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ベートーベン:ヴァイオリンソナタ 第3番 変ホ長調 Op.12-3
(Vn)ジノ・フランチェスカッティ (P)ロベール・カサドシュ 1961年10月2日~7日録音をダウンロード
- ベートーベン:ヴァイオリンソナタ 第3番 変ホ長調 Op.12-3「第1楽章」
- ベートーベン:ヴァイオリンソナタ 第3番 変ホ長調 Op.12-3「第2楽章」
- ベートーベン:ヴァイオリンソナタ 第3番 変ホ長調 Op.12-3「第3楽章」
ベートーベンのヴァイオリンソナタの概要
ベートーベンのヴァイオリンソナタは、9番と10番をのぞけばその創作時期は「初期」といわれる時期に集中しています。9番と10番はいわゆる「中期」といわれる時期に属する作品であり、このジャンルにおいては「後期」に属する作品は存在しません。
ピアノソナタはいうまでもなくチェロソナタにおいても、「後期」の素晴らしい作品を知っているだけに、この事実はちょっと残念なことです。
ベートーベンはヴァイオリンソナタを10曲残しているのですが、いくつかのグループに分けられます。
作品番号12番の3曲
まずは「Op.12」として括られる1番から3番までの3曲のソナタです。この作品は、映画「アマデウス」で、すっかり悪人として定着してしまったサリエリに献呈されています。
3曲とも、急(ソナタ形式)-緩(三部形式)-急(ロンド形式)というウィーン古典派の伝統に忠実な構成を取っており、いずれもモーツァルトの延長線上にある作品で、「ヴァイオリン助奏付きのピアノソナタ」という範疇を出るものではありません。
しかし、その助奏は「かなり重要な助奏」になっており、とりわけ第3番の雄大な楽想は完全にモーツァルトの世界を乗り越えています。
- ヴァイオリンソナタ 第1番 ニ長調 Op.12-1:習作的様相の強い「第2番」に比べると、例えば、ヴァイオリンとピアノの力強い同音で始まる第1主題からしてはっきりベートーヴェン的な音楽になっています。
- ヴァイオリンソナタ 第2番 イ長調 Op.12-2:おそらく一番最初に作曲されたソナタと思われます。作品12の中でも最も習作的な要素が大きい。
- ヴァイオリンソナタ 第3番 変ホ長調 Op.12-3:変ホ長調という調性はヴァイオリンにとって決してやさしい調性ではないらしいです。しかし、その「難しさ」が柔らかで豊かな響きを生み出させています。「1番」「2番」と較べれば、もう別人の手になる作品になっています。また、ピアノパートがとてつもなく自由奔放であり、演奏者にかなりの困難を強いることでも有名です
作品23と作品24のペア
続いて、「Op.23」と「Op.24」の2曲です。この二つのソナタは当初はともに23番の作品番号で括られていたのですが、後に別々の作品番号が割り振られました。
ベートーベンという人は、同じ時期に全く性格の異なる作品を創作するということをよく行いましたが、ここでもその特徴がよくあらわれています。悲劇的であり内面的である4番に対して、「春」という愛称でよく知られる5番の方は伸びやかで外面的な明るさに満ちた作品となっています
- ヴァイオリンソナタ 第4番 イ短調 Op.23:モーツァルトやハイドンの影響からほぼ抜け出して、私たちが知るベートーベンの姿がはっきりと刻み込まれたさくいんです。より幅の広い感情表現が盛り込まれていて、そこにはやり場のない怒りや皮肉、そして悲劇性などが盛り込まれて、そこには複雑な多面性を持った一人の男の姿(ベートーベン自身?)が浮かび上がってきます。
- ヴァイオリンソナタ 第5番 へ長調 Op.24:この上もなく美しいメロディが散りばめられているので、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの中では最もポピュラリティのある作品です。着想は4番よりもかなり早い時期に為されたようなのですが、若い頃のメロディ・メーカーとしての才能が遺憾なく発揮された作品です。
