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バルトーク:かかし王子, Sz.60


アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1964年6月24,25日録音をダウンロード

  1. バルトーク:かかし王子, Sz.60 [1.Introduction]
  2. バルトーク:かかし王子, Sz.60 [2.First Dance]
  3. バルトーク:かかし王子, Sz.60 [3.Second Dance]
  4. バルトーク:かかし王子, Sz.60 [4.Third Dance]
  5. バルトーク:かかし王子, Sz.60 [5.Fourth Dance]
  6. バルトーク:かかし王子, Sz.60 [6.Fifth Dance]
  7. バルトーク:かかし王子, Sz.60 [7.Sixth Dance]
  8. バルトーク:かかし王子, Sz.60 [8.Seventh Dance]

バルトークの人生における重要なジャンピング・ボード



始めてこの作品を聞いたときに真っ先に思ったのは「バルトークはこんなにも分かりやすくて聞きやすい音楽を書いていたおきもあったんだ!」と言うことです。そして、その次ぎに気づいたのは、これってストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」と雰囲気がそっくりというか、まるで「パクリ」じゃないかなと言うことです。

さすがに「パクリ」はバルトークに失礼でしょうが、調べてみて分かったのは、この作品はブダペスト歌劇場の支配人ミクローシュ・バーンフィ伯爵と深く関係していて、そこに「ペトルーシュカ」も影響している事が分かったのです。

伯爵は自らの歌劇場で上演する作品を広く公募したのですが、その中にバルトークの「青ひげ公の城」があったのです。しかし、伯爵はその作品が広く聴衆に支持されるとは思えず却下していたのでした。
そんな時に、伯爵を魅了したのがロシア・バレエ団の「ペトルーシュカ」だったのです。
そして、その事を知った「青ひげ公の城」の台本作家であったバラージュは、当時の文芸雑誌に発表された「かかし王子」に興味を持ち、これを伯爵のもとに持ち込んだのです。バラージュは既にバルトークは作曲し終わっていると嘘をつき、バルトークの音楽に難色を示していた伯爵に対して、彼の趣味である舞台装置の制作を任せることを条件にバルトークの登用を了承させます。

当然この経緯はバルトークも心得ていたでしょうし、自信作であった「青ひげ公の城」が却下されたことを見返したいという思いもあったでしょうから、結果としてどこか「ペトルーシュカ」を思わせるような音楽になったのかもしれません。
そして、作曲が終わると初演に向けた準備も速やかに始まり、いろいろな困難があったものの1916年の初演は大成功をおさめ、そのおかげでかつては却下された「青ひげ公の城」の初演も実現することになりました。

バルトークの音楽全体を見渡したときにこの作品にどれほどの意味があるのかは分かりませんが、それでもこうやって実績を積み上げることで様々なチャレンジが可能になっていった事を思えば、これは彼の人生における重要なジャンピング・ボードであったことは間違いないようです。

あらすじ

第1舞曲:森の中での王女の踊り

森の中で王女は踊っている。その王女が踊りを止めて城に戻るときに、王子と出会う。王子はその王女に一目惚れをしてしまうのだが、王女はそんな事には全く気づかずに部屋の窓辺で糸車を回し出す。
雄牛はそんな王女のもとに行くことを決め森を横切ろうとするが、妖精は森に魔法をかける。

第2舞曲 木々の踊り

妖精の魔法で森が動きだす。しかし、王子は森と闘い通り抜けに成功する。
妖精は今度は川の流れに魔法をかける。

第3舞曲 波の踊り

王子は何度も橋を渡ろうとするが流れは激しく越えられない。
そこで、王子は杖を人形にして自らの姿を王女に伝えようとする。しかし、王女は気づかないので、王子はその人形に王冠をつけ、最後は自らの金髪を切り取って人形に付ける。王女はついにその人形に気づき、その可愛いらしい人形のもとに走ってくる。
そして、王子はその王女を後から抱きしめようとするが、王女はそのみすぼらしい若者の姿に驚き逃げてしまう。

第4舞曲 王女と木の人形の踊り

王女とかかし王子は踊り続ける。王女が愛したのはかかしの人形だった。
絶望した王子は倒れ込み眠りに落ちる。そして、妖精は森から出てきて王子を優しく慰め、3つの大きな花から、金色の巻き毛、王冠、外套をそれぞれ取り出して王子を飾る。
そこに全く突然、王女がかかし王子と共に現れる。かかし王子の身なりは乱れ果てている。

第5舞曲

かかし王子の踊りはどんどんみすぼらしくなっていく。ついに王女はかかし王子を嫌いになり怒って押し飛ばしてしまう。
そのとき彼女は光り輝いている王子を認める。

第6舞曲

王女はその光り輝く王子の姿に魅了されて一緒に踊ろうと王子を誘惑する。しかし、王子は彼女に背を向ける。

第7舞曲

絶望して帰っていく王女はかかし王子につまづき、怒って蹴飛ばす。
そして、絶望の中で王女は王冠と外套を投げ捨て、ついには髪の毛まで切り落とす。
やがて、王子は王女の前にやってきて苦しんでいる彼女を慰めようとする。王女は何も飾りのない自分を恥ずかしがるが、王子は意に介せずついに彼女を抱擁する。そして、魔法をかけられていた世界は次第にもとの姿へと戻っていく。

音圧競争の弊害が残念

ドラティのバルトークを聞いていていつも感じるのは「響きの美しさ」です。
バルトークと言えば、確かに楽器を打楽器的に扱う「荒々しさ」があちこちに顔を出すのですが、基本的には透明感の高い硬質で澄み切った響きこそが真骨頂だと思います。ドラティの演奏で聞くと、その響きが見事に実現されていることに感心させられます。
しかし、この作品では、透明感よりは「荒々しさ」がかなり前面に出てきています。

これは不思議なことだなと思っていたのですが、録音のディテールをチェックしてみるとデジタル化への編集の過程でかなり音圧が上げられていることを発見しました。
オケの総奏の部分ではリミッターがかかってしまう感じまで音圧が上げられているので、ドラティとロンドン響が生み出している繊細な部分がカナルスポイルされている疑惑があります。

確かに、ドラティが指揮者としての出発点となったのがバレエの指揮者であり、そう言い劇場での経験ゆえにか、、生真面目でありながら聞かせどころはキッチリと聞かせてくれるサービス精神にも欠けていませんこの荒々しさもそう言うサービス精神の表れかもしれないのですが、やはりデジタル化への編集過程でかなりの「改悪」がされている事の方が影響は大きいと思われます。

困ったものです。
なお、この編集過程での問題に興味のある方は「音圧競争の弊害(1)」「音圧競争の弊害(2)」などをご覧ください。