、その難しさは半端ではなくなります。
また、その難しさは聞き手にも多くのことを要求するようになっていきます。グールドとカークパトリックの演奏を比較したときに、カークパトリックの演奏があまりにもパラパラしすぎているので、頭の中で音楽の姿を把握するのに「努力」が必要ですと書いたのですが、つまりは、その様な「努力」が聞き手にも求められるのです。

ここで音楽史を繰り返すつもりはないのですが、バッハの時代の聞き手は貴族などの知識階級が中心でした。そこでは、複雑さは何の支障にもならなかったのですが、市民革命を経て音楽の享受者が一般民衆に変わってくると、その様な複雑さは次第に敬遠されるようになっていきました。代わりに台頭してきたのが、主旋律と伴奏からなる「ホモフォニー音楽」でした。そこでは、聞き手は主旋律だけに意識を集中していれば迷子になる心配はありません。その様な音楽が主流となっていく中でバッハが忘れ去られていったのは仕方のないことでした。
しかし、広く知られることはなかったとしても、心ある音楽家達はバッハの存在を常に意識の中に留めていました。

その様なバッハをもう一度コンサートの表舞台に復活させた立役者がランドフスカでした。彼女は、ピアノという楽器は縦の和音を鳴らすのには適していても、複数の声部をバランスよく弾きわけるのには適していないことに気づきチェンバロを復活させました。しかし、20世紀の初め頃にはチェンバロという楽器は基本的に絶滅していました。それは博物館などに展示されるものであって、実際のコンサートで使用できるものとは思われていなかったのです。
ですから、彼女はプレイエル社と協同して20世紀のチェンバロを作り出しました。

世間では、「ランドフスカ・モデル」とよばれるこのチェンバロは、鋼鉄製のピアノのフレームにチェンバロの機構を入れたもので、コンサートホールでも使えるように音を大きくしただけでなく、クレッシェンドやディクレッシェンドもできるという「お化けシステム」だったようです。現在では「モダン・チェンバロ」と呼ばれるこの楽器を使って、彼女は「ポリフォニー音楽」としてのバッハをコンサートの表舞台に復活させたのです。
そして、この復興運動は第2次世界大戦によって一時的に中断されるのですが、戦争が終われば再び大きなムーブメントとなっていきました。特に、チェンバロ演奏と言うことならば、その中心となったのがカークパトリックやリヒター達でした。

しかし、彼らのバッハ作品の録音を聞いてみると、今となってはかなり違和感を感じてしまうことは否定できません。その違和感の最大の原因は「モダン・チェンバロ」の響きです。
確かに、演奏様式としては、未だに主旋律と伴奏という雰囲気が残っていたランドフスカと較べれば、カークパトリックもリヒターも完全にポリフォニーな人になっています。特に、リヒターの演奏を聞くとき、その強固な意志力と集中力によって(そう、ポリフォニーナ音楽を再現するには強固な意志力と集中力が必要なのです)、峻厳なる「対位法の人」であるバッハを描き出しています。

しかし、その響きには「仰け反って」しまいます。
いわゆる「ピリオド楽器のチェンバロ」がコンサートで使用されるようになるのは60年代の初頭ですから、リヒターもカークパトリックも使用していた楽器はともに「モダン・チェンバロ」でした。しかし、同じように「モダン・チェンバロ」を使っていても、この二人の響きの質はかなり異なります。
聞く人によってはカークパトリックであっても違和感を感じる人もいるようですが、私個人としてはそれほど強い違和感を感じません。
しかしながら、さすがにこのリヒターの響きにはなかなか慣れることはできませんでした。

個人的には、チェンバロの響きのスタンダードはスコット・ロスによるスカルラッティの録音でした。あの、地中海を吹き渡る風を思わすような軽くて乾いた響きこそがチェンバロの響きでした。それと比べると、ここで聞くことのできる、とりわけリヒターのゴルドベルク変奏曲の響きはまるで別の楽器で演奏されているかのようでした。
パルティータの方にはそこまでの違和感はありませんが、それでも異質は異質です。

言うまでもなく、この違和感を「モダン・チェンバロ」を使っていることだけに帰着させることはできません。
既に述べたように、同じように「モダン・チェンバロ」を使っていても、カークパトリックの録音ではリヒターほどの違和感を感じないからです。つまりは、やろうと思えばカークパトリックのような響きでバッハの音楽を作り得ることができたのですから、それをしなかったと言うことは、当時のリヒターにとってはこの響きで良しとする立ち位置があったと言うことです。
私は、この事は非常に大切なことだと思うのです。

ちなみにゴルドベルク変奏曲は1956年に録音され、パルティータの方は1960年に録音されています。この4年の間に、さすがにゴルドベルク変奏曲の響きはまずいと思ったのかもしれませんが、それでもなお、リヒターのパルティータは、カークパトリックのパルティータの録音と較べれば違和感は小さくありません。

しかしながら、もう一つ確認しておかなければいけないのは、バッハの対位法を峻厳に描き出していくリヒターの集中力には驚くべきものがあるということです。
その精緻な対位法の世界と、この古めかしい響きとの奇妙な同居に、どうしようもない居心地の悪さを感じてしまうのです。この居心地の悪さを、私たちはどのように受け取ればいいのでしょうか。

そこで結局思い至るのは、リヒターという人の音楽の本質はかなり古い時代に根っこを持っているのではないかと言うことです。
そして、その古さこそが、60年代の半ば以降、時代の流れに取り残されるように急激に衰えていった遠因ではないかという気もするのです。リヒターの急激な衰えの背景として体調の不良が指摘されてきたのですが、やはりそれだけでは説明しきれないなほどの急落ぶりでした。

もちろん、その様な大事を軽々に決めつけることはできないのですが、このチェンバロを使った一連の録音を聞くと、いろいろなことを考えさせてくれるものでした。