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ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1955年12月5日録音 をダウンロード
- ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73 「第1楽章」
- ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73 「第2楽章」
- ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73 「第3楽章」
- ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73 「第4楽章」
ブラームスの「田園交響曲」
ブラームスが最初の交響曲を作曲するのに20年以上も時間を費やしたのは有名な話ですが、それに続く第2番の交響曲はその一年後、実質的には3ヶ月あまりで完成したと言われています。ブラームスにとってベートーベンの影がいかに大きかったかをこれまた物語るエピソードです。
第2番はブラームスの「田園交響曲」と呼ばれることもあります。それは明るいのびやかな雰囲気がベートーベンの6番を思わせるものがあるかです。
ただ、この作品はこれ単独で聞くとあまり違和感を感じないでのですが、同時代の他の作品と聞き比べるとかなり古めかしい装いをまとっています。この10年後にはマーラーが登場して第1番の交響曲を発表することを考えると、ブラームスの古典派回帰の思いが伝わってきます。
オケの編成を見ても昔ながらの二管編成ですから、マーラーとの隔絶ぶりはハッキリしています。
とは言え、最終楽章の圧倒的なフィナーレを聞くと、ちらりと後期ロマン派の顔がのぞいているように思うのは私だけでしょうか。
- 第1楽章 Allegro non troppo
冒頭に低弦が奏する音型が全曲を統一する基本動機となっている。静かに消えゆくコーダは「沈みゆく太陽が崇高でしかも真剣な光を投げかける楽しい風景」と表現されることもあります。 - 第2楽章 Adagio non troppo - L'istesso tempo,ma grazioso
冒頭の物憂げなチェロの歌がこの楽章を特徴づけています。 - 第3楽章 Allegretto grazioso (Quasi andantino) - Presto ma non assai - Tempo I
間奏曲とスケルツォが合体したような構成になっています。 - 第4楽章 Allegro con spirito
驀進するコーダに向けて音楽が盛り上がっていきます。もうブラームスを退屈男とは言わせない!と言う雰囲気です。
指揮者もオケも冷静でありながら聞き手を興奮させる一流の芸
これは素晴らしい演奏であり、素晴らしい録音です。50年代中庸のミュンシュ&ボストン響の充実ぶりを如実に証明するものですし、ステレオ録音という新しい技術をいち早く手に入れて業界の先頭をつっぱしていると言うRCAの自負と自信が溢れています。
ただし、何度も同じ事を繰り返しますが、ミュンシュが最晩年にパリ管と残した2枚のレコード(幻想とブラ1)を念頭に置いてこれを聞けば「空振り」をいてしまいます。
ミュンシュという人の芸は基本的にはカラヤンと相似形だったのかもしれません。
カラヤンはどこかでこんなことを言っていました。
自分が興奮してもメンバーも興奮するのは3流の指揮者、自分は冷静でメンバーが興奮するのは2流の指揮者、自分もメンバーも冷静で客が興奮したときに1流の指揮者
ここで聞くことのできるブラームスは、まさにこの指揮者もオケも冷静でありながら聞き手を興奮させる一流の芸です。
それが誰の耳にもはっきりと分かるのがコーダに向けてオケと指揮者が驀進していく場面でしょう。音楽が盛り上がっていけばいくほど、指揮者もオケも冷静になっていくのが手に取るように分かります。
そう考えれば、あの最晩年のパリ管との録音では、ともすれば指揮者もオケも我を忘れかけている場面があるように思います。
それでも聞き手を興奮させる魅力を持っていますから、全てが全て、カラヤンの言ったとおりではないことも事実なのですが、それでもミュンシュという音楽家の本質はこちらの録音の方に現れています。
ただし、だからボストン時代のミンシュはつまらないと言う人がいることも事実ではあるのですが、私はこういう演奏を高く評価したいと思っています。
まずなんと言っても、この時代のボストン響はオケの響きが素晴らしいです。
弦楽器群は一点の塵もないような透明感に満ちた響きでありながら豊麗さを失っていません。おそらくは、カラヤン美学が徹底した全盛期のベルリンフィル、ベイヌム統治下のコンセルトヘボウ、そして全盛期のウィーンフィルなどと肩を並べられる美しさだと思います。
さらに、その様な弦楽器群をバックに鳴り響く管楽器の美しさも出色です。
とりわけ、あちこちで披露されるホルンソロの美しさは、それがもしも実際のコンサートであるならば、それが聴けただけで幸せな気分で家路につけるほどの美しさです。
そして、ミュンシュが素晴らしいのはその様な響きの美しさを誇示しながら、その一つ一つの響きがまるでスコアを見るかの如く明晰にバランスが保持されていることです。
オケの響きの美しさがもたらす官能性と、内部の見通しの良さがもたらす明晰な理知性が絶妙のバランスで共存させているのがミュンシュの芸です。
そして、その様なミュンシュの芸を余すところなくすくい上げたLewis Laytonの腕の冴えも評価しておく必要があるでしょう。
1955年の録音ですから、RCAが本格的にステレオによる商業録音をはじめた翌年の仕事です。
ですから、ほぼワンポイントによる録音だと思われますから、まさにこのような響きがスタジオで鳴り響いていたことになります。後年のマルチ録音のように、録音をしてからオケのバランスを編集で補正することは出来ませんから、恐るべしボストン響なのです。
そして、そう言うボストン響の響きをここまで見事にすくい上げたLewis Laytonも、また恐るべしなのです。
最新録音と銘打ちながら、上辺ではなくて、本質的な部分でこのクオリティを凌駕できるものはほとんど存在しないのです。