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シューマン:謝肉祭 作品9


(P)アニア・ドーフマン:1958年9月18,28,29日 & 12月1~3日,12日 & 1959年9月14日録音をダウンロード

  1. シューマン:謝肉祭 作品9 [1.Preambule]
  2. シューマン:謝肉祭 作品9 [2.Pierrot]
  3. シューマン:謝肉祭 作品9 [3.Arlequin]
  4. シューマン:謝肉祭 作品9 [4.Valse noble]
  5. シューマン:謝肉祭 作品9 [5.Eusebius]
  6. シューマン:謝肉祭 作品9 [6.Florestan]
  7. シューマン:謝肉祭 作品9 [7.Coquette]
  8. シューマン:謝肉祭 作品9 [8.Replique]
  9. シューマン:謝肉祭 作品9 [9.Papillons]
  10. シューマン:謝肉祭 作品9 [10.Lettres dansantes]
  11. シューマン:謝肉祭 作品9 [11.Chiarina]
  12. シューマン:謝肉祭 作品9 [12.Chopin]
  13. シューマン:謝肉祭 作品9 [13.Estrella]
  14. シューマン:謝肉祭 作品9 [14.Reconnaissance]
  15. シューマン:謝肉祭 作品9 [15.Pantalon et Colombine]
  16. シューマン:謝肉祭 作品9 [16.Valse allemande]
  17. シューマン:謝肉祭 作品9 [17.Paganini]
  18. シューマン:謝肉祭 作品9 [18.Aveu]
  19. シューマン:謝肉祭 作品9 [19.Promenade]
  20. シューマン:謝肉祭 作品9 [20.Pause]
  21. シューマン:謝肉祭 作品9 [21.Marche des "Davidsbundler" contre les Philistins]

様々な人間的な感情の交錯



ロマン派の時代におけるピアノ音楽の新しい地平を切り開いたシューマンの、最初期における輝かしい金字塔がこの作品です。
最初と最後に音楽全体の序と終結の役目を果たす比較的規模簿の大きな曲を配置し、その間に様々な容貌と特徴を持った華麗なる19の小品をちりばめたこの作品は、古典派のかたぐるしい上着を脱ぎ捨てて、人間的な感情のあふれるがままに楽想を飛翔させたものです。ただし、シューマンが偉大なのはその様な飛翔が恣意的で放埒なものになることなく、全ての音楽がごく小さな根本動機からの変奏として作品全体が強固に結びあわされていることです。
しかし、このような言葉による説明は現実に鳴り響く音楽の前では虚しいだけです。私たちはその音楽に謙虚に耳を傾ければ、シューマンがこの作品に施した様々な謎かけに関する知識などを持たなくても、光と影が明滅する木漏れ日のように、様々な人間的な感情の交錯に陶然とさせられます。
ここにおいて神は音楽の表舞台から退場し、音楽は純粋に人間にのみ仕えるようになったのです。

第1曲:前口上
第2曲:ピエロ
第3曲:アルルカン
第4曲:高貴なワルツ
第5曲:オイゼビウス
第6曲:フロレスタン
第7曲:コケット
第8曲:返事
第9曲:パピヨン
第10曲:A.S.C.H. - S.C.H.A. - 踊る文字
第11曲:キアリーナ
第12曲:ショパン
第13曲:エストレラ
第14曲:めぐりあい
第15曲:パンタロンとコロンビーヌ
第16曲:ドイツ風ワルツ?
第17曲:パガニーニ(間奏曲)
第18曲:告白
第19曲:プロムナード(散歩)
第20曲:休憩
第21曲:ペリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進

どちらが王様ですか

それにしても、ドーフマンがどうしてここまで「忘却の彼方」に消えてしまったのか、この演奏を聴くと本当に不思議になります。

ただ、調べてみると、驚くほどに残された録音が少ないのです。

録音のキャリアは長くて、SP盤の時代にはベートーベンのソナタやコンチェルトなども残しています。特に、コンチェルトに関して言えばバックをつとめたのがトスカニーニ&NBC交響楽団だというのですから、前途は洋々だったはずです。

ところが、モノラルLPの時期にはいると、グリーグのコンチェルトなども残しているのですが、バックはなぜか「ラインスドルフ&フィラデルフィア・ロビンフッド・デル管弦楽団」がメインになります。
「フィラデルフィア・ロビンフッド・デル管弦楽団」とは聞いたこともないオケなのですが、実体はフィラデルフィア管弦楽団そのものです。しかし、こういう覆面オケとしてでしか彼女とは録音できなかったというのは、契約上の問題があったのでしょう。

そして、それ以後も録音の数は少なく、その少ない録音の大部分がメンデルスゾーンの無言歌とかチャイコフスキーの四季などと言うマイナー作品なのです。
ですから、クオリティの高いステレオ録音で残されているメジャーな作品と言えばこの2つのシューマンの作品くらいしかないようなのです。

そして、そうなった背景としては彼女のポリシーがあったのかもしれません。
これは全く持って想像に過ぎないのですが、いわゆる「ビジネスとしての録音や演奏会」に嫌気がさしたのかもしれません。

例えば、この「謝肉祭」の録音クレジットを見てみると「1958年9月18,28,29日 & 12月1~3日,12日 & 1959年9月14日録音」となっています。
ルービンシュタインほどの大家でさえ「1962年12月3日~4日 & 1963年1月23日」で済ませているのですから、それは異常としか言いようがありません。

確かに「謝肉祭」は大曲ではないのですが21の小品の寄り集まりであり、それぞれに短くても個別の特徴があるので一気に録音をするのは難しいという面はあるでしょう。ですから、ルービンシュタインのクレジットを見れば12月の2日間で全曲録音を行い、翌年の1月に気に入らない部分や録音側の気になる部分などを録りなおしたのでしょう。
しかし、ドーフマンの場合だと、いったいどのような予定で録音が行われたのか、にわかには想像がつきません。

おそらくは、9月の3日間で録音が終わったもののドーフマンがOKを出さないので12月にまた4日間をかけて録りなおしたのでしょう。
録音側としてはそれで十分だったと思うのですが、いくら説得してもドーフマンはOKを出さなかったのでしょう。
そこで、「やってられないよ」とかいいながら、仕方なしに9月にもう一度セッションを組んだと言うことでしょうか。

レコード会社にしてみれば録音のスケジュールはあらかじめ組まれているわけですから、その隙間を塗ってセッションを追加するというのはコスト的にも、煩わしさという面でもたまったものではなかったでしょう。
しかし、アニー・フィッシャーと言い、女性のピアニストにはこういうエキセントリックなタイプが多いように見受けられます。

おそらく、こういうあたりが結果として録音の少なさにつながり、同時に彼女を教育活動に追いやった大きな要因だったのではないでしょうか。

それにしても、「幻想小曲集」の時にも感じたことですが、この「謝肉祭」もまたとんでもなく「パワフル」な演奏になっています。
もしも、「鍵盤の王者」ともたたえられたルービンシュタインの録音と、このドーフマンの録音をブラインドで聞かせて、「どちらが王様ですか」と聞けば、ほとんどの人がドーフマンを王様と言うでしょう。

もちろん、その様な力強さをシューマンが望んでいたかどうかは別問題ですが、それでもそう言う力強さでシューマンを構築するドーフマンの演奏には、それなりの説得力があることも事実です。