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ロッシーニ:序曲集
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960年3月録音をダウンロード
人生の達人
ロッシーニの人生を振り返ってみると、彼ほど「人生の達人」という言葉が相応しい人は滅多にいません。
なにしろ、人生の前半は売れっ子のオペラ作曲家としてばりばり働き、十分に稼いだあとはそんな名声などには何の未練も残さずにあっさりと足を洗って悠々自適の人生を送ったのですから。
私たちが暮らす国では「生涯現役」とか言われて、くたばるまで働くのが美徳のように言われますが、ヨーロッパでは若い内はバリバリ働いてお金を稼ぎ、その稼いだお金で一刻も早くリタイアするのが理想の生き方とされます。
その根っこには、「労働は神から与えられた罰」であるというローマカソリックの考え方があります。
そう言えば、あるフランス人に日本における「窓際族」という概念をいくら説明しても理解できなかったそうです。
日本では仕事を取り上げることで退職に追いやる仕打ちも、フランス人から見れば何の仕事もしないでポジションと給料が保障されるのはパラダイスと認識されるのです。さらに、そのフランス人は「その窓際族というのはどれほどの貢献をすることで与えられるポジションなのだ」と真顔で聞いてきたそうです。
ですから、音楽の世界で成功を収め、さっさと引退して自分の趣味生きたロッシーニは、ヨーロッパ的価値観から言えば一つの理想だったのです。
しかし、十分すぎるほど稼いだと言う以外に、彼の音楽のあり方が次第に時代とあわなくなってきたことも重要な一因ではなかったかと考えます。
ロッシーニが生きた時代は古典派からロマン派へと音楽の有り様が大きく変わっていた時代なのでですが、彼の音楽は基本的には古典派的なものです。一連のオペラ序曲に聞くことが出来る「この上もなく明るく弾むような音楽」は屈折を持って尊しとする(^^;、ロマン派的なものとはあまりにもかけ離れているように思います。
もしそのような「自分の本質」と「時代の流れ」を冷静に見きってこのような選択をしたのなら、実にもう大したものです。
収録作品
- 「アルジェのイタリア女」序曲
- 「セミラーミデ」序曲
- 「セビリャの理髪師」序曲
- 「ウィリアム・テル」序曲
- 「ウィリアム・テル」よりバレエ音楽(58年1月録音)
- 「絹のはしご」序曲
- 「泥棒かささぎ」序曲
トスカニーニと較べればやはり湿り気味?
カラヤンは手兵のベルリンフィルと70年代にロッシーニの序曲集を録音しています。ですから、こんなフィルハーモニア管との60年(ウィリアム・テルのバレエ曲だけは58年)の録音なんかは全くお呼びでないのですが、そうはならないあたりがクラシック音楽の不思議なところです。ロッシーニといえば、どうしても古いところではトスカニーニ、新しいところでは(もう、新しくもないか^^;)アバドというのが定番でしょうか。
ロッシーニという人はスキルはドイツ・オーストリア系みたいなところがあるのですが、心の根っこはやはりイタリア人です。ですから、イタリア系以外の人が彼の音楽を指揮すると、立派な音楽にはなっても、あのトスカニーニのようなからっとした音楽にはなかなかなりきれないです。
これはもう、ドイツやオーストリアを回った後にイタリアに足を踏み込んだ経験がある人ならばすぐに了解していただけると思うのですが、その気候・風土の違いはとてもではないが「ヨーロッパ」という一言で括ることなどできないと実感させられます。
そして、そう言う気候・風土というのは私たちが想像する以上に、人間の精神の有り様の根幹を規定します。
カラヤンにとってはイヤな言葉だったでしょうが、「ミニ・トスカニーニ」と言われても彼のお里はオーストリアのザルツブルグです。イタリアのパルマ(トスカニーニの生地)と較べれば別の世界です。
確かにフィルハーモニア管とのコンビではカラヤンは実にスッキリとした造形を指向しますし、オケもそう言うからヤンの要求によくこたえています。
しかし、それでも、乾ききっていない湿り気は感じます。
それが、70年代のベルリンフィルとの録音になれば、そう言うことすら気にしないような素振りで、実に重いロッシーニになっています。
もちろん、たかが生まれ育った気候や風土で音楽の本質が変わるか、と言う声もあるでしょうが、それでもこういう録音を聞かされると、いやいや意外と思っている以上に大きいんじゃないですかと言いたくなります。
とは言え、こういうロッシーニも面白いし、重くて何が悪いと開き直ったベルリンフィルとの録音も面白いですし。そう言う違いも含めて、いつも言っているように、出されたものは美味しく食べた方が賢いのです。