作品30の3曲「アレキサンダー・ソナタ」
次の6番から8番までのソナタは「Op.30」で括られます。この作品はロシア皇帝アレクサンドルからの注文で書かれたもので「アレキサンダー・ソナタ」と呼ばれています。
この3つのソナタにおいてベートーベンはモーツァルトの影響を完全に抜け出しています。そして、ヴァイオリンソナタにおけるヴァイオリンの復権を目指したのベートーベンの独自な世界はもう目前にまで迫っています。
特に第7番のソナタが持つ劇的な緊張感と緻密きわまる構成は今までのヴァイオリンソナタでは決して聞くことのできなかったスケールの大きさを感じさせてくれます。また、6番の第2楽章の美しいメロディも注目に値します。
- ヴァイオリンソナタ 第6番 イ長調 Op.30-1:秋の木漏れ日を思わせるような、穏やかさと落ち着きに満ちた作品です。ベートーベンらしい起伏に満ちた劇性は気迫なので演奏機会はあまり多くないのですが、好きな人は好きだという「隠れ有名曲」です。
- ヴァイオリンソナタ 第7番 ハ短調 Op.30-2:ハ短調です!!ベートーヴェンの「ハ短調」と言えば、煮えたぎる内面の葛藤やそれを雄々しく乗り越えていく英雄的感情が表現される調性です。この作品もまたベートーヴェンらしい悲痛さと雄大さを併せもっているので、「春」「クロイツェル」に次ぐ人気作品となっています。
- ヴァイオリンソナタ 第8番 ト長調 Op.30-3:7番の作曲に全力を投入したためなのか、肩の力が抜けてシンプルな作品に仕上がっています。ただし、そのシンプルさが何ともいえない美しさにつながっていて、人というのは必ずしも、何でもかんでも「頑張れ」ばいいというものでないことを教えてくれる作品です。
作品47
そして、「クロイツェル」と呼ばれる、ヴァイオリンソナタの最高傑作ともいうべき第9番がその後に来ます。
「ほとんど協奏曲のように、極めて協奏風に書かれた、ヴァイオリン助奏付きのピアノソナタ」というのがこの作品に記されたベートーベン自身のコメントです。
ピアノとヴァイオリンという二つの楽器が自由奔放かつ華麗にファンタジーを歌い上げます。中期のベートーベンを特徴づける外へ向かってのエネルギーのほとばしりを至るところで感じ取ることができます。
ヴァイオリンソナタにおけるヴァイオリンの復権というベートーベンがこのジャンルにおいて目指したものはここで完成され、ロマン派以降のヴァイオリンソナタは全てこの延長線上において創作されることになります。
- ヴァイオリンソナタ 第9番 イ長調「クロイツェル」 Op.47:若きベートーベンの絶頂期の作品です。この時代には「交響曲第3番(英雄)」「ピアノ・ソナタ第21番(ワルトシュタイン》)「ピアノ・ソナタ第23番(熱情)」が生み出されているのですが、それらと比肩しうるヴァイオリンソナタの最高傑作です。
作品96
そして最後にポツンと創作されたような第10番のソナタがあります。
このソナタはコンサート用のプログラムとしてではなく、彼の有力なパトロンであったルドルフ大公のために作られた作品であるために、クロイツェルとは対照的なほどに柔和でくつろいだ作品となっています。
- ヴァイオリンソナタ 第10番 ト長調 Op.96:「クロイツェル」から9年後にポツンと作曲された作品で、長いスランプの後に漸く交響曲第7番や第8番が生み出されて、孤高の後期様式に踏み出す時期に書かれました。クロイツェルの激しさとは対照的に穏やかな「田園的」雰囲気にみちた作品となっています。
バランス感覚の良さ
一応私も「アクセス解析」なるものをしているのですが、それを見ると、「室内楽作品」は人気がなくて、逆に「オーケストラ作品」は人気が高いと言う傾向が見て取れます。それ以外には、「有名作品」は人気が高くて「マイナー作品」は人気がないとか、「有名演奏家」は人気が高くて「マイナー演奏家」は人気がないと言う、ごく当たり前のことも数字として表れます。
今さらそんなことは言われなくても分かっているといわれそうなほど当たり前のことなのですが、はっきり数字として示されると、そこまで「差」があるのかと感心させられます。
