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バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV. 1041


(Vn)エリカ・モリーニ:ニコラス・ハーサニー指揮 (harpsichord)イーゴリ・キプニス プリンストン室内管弦楽団団 1965年3月31日&4月1日録音をダウンロード

  1. Bach:Violin Concerto in A minor, BWV 1041 [1. no tempo indication(Allegro)]
  2. Bach:Violin Concerto in A minor, BWV 1041 [2.Andante]
  3. Bach:Violin Concerto in A minor, BWV 1041 [3.Allegro assai]

3曲しか残っていないのが本当に残念です。



バッハはヴァイオリンによる協奏曲を3曲しか残していませんが、残された作品ほどれも素晴らしいものばかりです。(「日曜の朝を、このヴァイオリン協奏曲集と濃いめのブラックコーヒーで過ごす事ほど、贅沢なものはない。」と語った人がいました)
勤勉で多作であったバッハのことを考えれば、一つのジャンルに3曲というのはいかにも少ない数ですがそれには理由があります。

バッハの世俗器楽作品はほとんどケーテン時代に集中しています。
ケーテン宮廷が属していたカルヴァン派は、教会音楽をほとんど重視していなかったことがその原因です。世俗カンタータや平均率クラヴィーア曲集第1巻に代表されるクラヴィーア作品、ヴァイオリンやチェロのための無伴奏作品、ブランデンブルグ協奏曲など、めぼしい世俗作品はこの時期に集中しています。そして、このヴァイオリン協奏曲も例外でなく、3曲ともにケーテン時代の作品です。

ケーテン宮廷の主であるレオポルド侯爵は大変な音楽愛好家であり、自らも巧みにヴィオラ・ダ・ガンバを演奏したと言われています。また、プロイセンの宮廷楽団が政策の変更で解散されたときに、優秀な楽員をごっそりと引き抜いて自らの楽団のレベルを向上させたりもした人物です。
バッハはその様な恵まれた環境と優れた楽団をバックに、次々と意欲的で斬新な作品を書き続けました。

ところが、どういう理由によるのか、大量に作曲されたこれらの作品群はその相当数が失われてしまったのです。現存している作品群を見るとその損失にはため息が出ます。
ヴァイオリン協奏曲も実際はかなりの数が作曲されたようなですが、その大多数が失われてしまったようです。ですから、バッハはこのジャンルの作品を3曲しか書かなかったのではなく、3曲しか残らなかったというのが正確なところです。
もし、それらが失われることなく現在まで引き継がれていたなら、私たちの日曜日の朝はもっと幸福なものになったでしょうから、実に残念の限りです。

キリッと引き締まった立派なバッハ

モリーニのヴァイオリンは常に背筋が伸びています。
最近、暇があるとあちこちのお寺を回っては仏像を見ているのですが、このモリーニの雰囲気に一番ピッタリなのは聖林寺の十一面観音です。
高二メートルを超えるまさに偉丈夫の観音です。

聖林寺の十一面観音

この十一面観音のことを白洲正子は「女躰でありながら、精神はあくまでも男である」と述べています。
モリーニのヴァイオリンもまた立ち姿は女でも精神の有り様は男そのものです。

ただし、こう書いたからと言って男女の役割分担を前提とした古くさい保守反動なんて言わないでくださいよ。今風の言い方をすれば「男前」なのです。

そう言うスタンスでバッハを演奏すればどうなるのか?
当然の事ながら、誰もが予想するとおり、キリッと引き締まった立派なバッハ像が造形されることになるのです。

もちろん、それはそれで立派なもので何の問題もないのですが、折り目正しく演奏した方がよい作品を流麗に歌わせて演奏すると思わぬ魅力があふれ出すことがあります。

と言うか、長きにわたってバッハとはそう言う音楽として演奏されてきたのです。
鍵盤楽器による音楽などは、横に流れる複数のラインを縦に積み直すような「編曲」をほどこして演奏するのは「作法」というか「しきたり」だったのです。精緻なバッハの響きは分厚い和声に置き換わることになり、ロマン派的価値観に変換されたバッハが大手を振って歩いていたのです。
それでも、バッハがバッハであることをやめない強靱さには驚くのですが、やはりバッハは縦に積み重なる和声の音楽ではなくて横に流れる対位法の音楽でだよね、と見なおしが進んだのが50年代だったのです。
ですから、このモリーニのようにバッハと向き合うことに何の問題もないのですが、みんながみんな賢くなってしまうと、どこかつまらなさを聞き手は感じてしまうのです。

エリカ様にしてみればそんな事は全く持って知った話ではないのですが、贅沢な聞き手は、こういうバッハならどこでも聞けるしな・・・、等と恐れ多いことをほざいてしまうのです。