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ディーリアス:チェロ協奏曲


(Cello)ジャクリーヌ・デュ・プレ:サー・マルコム・サージェント指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1965年1月12日,14日録音をダウンロード

  1. Delius:Cello Concerto, RT VII/7 [Lento -]
  2. Delius:Cello Concerto, RT VII/7 [Con moto tranquillo -]
  3. Delius:Cello Concerto, RT VII/7 [Lento -]
  4. Delius:Cello Concerto, RT VII/7 [Con moto tranquillo -]
  5. Delius:Cello Concerto, RT VII/7 [Allegramente]

まったりとした音楽



デュ・プレのチェロ協奏曲を取り上げようと思って、それ以前にそもそもディーリアスの作品を一つも取り上げていないことに気づきました。
困ったなと思いつつ、すぐに何故今まで放置していたのかを思い出しました。

一つは、よく分からないこと。
音楽を聞くのに分かるも分からないもないのですが、つまりはどの作品を聞いてもとんでもなく「印象」が薄いのです。それを世間の人は「退屈」というのですが、まあ少しはエレガントに表現しておきましょう。
確かに、バリバリ元気だった頃のバルトークや12音技法を駆使した新ウィーン楽派の音楽なんかは取っつきやすい音楽ではありませんでした。しかし、その尖った部分が心のどこかに引っ掛かるので、その引っ掛かった部分が取っかかりにはなりました。

ところが、ディーリスの音楽と来たら、何とも言えずまったりとした音楽が右から左へ流れていくだけなので、聞いていて気分は悪くなのですが、それは最初から最後まで何事も起こらない映画みたいな雰囲気なのです。

「エルガーの音楽は退屈ですね。」
「そうですか、でも、もう少し我慢してお聞きいただければ彼の良さは分かってもらえると思うのですが・・・。」
「ディーリアスの音楽はもっと退屈ですね。」
「そうですか、イギリス人でなければそれは仕方のないことですね。」

そんなジョークが伝わるほどに、ディーリアスという作曲家はイギリス人専用みたいな音楽になっているのです。
そして、それ故にか、ディーリアスの作品に関する客観的な日本語資料が本当に少ないのです。これが二つめの理由でした。

こういう気まま勝手なサイトですが、作曲家や作品、そして演奏家に関する客観的な資料と、それへの自分なりの感想や評価はできる限り分けて書くように留意はしています。
ところが、その客観的な部分を書くための資料が本当に少ないので、結局はキーボードが止まってしまって(昔なら「筆が止まってしまって」)書けずにいたのです。

ということで、この作品については1921年に作曲されたと言うことしか分かりません。(^^;
ただし、楽譜は「 国際楽譜ライブラリープロジェクト」から入手は出来ます。

それを見ると、「Lento」→「con moto tranquillo(動きはつけても緩やかに)」→「Lento」→「con moto tranquillo」と続いて、最後だけが「Allegramente(快活に速く)」となっています。
そして、至るところに「poco a poco piu Lento(少しずつ少しずつ遅く)」とか「piu mosso(今までより速く)」という記号が書き込まれていますから、とにかく急激なテンポ変化を禁じていることは明らかです。

そして、231小節から「Allegramente」に突入しても、277小節に「rallentando」という記号が突如登場します。

「rallentando(ラレンタンド)」は「ritardando(リタルナンド)」と似ていて、ともに少しずつ遅くすると言う意味なのですが、その遅くする感じが少し違います。
「ritardando」は音楽の流れに沿って自然と遅くなるのに対して、「ritardando」は自分の意志でブレーキを踏むように遅くしろという感じになります。つまりは、演奏者は自分の意志でしっかりとここでブレーキを踏めと指示しているのです。

そして、さらにだめ押しするように287小節に「poco a poco piu Lento」、290小節に「piu mosso」と記して、とにかく急激なテンポ変化と走り出すことを慎重に抑制しています。
そして、コーダに突入しても「「rallentando」→「poco piu Lento」と指示しています。

これで、音楽全体がまったりしなければ嘘です。
そして、このまったり感こそが田園での生活を生涯の憧れと感じるイギリス人の感性にマッチするのでしょう。

ただし、協奏曲というスタイルの音楽はディーリアスにとっては本流でないことは明らかです。
この作品も聞きようによっては独奏チェロはオーケストラパートの一部のように聞こえてしまいます。
そう言う意味では、演奏するチェリストにとっては最後まで欲求不満が募る作品ではないでしょうか。


恩人、サージョエント

デュ・プレほどイギリスの偉大なるおじさん達から愛された演奏家はいないでしょう。
そんなおじさん達の中でもっともデュ・プレを可愛がって、彼女を華やかな表舞台に導いたのがサージョエントでした。

サージョエントはバルビローリやビーチャムの陰に隠れて損をしている部分が大きいのですが、振り返ってみれば随分とたくさんのいい仕事をしています。そんないい仕事の中の一つがデュ・プレへのサポートです。

デュ・プレにとっての初めての大舞台は1962年8月14日のプロムスでエルガーの協奏曲を演奏したときだと思うのですが、その時の指揮者がサージェントでした。
デュ・プレの誕生日は1945年1月26日ですから、この時僅か17才です。おそらくは、何から何までサーションとが面倒を見てサポートしたのでしょう。
そして、このあと4年続けてデュ・プレはサージョンとの指揮でエルガーの協奏曲をプロムスで演奏しています。


  1. 1962年8月14日:サー・マルコム・サージェント指揮 BBC交響楽団

  2. 1963年8月22日:サー・マルコム・サージェント指揮 BBC交響楽団

  3. 1964年9月3日:サー・マルコム・サージェント指揮 BBC交響楽団

  4. 1965年9月1日:サー・マルコム・サージェント指揮 BBC交響楽団



66年は何故かデュ・プレはプロムスに参加していませんし、67年のプロムスはサージェントは死の床にあり10月3日にこの世を去ります。
ですから、サージョントは常にデュ・プレのそばにあって、この才能を溢れる少女を支え続けたのです。そして、この4年間のプロムスでの演奏が彼女のキャリアに大きなプラスとなったことは言うまでもありません。

その意味で、彼女にとっての初めての協奏曲の録音をサージョントが引き受けるのは当然のことでした。
聞くところによると、デュ・プレはこの協奏曲をこの録音の時まで1度も演奏したことがなかったそうです。ですから、この録音にはエリック・フェンビーも参加してデュ・プレに助言を与えたそうです。
エリック・フェンビーとはイギリスの作曲家なのですが、晩年に梅毒のために視力を失ったディーリアスに変わって楽譜を書き取った「代筆者」として有名な存在です。

まさに、イギリスのおじさん達が総力を挙げてこの少女をサポートしたのです。

あー、そこまで多くの人が彼女の才能を愛し、その才能が大きく花開く事を祈って可能な限りの援助を惜しまなかったのに、あんな男のために全てが無に帰するとは!!