ですから、「マイナーな室内楽作品をマイナーな演奏家」が録音したものだと、それはそれは見事なまでにスルーされます。逆に、「有名なオーケストラ作品」を「有名な指揮者」が録音したものだと、一気にアクセスが集中します。
それもまた見事なものです。
一昔前に、有名な評論家先生が「どこのレーベルも有名指揮者を使ってメジャーな作品ばかり録音したがる」といって批判されていたのを思い出しました。しかしながら、あらためてこういう数字を眺めていると、そう言うレーベルの姿勢も仕方のないことだったのだなと妙に納得させられます。
世にそれほど知られていないけれども実力のある演奏家を登用して、さらに意欲的に新しい作品を録音したとしても、それは「売れない」のです。
それよりは、何の苦労もいらない金太郎飴の企画(有名指揮者を使ったメジャーな作品の録音)の方が数字が取れるのが現実ならば、そう言う金太郎飴に流れるのは仕方のないことなのです。ましてや「単年度での数字」が求められるようになると、クラシック音楽の世界ではマイナーレーベル以外では挑戦など出来ようはずもないのです。
そして、意欲的なチャレンジをするマイナーレーベルの大部分もまた志及ばず次々とつぶれていったのです。
蟹は甲羅に似せて穴を掘ると言いますが、金太郎飴という穴が自らの姿だと知れば、文句を言うのが間違っていたのでしょう。
しかしながら、こういうサイトならば「数字」を気にする必要もありませんし、「数字」が取れないことで誰からも攻められません。
少し前に、例えばリリー・クラウス,ボスコフスキー,ヒューブナーと言う顔ぶれでモーツァルトのピアノ三重奏曲を続けてアップしたときに、「頭がおかしいのか!」というメールをもらったこともあるのですが、知った話ではありません。
おそらく、こういうサイトの一番大きな役割は、お金を出してまで聞いてみようという決心がつかない作品や録音を、「試して」みることが出来ることでしょう。それが結果として、「商売」という範疇の中ならば埋没してしまうような録音をパブリック・ドメインとして「レスキュー」出来る事につながるならば、毎日頑張って更新している甲斐もあるというものです。
しかしながら、「新しいもの」は生み出しません。しかし、そうやって今まで聞いたこともなかった作品に出会い、それが結果として受容する側の裾野が広がることにつながれば、間接的に「新しきもの」へ貢献が出来ているのかもしれません。
と言うことで、カサドシュ&フランチャスカッティによるベートーベンの初期作品です。
今ならば絶対に「売れない」企画なのですが、50年代から60年代にかけての「黄金時代」ならば、こういう「企画」もどんどん採用されたのですね。
同時代の全集の企画をざっと振り返っただけで、「リリー・クラウス&ボスコフスキー(55年)」、「ハスキル&グリュミュオー(56年~57年)」、「フェラス&バルビゼ(58年)」、「オイストラフ&オボーリン(62)」あたりを思い出します。こういう中で「カサドシュ&フランチャスカッティ」という「企画」が通ったのですから、本当にいい時代だったと思わずにはおれません。
このカサドシュとフランチェスカッティという組み合わせは意外なほどにカサドシュ主導で演奏が進められています。フランチェスカッティと言えばテクニックと美音には定評のあるヴァイオリニストであったのでもっと押しが強いと思っていたのですが、当時はカサドシュという存在は今考える以上に大きいものがあったのでしょう。
しかし、このような「ヴァイオリン助奏つきのピアノソナタ」と言っていいようなベートーベンの初期作品では、カサドシュは上手くヴァイオリンとバランスをとります。それは、同じように「ヴァイオリン助奏つきのピアノソナタ」的な性格と言っても、ヴァイオリンがなくても単独のピアノソナタとして成り立つ事も多いモーツァルトとは違うのですから当然と言えば当然のことです。
しかし、ソリストという「我」の強い人たちの中では、そのあたりのバランス感覚の高さがカサドシュの持ち味なのでしょう。
そして、それこそが、あのセルと長年にわたって共演が続けられた最大の要因だったのかもしれません。